感想 アンソロジー『ウルトラQ dark fantasy』(角川ホラー文庫)

アンソロジーゆえ、一つ一つ軽い感想で。

  • 「らくがき」<原作:武井彩・著:梅津祐一>
    • 侵略系SF。 異と常のハザマを行ったりきたり。 そこそこ好き。
  • 「ウニトローダの恩返し」<原作:上原正三・著:岩佐まもる
    • SFの皮をかぶった人情劇。 妙に古き日本の香りのする話。 そこそこ好き。
  • 「楽園行き」<原作:村井さだゆき・著:長谷敏司
    • 余りに身近なデストピア。 ずん止まりの人達が辿り着いた楽園。 しかし・・・。 一番「ウルトラQ」っぽい、瞬きの差の不思議世界。 とても好き。
  • 「送り火」<原作:太田愛・著:相坂きいろ>
    • 身近に現れた都市伝説。 なんか青春っぽい。 それなりに好き。

 まず、始めるべき事(記憶力に挑戦シリーズ)

まず、彼が我々と同じ「人間」という事からはじめよう。 生物学的にはまったく同一の種であり、勤労に従事し、税金を払い、人権を有し、日本に住んでいた事から目をそらさないようにしよう。 「人間」は幾らでも「自分」以外*1を傷つけ、殺す事が可能であると認識しよう。
そして、彼がいわゆる「オタク」である事から肝に銘じよう。 濃い薄いなどの濃度は関係ない。 立派、みじめの対比も関係ない。 周りから見てそう見られる趣味、消費行動をするという点において、彼は「オタク」である。 ここから目をそらしてはいけない。
そして、「人間」である以上「オタク」であっても、人を傷つけ、殺しうる事を再確認しよう。 まずそこからだ。 そこが最初の立ち位置であるはずだ。 「オタク」じゃないなんて言い方は根底から立ち位置がおかしい。
私に彼を擁護する気持ちはまるでない。 処罰を受け、場合によっては十三階段をのぼる事すら当然だと思う。
でも、ふっと思う。
「彼」が「私」じゃ無かった理由はなんだろう? 「彼」と「私」を分ける差はなんだろう? もし、どこかで一歩踏み出していたら、「私」は「彼」になっていたのだろうか?
答えは見えない。

*1:時には「自分」さえ

 たった一つのまるで冴えないやり方

すっごい冴えない方法ですが、オタクバッシングとやらをどうにかする方法を一つ、思いつきました。 既にやり始められているような気もしますけどもね。
それは、大谷昭宏氏が二度と何かを発表できなくなるくらいに、徹底的にバッシングすることです。 つまり、オタクのマスコミ叩きのスケープゴートにする事です。 こうすれば、「安易にオタクを叩く」というのがリスクが高いと思わせることが可能でしょう。
マスコミ全部に勝たなくてもいい。 ただ噛み付いてきたらただではすまないと思い知らせるという、示威行為の一例として、大谷昭宏氏を再起不能にするというのは全く持って少しの冴えもありませんが有効な手段だと思います。
しっかしマジで冴えないなあ・・・。