「編集の重要性」と「編集の影響力」

新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ
新聞の読者投書欄に投稿した内容が、新聞社の編集によって変えられてしまった、という記事へのレスポンスで、そんなもん素人が書いた見るに耐えないものなのだから、紙面に載せて人様に見せるんだから、体裁を整えるのは当然でしょ、編集は重要だ、という反論をしている。
この反論に関しては確かにそうよね、という感じで、私を含め素人が書いた文章なんて、まず校正を入れなければ一般的な記事とはできるわけもない。
ただ、読者投書欄って編集者が編集しているんだという風に読者は読んでるかしら?といえばそうでもないような。確かに反論としては正しいんだけど、じゃあ読者とのコンセンサスが得られているか、という点では疑問だよね。はじめから、「みなさまからお寄せいただいたご意見は、○○紙編集者が編集したものを掲載しています。」とか、「このコーナーは○○新聞と読者とのマッシュアップでお届けいたします。」とでも書いておけば、読者(と投稿者)のいらぬ誤解が防げると思うんだけどね。
それ以外に気になったところとしては、

なんか、最近みんな、目立つ人や大企業に対して怒りっぽすぎるよね。
まあ、これが格差社会ってことなのか。

新聞社で読者投稿欄の原稿修正をしてた者ですが - くろいぬの矛盾メモ

まぁ、なんでも格差社会にするのもどうかと思うけどなぁ。そもそも炎上だのその類のものって、企業や有名人に限らず、一般人、それも細々と私的なブログや日記をつけていた人でも起こってるわけでね。それに関連して、

叩かれまくりの倖田來未の騒動にしても、

ってのも、インターネット全盛の時代になる前から、格差社会なんていわれる前から、問題を起こした人、そういった発言をした人を叩いて喜ぶ人、それを煽る人たちはいたわけでさ。で、それを加速させていたのも、「編集の力」なんだよね。
倖田來未の一件って傍で見ていると何とも不思議な一件というかなんというか。発端はインターネットです、なんていいながらも、総力を挙げて取材して放送したり記事を書いたりしているんだよね。インターネットに巣食う器量の狭い連中は、こういった発言に目くじらを立ててるんですよ〜と言い訳して、結局は自分たちが面白いネタとして消化したかっただけなんじゃないの?と。同時にインターネットをくさすこともできて一挙両得ってか。
結局は、スキャンダルの理由付けが変わっただけって感じで、本質的なところは何にも変わっちゃいないんじゃないかな。要は「火がついているんです」という煽り文句が重要ってだけで。「不倫は文化だ」って言ったとされる人*1もそうだったような。
いやさ、ゴシップがだめなんだ〜とかそういうこっちゃなくてね、報道の自由とか、編集の重要性を叫ぶのはわかるし、そういったもののおかげで必要な情報を取捨選択してもらえるし、消化しやすい形にしてもらえるという点では恩恵にあやかっているんだけど、その一方で、そうした取捨選択や恣意的な編集によっては悪影響を及ぼし兼ねないってところもある。
ニュースなんかを見てて思うのは、特異な事件だったり、直感的感情的に面白い、ひきつけられるってものが頻度は高いし、その扱いも大きいよね。たとえば、動機が全く理解できない殺人事件とか、公園の遊具で子供が怪我をしたとか、食品偽装とか建築偽装とか航空機事故とか原発事故とか猿害とか。正直どうでもいいニュースから、一般の人に影響の大きいニュースまでさまざまだけど、その一方で、人々にとって本当に身近な危機は、あまりに「当然のこと」としてそれが特異なもの、感情を喚起するものではない限りは、それほど取り上げられない。たとえば、飲酒運転による事故で子供がなくなった、とかね。交通事故なんてのは本当に身近な危機で、1年間に死亡者は6,000人弱*2、負傷者は100万人を超える。
心理学の研究でなかなか面白いものがあって、こうした頻度が低いけどインパクトの強いものと、頻度が高いけどインパクトの低いものの、発生頻度を予測させるという実験があった。たとえば、交通事故と航空機事故、原発事故の起こる可能性を評価させると、交通事故では主観的な確率評価が客観的な確率評価よりも低く見積もられ、逆に航空機事故や原発事故では実際よりも確率が高いと見積もられている*3。殺人事件なんかでもそう。
良し悪しは別にしても、結果的には頻度の低いものがより高い確率で、頻度の高いものがより低い確率で、っていうリスク感覚を持たせることになってるんだよね*4。ただ、センセーショナルな話題を扱わないと視聴率が取れない、記事を読んでもらえない、満足度が低まるってのはわかるんだけど、報道の自由といった主張を見ていると、その主張の根拠となる社会的意義ってのを本当に果たしているんだろうか、って疑問に思うこともあるんだよね。まぁ、恣意的な編集の問題ってのはここで言わなくてもわかるだろうけど。
何が言いたいかっていうと、確かに編集は重要なんだけど、逆に編集次第でどうにでもできる、もしくは意図しなくてもどうにかなっちゃうって問題もあるということ。今回の発端となったケースは判断しかねる部分もあるけど、でも文句を言っている気持ちもよくわかるんだよね。特に、政治的な意見に関しては、デリケートに扱うべきだと思うし。「声」欄って名前載るよね。
編集は、場合によっては誤解や誤読を招くし、意図しない影響を及ぼすこともある。もちろん、それは読み手の問題だとも言えるんだけど、読み手のために編集が必要なのであれば、そういった点もあわせて考えないといけないかなと思う。やっぱり、バランスだよね*5

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

人間この信じやすきもの―迷信・誤信はどうして生まれるか (認知科学選書)

*1:実際には、「日本には古来より忍ぶ恋というものがあり、そのような男女の思いが優れた文学などの文化、芸術を生み出してきたということもある」と発言。

*2:徐々に減っているのはよい傾向だけど、それでも昨年度は5744名の方が交通事故で亡くなっています。

*3:交通事故より航空機事故のほうが頻度が高いと評価する、ってことじゃないよ。

*4:もちろん、これはメディアの影響ってだけじゃなくて、飛行機事故で言えば乗客の死亡率とかその規模だとか、そういった要因も強く働いている。

*5:なお、この文章の書き出し部分はあからさまにバランスを欠いた表現にしてみました。てへ。まぁ、冒頭部分に限らず、全体としてもバランスは悪いかも。