中核誌問題

いいか! ここで中核誌勢力図を確認しておくぞ!
まあ問題というほどでもないんですが。
乙木の記さんの話から、オタクの中核誌、ある種のオピニオンリーダー誌とはどれであろうかというのを、考えてみたいと思います。
で、中核であるために必要な条件とは何であろうか、という事がまず浮かんできます。 これはひとつの指標を設定する事で、見えてきます。
その雑誌への投稿数。 これが最大の指標であります。 人が集まる所こそ中核であるはず、というわけですね。 そして人が多ければ多いほどレベルも高くなっていきます。 その観点から、ジャンル別に私がこれだろうと思うものをピックアップしていきましょう。

ゲーム

これはまず「電撃PS」誌が間違いなく断トツ。 ここでムーブメントがおきると対象ゲームがヒットする*1というだけでも大きな勢力なのが分かると思います。
もう一つの雄が「アルカディア」誌です。 その前身である「ゲーメスト」の頃からアーケードゲームシーンを引っ張ったり引っ張られたりしているのは伊達ではありません。 アーケードが下火ながらも高いレベルの投稿が維持されています。
ゲーム関係雑誌はこの二誌から裾野が広がっていくとイメージすると、分かりやすいと思います。
これに辺境の極星「CONTINUE」がくっついてくるという感じでしょうか。

漫画

さあ、いきなり難所がやってまいりました。 この分野はあまりに嗜好が多岐に渡る為、中核点がぼやけてしまいます。 基本は少年三誌だと思われますが、ことファン誌となるとこれがさっぱり。 昔ならば「ファンロード」という暗黒中継点がありましたが、これは最近は一回身売りするくらいに弱体化しまっていました。 結局はっきりとした中核点は見つけられなくなったというべきかもしれません。 ゆえに中核点はネットにいろんな固まりとして流れてしまっているのかもしれませんね。朝目新聞なんかはその最たるものだと思います。
ただ、ことイラストに関してなら「季刊エス」が鼻差で漫画関連雑誌を抜いている感はあります。

ライトノベル

ここは「電撃hp」、「ザ・スニーカー」、「ドラゴンマガジン」の天下三分の計の様相。  昔は「ドラマガ」がかなりの強さを誇っていましたが、他二誌の追撃で三分の計となってます。 短編集めの「電撃hp」、イラスト集めの「ザ・スニーカー」、読者投稿ネタの「ドラゴンマガジン」といった具合でじりじりとした戦いが行われていると思います。 この中に「ファウスト」誌が食い込んでいるような、いないような立ち位置であったりします。
 
以上、駆け足ながら私の趣味範囲の妄想勢力図を洗い出してみましたが、一つはっきり分かるのは具体的な一誌だけという状態ではないという事でしょうか。 それぞれ持ち味を持っている、いや持ち味が無いと弱っていくだけという事なのかもしれませんね。

もう一度中核について

実は上を書いた段階では本文をきっちり読んでなかったりします。 関係各位にはへこへこと頭を下げさせていただきます。 すんません。
で、よく読んで考え直して見ますと、そもそも「中核誌」ってあったのか?というのが浮かんできます。
初期の頃のオタクというの、ある種のコロニーを形成していて範囲的に狭かった。 それゆえにお互いの情報の浸透率が高く、ある種の協調がとれていただけで、雑誌メディアでの協調ってわけじゃなかったんじゃないかと思うのです。 その疑問のおもたるところとして、宮崎勤の時、オタク批判に立ち向かった雑誌メディアがあったのでしょうか? 確か大塚英志氏がひとり立ち回って空回ったという話を氏の著作で読んだ記憶がありますけれど、雑誌メディアがたったという話は聞きません。 知らないだけの可能性が高いんですけれどもね。
そもそも「中核誌」という考え方が出来るようになったのは、結構最近になってからじゃないだろうかと。 つまりそういえるような雑誌が生まれてきたから考えられるようになっただけで、昔から「オタクの意識統一誌」というものはなかったんじゃないか? いや、知らないだけなのかもしれないんで疑問を上げてるんですけれども。
そういう意味では「中核誌」が出来るのは、むしろ今からなのかもしれないなあ、と夢想して終わりにいたします。

 感想 鎌池和馬『とある魔術の禁書目録』

灰村キヨタカ電撃文庫・570円・ISBN:484022658X
内容を要約すると「駄目かと思ったらなんとかなった」
超能力開発学園都市に住む少年の元に唐突に舞い降りてきた「魔法の禁書目録」の少女をめぐってなんとなく喧嘩するお話。
さておき。
素晴らしいですね、やり過ぎ感が。
超能力を科学的に解明して使用する学園都市という、それだけでおなか一杯になりそうなネタの上に「魔法」という別のロジックをぶち込んでくるさらにその上に、主人公にそれらをなんとなく対処できる能力を与えてさらにさらにその上でその能力以外で対処しなければならない課題を与えて、それでもなんとなくクリアさせていくという展開のまたまたさらにその上に台詞や言葉の端々に違う読み方のルビをぶっこみまくって一事が万事大げさに言いまわしてくるというのはどう考えてもやり過ぎで突っ込み所に事欠かないんですが、しかしそれゆえに我々青少年の中坊神経(by篠房六郎)をビッコンビッコン刺激してくるわけでこれはある意味今の中高生世代の「スレイヤーズ!」、または「あかほりさとるに相当するんでしょう。 そう思うと、売れている理由が良く分かります。
よくよく読めば見えてくるのですがというかよく言われていますが、この作品の持つ文体の雰囲気っていうのはかなり「エロゲー」の形に近いんですね。 台詞ではなく地の分が三人称でがりがり主人公の心情を語ったり、同じ言葉が台詞だったり地の文だったりという見せ方は確かに「エロゲー」のそれに近いわけです。 で、今は「エロゲー」黄昏の時代。 それが受け入れられた時代。 それゆえにこういう表現が当然のようにするすると受け入れる素地があるわけで、それがゆえに作品が受け入れられるという点でみると、とある魔術の禁書目録」という作品は「スレイヤーズ!」が受け入れられた時のような位置に今、いるのではないでしょうか。
ああそれと、絵の印象も十分に強い、というかかなりヴィジュアルイメージを絵に頼っている感があるのも特徴的です。 それゆえにこの絵師選択をした電撃文庫の仕事とそれに答えた絵師の仕事、ともにお見事ですね。