いま「八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学」」(佐藤卓己 ちくま新書)を読んでいるのだが、自分が戦後教育を受けてきたことを再認識した。すげーショックだわ、この本。
 一例を挙げる。

 この写真を見たことがある人は多いと思う。例の「耐えがたきを耐え忍びがたきを忍び」の放送を聞いて皇居前に集まった群衆が土下座して天皇に詫びているという写真だ。
 ところでこれ、いつ撮影されたものだが知ってます? 実は昭和二十年八月十四日に撮影されたものなのだ。本書によると、カメラマンがお参りに来ていた人びとに呼びかけ土下座のポーズを取らせて写した写真が、翌日のこととして発表され、流通してきたらしい。ちなみに当日の新聞も「予定原稿」で書かれているのだとか。
 腹が立つのは、この事実、1975年に出た「天皇家の戦い」のあとがきにすでに書かれているらしい。75年といえば俺が生まれる前のことだ。なのに、今日までこれを15日の風景として疑わずに来ていた。「陛下に土下座」なんて行為は理解できねーと思いつつ、昔の日本人の考えは今と別物としか考えていなかった。なんのこたあない、マスコミの捏造じゃねーか。戦時中は大本営発表で自由な報道がなされなかったとはよく聞く話で、あの頃に戻ってはいけないなどとマスコミは言ったりもするけれど、現代を大日本帝国の敗戦から始めるのだとしたら、その第一歩はいきなり捏造なのか……。
 とにもかくにもショック。これ読み進めるとこのあと何が出てくるんだろ。ちと怖いぞ。というか、自分には衝撃的に過ぎる内容*1で、一気に読み進むには気力が間に合っていない。
 とりあえずマスメディアが腐っているのは今に始まったことでなく、戦時中が腐っていたわけでもなく、今も昔も腐っているのだということだけは痛感した。少なくとも30年間、俺は奴らにダマされていたのだ。悔しい。

*1:理由はよー分からないが、やっぱり受けた教育やら何やらの呪縛だろう。

佐藤卓己『八月十五日の神話 ――終戦記念日のメディア学』

追記7/31:こちらで著者による解題めいた記事が読める。
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
佐藤 卓己

4480062440
筑摩書房 2005-07-06
売り上げランキング : 298780

Amazonで詳しく見る
by G-Toolsisbn:4480062440

八月十五日が来るたび、先の戦争のことが語られる。だが、終戦の"世界標準"からすれば、玉音放送のあった「八・一五=終戦」ではなく、ポツダム宣言を受諾した八月一四日か、降伏文書に調印した九月二日が終戦の日である。にもかかわらず、「八・一五=終戦」となっているのは、なぜか。この問いに答えるべく本書は、「玉音写真」、新聞の終戦報道、お盆のラジオ放送、歴史教科書の終戦記述などを取り上げ、「終戦」の記憶がいかにして創られていったかを明らかにする。「先の戦争」とどう向き合うかを問い直す問題作である。

 読了。感想はまだまとまらないので気が向いたら。でも歴史好きは読むべきだと思う。強烈な本だった。

追記2015/06/20ちくま学芸文庫に入っていた。
増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学 (ちくま学芸文庫)
佐藤 卓己

448009654X
筑摩書房 2014-12-10
売り上げランキング : 184730

Amazonで詳しく見る
by G-Tools