「学校を出よう!2」についての仮説その4 そして景色は変わって行く

「学校を出よう!2」についての仮説その3の続きです。

 前回説明しました「今津地上駅乗り継ぎ説」に基づく「学校を出よう!2」の舞台モデル推定地の写真を追加の説明を交えながら紹介したいと思います。

 サナエとは改札を入ってすぐの所にある大時計の横で落ち合うことにする。


谷川流学校を出よう!2」176ページ

 西宮北口駅改札内にあるこの時計台(カリヨン)は、橋上駅舎の2階コンコース中央に建っています。橋上駅舎は神戸線今津線の平面交差(ダイヤモンドクロス)が1984年に廃止された後に建てられたので、時計台が建てられたのもそれ以降でしょう。地域情報誌「宮っ子」では1987年に初めてこの時計台が登場するので1984〜1987年頃に建てられたと推定されます。

 ということは、今津地上駅が1993年までしかなかったことと合わせると、鉄道の描写に限るというご都合的な解釈をすれば、「学校を出よう!2」は1980年代後半から1990年代始めを舞台にしていると考えることができます。これは作者の谷川流さんが中学生〜大学生だった頃に相当します。

 神田Aが促して先陣を切る。どちらの側のホームに神田Nがいるのか確信があった。階段を駆け下りると、やはり奴はそこにいる。


谷川流学校を出よう!2」177ページ

 橋上駅舎なので階段でホームに駆け下りるのです。このシーンに登場するホームは1984年の平面交差廃止によって作られた今津南線のホームと考えられます。階段は一つだけで、いつ出来たのかは特定できないのですが、恐らく駅舎が完成した1987年にはできていて、それ以後は位置が変わっていないと思われます。ということは

まさにこの階段を神田A・B、星名サナエは駆け下りたのでしょう。北西口から駅に入ったと考えられるので、ちょうど橋上駅舎を北西→南東に横切って移動したのです。

 写真の左には神戸線のホームが写っています。実はパーティションで区切られているだけで今津南線ホームと神戸線ホームは繋がっているのです。これは平面交差廃止直後はまだ階段がなかったため、神戸線ホームから今津南線ホームに出入りするようになっていた名残なのではないかと思うのですがどうなのでしょう。

ゆるやかに停車したチョコレート色の車輌のドアが開き、乗降客達がすれ違う。神田Nの背中を見つつ、三車輌後の箱に三人は乗り込んだ。


谷川流学校を出よう!2」179ページ

「三車輌後」ということは4輌以上の編成でないといけないのですが、残念ながら現在運行しているのは3輌編成です。ただしホームは4輌分あるので当時は4輌編成だったのかも知れません。車輌は阪急6000系ワンマン仕様というものらしく、これまた残念ながら作中の推定モデル時期に走っていたものとは違います。ちなみに6000系ワンマン仕様は甲陽線でも使われていますね。甲陽線にしてもこの今津南線にしても、わずか3駅間を3輌編成が行ったり来たりするという、都市部の割にはなんとものんびりした路線です。

 なお、西宮北口駅の今津南線ホームは2010年までの高架化が予定されており、まもなく着工するようです。ホームは東側に移動し、階段は不要となるので廃止されるでしょう。上の2枚の写真の光景が見たい方はお早めに。

 音透湖の手がかりを求めて神田Aが降りる駅のモデルと考えられる駅。芦屋市役所前から撮影しました。周囲の建物はかなり建て変わっているようですが、駅舎は作中の推定モデル時期である1980年代後半〜1990年代始めの姿をほぼ残しているようです。

 神田Nが幽霊マンションに行く際に降りる駅のモデルと考えられる駅。神田Nは北に行ったことになっているので北側から撮影しました。駅舎は改築が繰り返され、現在も工事中。ただ正面入り口は当時の面影を残しているのではないかと思います。多分……。

 今津駅は高架化によって当時とは全く別の駅舎になっています。阪急神戸三宮駅は震災で駅舎を建て替えているらしいのですが、作中に駅舎について描写がないですし、昔の駅舎も存じないのでパスします。

という訳で長々と書いて来た「学校を出よう!2」について新たに考えた舞台モデル推定地の説明を終わります。お粗末さまでした。

「ヒトメボレLOVER」のアメフト観戦候補地

「ヒトメボレLOVER」の中河の私立男子校のモデルって市立西宮高校だと思うんですがどうでしょうか?「私立男子校」という事と「キョンの同級生が進学した市立」と重なる事を除けば地形はピッタリです。試合の時とか通りすがりの人がいつも眺めてますし。「校舎には入れないようで、敷地に沿って歩くと校庭」って事はキョン達は一ヶ谷でバスを降りて上ヶ原八番町の方から来ているみたいです。


2006年9月3日エントリーのコメント欄、 kiyomon229さんの発言より

との指摘を受けて、市立西宮高校(通称「市西」)が谷川流さんの短編「ヒトメボレLOVER」作中の描写に当てはまるか調べてみました。

    • 一致する点
      • 地形は見事なまでに一致。
      • アメリカン・フットボール部があり、グランドで試合が行われている。
      • 作中の練習試合は「隣町」の高校と行われるが、隣町にもアメフト部のある関西学院高等部がある。
      • 上記3項目が同時に当てはまる高校は西宮市内ではここしかない。
    • 矛盾する点
      • 私立男子校ではない。
      • SOS団集合場所である西宮北口からバスで半時も掛からない。
    • その他
      • 南に朝比奈みくるが投げ込まれた新池が隣接し、北に「学校を出よう!」の神田健一郎の家があるなど、谷川流作品の舞台の真っ只中にある。
      • ただしそれ故にキョンがここに初めて来たとするのは無理がある。キョンならば日常的にここを通っているはずだぞ、をぃ。


 矛盾点もあるのですが、市西以上に舞台モデルとして当てはまるところもないようです。100%の断言は避けておきますが、市西が「ヒトメボレLOVER」でアメフト練習試合を観戦した舞台である可能性は高いです。

  • という訳で現地の写真

 民営のバスに揺られること半時、降りたった停留所から数分のところにその男子校はあった。


谷川流涼宮ハルヒの動揺」149ページ

 西宮北口から上ヶ原六番町経由「甲東園」行きのバスに乗り「一ヶ谷町」バス停で降ります。同じ「甲東園」行きでも上ヶ原四番町経由だとこのバス停を通らないので注意が必要です。また「広田神社前」バス停で降りても行けるのですが、地形から考えるとSOS団が使ったのは「一ヶ谷町」バス停のようです。

「一ヶ谷町」バス停のすぐ北にある交差点を東に曲がって数分歩くと南に「市西」が見えてきます。正門は敷地の東側にあります。

 どうやら校舎内には入れないようで、


谷川流涼宮ハルヒの動揺」149ページ

 敷地に沿って歩いてるとすぐに金網フェンスに囲まれたグランドに出くわし、アメフトの練習試合はそこでやってた。


谷川流涼宮ハルヒの動揺」149ページ


クリックすると拡大して見ることができます。

「わあ、広い運動場ですね」
 朝比奈さんが感嘆するのもうなずける。山を削って無理から作ったと思われる北高と違い、平地にあって金もありそうなこの私立男子校のグラウンドはやたら面積が広かった。それも俺たちが立っている位置から一階程度低い場所にグラウンドは設置されており、ちょうど観戦には具合がいいような立地条件になっている。


谷川流涼宮ハルヒの動揺」149〜150ページ

 確かに道路からの観戦には向いていますね。ちなみに公式戦の日程は関西高等学校アメリカンフットボール連盟のサイトで調べることができます。