ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ノーベル化学賞受賞の業績「パラジウム触媒クロスカップリング」と聖書の「触媒」

 2010年10月7日の新聞では、今年のノーベル化学賞受賞者に、普通の状態ではなかなか炭素同士が結び付かない中、パラジウムを触媒に効率よく好きな場所で繋げる事の出来る、「クロスカップリング」という方法を編み出した3人の研究者たちが選ばれた事を報じていました。特にそのうちの2人が日本人であった事で注目を集めました。
 カップリングは、ウイキペディアによりますと、「2つの化学物質を選択的に結合させる反応」とあり、ノーベル賞の場合では炭素ー炭素結合となります。
 その場合「結合する2つのユニットの構造が等しい場合はホモカップリング、異なる場合はクロスカップリング(またはヘテロカップリング)という」とあります。その説明で納得しました。一般にホモの構造があれば、次には互いに異質なものとしてのヘテロの構造があるというほうが分かりやすいです。しかし化学では後者がどういうわけかクロスで通っています。この言葉になぜこだわったかは、ひらめきに関わる事で後で説明します。
 とにかく根岸栄一氏、鈴木章氏、リチャード・ヘック氏の3人は、2種の化合物から特定の位置で炭素ー炭素を生成させるという難しい作業で、触媒としてパラジウム原子番号46)に目をつけ、それを用いて効率よく炭素同士を繋げる事に成功しました。それが様々な有機化合物の製造を可能にした為、その貢献度から言っても、ノーベル賞に値すると判断されたのでしょう。
 この触媒ですが、ウイキペデイアの定義では「特定の化学反応の反応速度を速める物質で、自身は反応の前後で変化しないものをいう」とあります。二者の仲立ちとなりながら、あくまで触媒は触媒のままという事です。
 そこから私は聖書の大切な事柄がひらめいたという点で、これは今はやりの言葉ではセレンディピティという事になるそうです。
 聖書の神は人間から超越した存在です。神と人間とを同列に置く異教の教えはありますが、聖書における両者の関係は絶対にホモではなく、ヘテロです。
 人間は罪を犯して堕落する以前、エデンの園にあっては、神とのカップリングがいつでも容易に出来ました。
 ところが堕落後は、人間の側に罪が存在する為、カップリングが不可能になりました。触媒なしの炭素ー炭素結合が通常不可能なようにです。
 「あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ」(イザヤ59:2)。
 このみことばから神と人との間にはどうにもならない深い溝が生じている事が分かります。
 しかし神は愛ですから、いつまでもそのような状態のまま人間が滅びる事を望んでおられません。間に入る方が必要です。それは触媒、或いは仲立ちといった言葉では言い表せない、もっと踏み込んだ「執り成し」(*執り成すとは、「不和、争い、叱責など激しく対立する双方の間に立って、その場の気まずい空気をうまくまとめる」と新明解国語辞典にあります)が必要なのです。しかもその方はいつまでも変わる事のない方でなければなりません。
 その方こそ救い主イエス・キリストなのです。神はこの執り成し人を世に遣わして下さいました。
 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」(ヨハネ第一4:9)。
 この方が神と人というヘテロのものをカップリングさせて下さったのです。(=ヘテロカップリング=クロスカップリング)。
 「…敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられた…」(ローマ5:10)。
 しかもこの方は一度死なれましたが、甦り、天に戻ってもまだ私たちの為に「執り成し」をして下さっている「いつまでも変わらない方」なのです。上記の触媒のように。
 「死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです」(ローマ8:34)。
 神と人とのかけ離れた違いがある為、ヘテロカップリング=クロスカップリングがひらめいたというわけです!