オウム信者の幸福の科学

台風の影響なのか夜半に雨が降ったが、今はもうやんでいる。先週来時折晴れ間がのぞくものの、概ね曇り空である。もう梅雨入りといってもいいと思う。今日は週半ばの代休をとった。とにかく精神的に参って疲れがとれない。休みだけが薬だ。
▼既に衣替えの時期を過ぎたが、いまだに夏物の制服が届かない。仕方がないから冬物の下はTシャツだけにしてしのいでいる。冬は前年のものを着ればいいが、夏物は薄いので損傷が激しく、シーズンをまたいではとても使えない。毎年のことなのだから、総務の人は6月1日にきっちり間に合うようにしてもらいたい。こういうことがモチベーションに随分影響する。
▼とはいえ制服が支給されるだけでも恵まれていると思うべきだろう。うちの下請の段階になると、もう制服自体ないか、あっても給与天引である。作業服も道具も全て自前。日給ポッキリで福利厚生はゼロ。スポーツ新聞の求人欄に、いくら「寮完備、食事付」とうたわれていても、住居費、光熱費はもちろん、弁当代もしっかり引かれる。
▼建設業の賃金水準は、僕が学生の頃のバイト代と、この四半世紀全く変わっていない。一日八千円。月25日働いて20万。盆正月なく出たとしても年収240万。ボーナスや手当はいっさいないからそれで打ち止め。それ以上は残業とか夜勤とか日曜出勤するしかないが、不景気の今はそれも望めない。そこから所得税、住民税、国民年金国民健康保険を納める気になるだろうか?納める余力があるだろうか?
▼固定費は、寮生活なら前述の共益費。自分でアパートを借りればもっとかかる。車は車検に通らないような事故車を車検前に乗り換えてゆく。それはそれで新車市場や普通の中古車市場とは別のそれなりの市場と流通があるものだ。廃車寸前の五万とか十万の中古車がそうだ。それに通信費。現代社会においてケータイをもたないという選択肢はない。こんな状況で家庭を持ち子供を産み育てるというのは、傍から見れば蛮勇に近いものがあるかもしれない。
▼いったんそこまで落ちると二度と這い上がれないような底辺の生活水準は、一昔前なら土建屋と水商売くらいのものだったが、今や全国民の平均モデルとなりつつある。僕自身今の会社をやめれば、もう月20万くれるとこなんかないだろう。これが生活保護受給者増加の背景かと言われればそうかもしれないが、意外にみんな健気に働いている。生活保護の話なんて、少なくとも僕の周りでは聞いたことがない。
▼月収13万、家賃3万円。先ごろ逮捕されたオウム真理教菊地直子手配犯のトタン噴きアパートでの事実婚生活も、質素ではあるが今の日本で特別貧しいというわけでもないと思う。公開された写真の現在の菊地容疑者を、僕は妻の友人ではないかと錯覚してしまったほどだ。ただ同じ給与水準で風呂付1DKに住み、新車の軽自動車に乗り、オシャレを楽しむには、消費者金融に手を出すか売春でもするしかない。
▼一方で、平田容疑者が出頭し、今また菊地容疑者が捕まった。残る高橋容疑者も時間の問題だろう。百万、二百万では集まらなかった情報が、一千万の懸賞金になるととたんに増える。捕まった後になっても「私が以前に通報していた」と苦情が入る。僕の言う生活保護に親和性の高い人たちとは、こういう人たちのことである。
▼時に先日、デパートが夏物バーゲンの日程を遅らせるというニューズがあった。「日本人の消費習慣が、シーズン前に買うというものから、欲しい時に買うというものに変化したから」というその理由に、僕は心を打たれた。確かに僕が子供の頃は、洋服なんて年に何回も買うものじゃなかった。
▼年に二度、衣替えの前に次の季節に備えた買物をする。今の日本人が失くしてしまったのは、そんな慎ましい喜びや楽しみの類だろう。バブルを境に日本も日本人もすっかり変わってしまった。バブルを境に日本人が見失ったものを、菊地容疑者は17年に渡る潜伏生活の中で見つけたのかもしれない。オウム信者の若者たちが探していたものも、おどろおどろしい犯罪や革命などではなく、本当はそんな慎ましい何かだったのかもしれない。
▼菊地容疑者や、平田容疑者、平田を匿っていた斎藤容疑者の様子から、僕は高橋和己の「邪宗門」を思い出す。教団が崩壊し、カリスマ教祖がただの人になっても、脇を支える女性の忠誠の気持ちは変わらない。それどころか教祖が自分の手の届くところにおりてきたことに喜びすら覚える。それはもう忠誠というより愛だろう。
▼「麻原彰晃をもう信じてはいません」「高橋寛人さんを愛してしまった」人間の幸福とは、貧しくとも喜びや悲しみを共に分かち合える愛する人との具体的な生活の中にこそある。仕事はともかく家庭に恵まれた僕は幸せだね。