実践、不老健康長寿の秘訣を探れ!

敵(老化・病気)を知り、己(身体の成立ち・生きる仕組み)を知れば百戦危うからず

現代科学のパラダイムの起源

私たちが“科学”として学ぶ学問体系の枠組み(パラダイム)が築かれたのは、今からたった400年ほど前、「科学の時代」と言われている十六世紀〜十七世紀のことで、それほど古いことではありません。

それ以前の中世ヨーロッパの自然科学は、キリスト教の宗教的世界観に支配されるとともに、古代ギリシャアリストテレスプラトンなどの哲学者によって築かれた自然観(神の秩序)を主体とする学派が主流であり、さらには、魔術や迷信もまだ強く信じられ魔女狩りなども行われていました。

そこに、コペルニクス(1473〜1543)やガリレオ(1564〜1642)の登場によって「天動説」から「地動説」への一大転換(パラダイム・シフト)が起こります。

1610年にガリレオは望遠鏡を用いて、木星の衛星を発見するとともに、金星の満ち欠け、太陽黒点の証拠から、「地動説」が正しいと確信します。

今でこそ、誰も地球が宇宙の中心であるという「天動説」を信じる人などいませんが、今からたった400年ほど前、太陽も、月も、夜空に輝く満天の星々も、地球を中心に回っていると信じ込んでいた人々にとって、すべての価値観がひっくり返るほどの大事件だったのではないでしょうか。

「地動説」を確信したガリレオは、自然界の観察のみによって法則を見出していた従来の自然科学に疑問を抱き、実験を促して現象を検証する実験的手法によって自然の法則を記述し、客観性を持つ対象についての自説の正しさを数学的に証明することを重視し、数量化できない主観的な特性を除外しようと試みました。

同時期にあらわれた哲学者のフランシス・ベーコン(1561〜1626)は、実験によって一般的な結論を得た後、さらに実験を繰り返して始めの結論を検証する科学的手法「帰納法」を唱えます。そして、自然を支配するための知識を科学によって得ること。つまり、科学によって自然界を解き明かし制御し支配することを目指します。
さらには、科学的知識の確実性を求め、旧来の学派の思想を徹底して攻撃し伝統的な思想の一切を否定しました。

こうして、実験を行い、さらに同じ実験をくり返して前と同じ結果の再現性を確認する方法が現代科学の基礎となり、「迷信のように実験によって再現できないものは、非現実的なもの、非科学的なもの」という科学界のトラウマが築かれていきます。

さらに、哲学者であり数学者であるデカルト(1596〜1650)は、『方法序説』の中で、複雑な問題を二元論的に細かい要素に分けて、わずかでも疑わしいと思われるものを排していき、心と物、精神と物質は、その性質上はっきりと区別できる。そればかりでなく、心と物質の間には何の関係もないとする「物心二元論」を唱えます。

自然科学に対しては、客観的でないもの、数値に置き換えられないものは除外し、すべての自然現象を数学と結びつけようとし、自然を数式であらわすことのできる完全な機械、すなわち、世界を機械の集合体とみなした「機械論的世界観」や、複雑な現象を細かい構成要素に還元することによって、全体の理解が得られるとする「要素還元主義」を構築していきます。
それ故、測定されないもの、数値によってあらわせないものは科学の対象からは否定されると説きました。

このようにして、近代科学の基本的な考え方の枠組み(パラダイム)は、物理学と天文学の革命によって築かれ、ニュートンケプラーをはじめとして、その後の数多くの科学者たちの拠り所となり、さらなる新たな発見の積み重ねによって、その考え方がより確かで正しいものとして認知されるとともに今日までその枠組みは延々と受け継がれてきたのです。

それ故、現代の科学においては、数値化できるもの、測定できるもの、観測できるものを対象とした分野は、その研究や技術の目覚しい発展をとげていますが、測定されないもの、量によってあらわせないもの、客観的でないものは、科学の対象からは除外され、抽象的な概念や心理的、宗教的なもの、例えば、こころ(意識とか感情)、魂(生命力)、気などの不確かな存在、あるいは超常現象や超能力などの不確かな現象は科学の対象とはみなされず、無視される、或いは、否定されています。

参考書籍:パラダイム・ブック