コミケは楽しい。

宅急便を出した後。


 というわけで、簡単にコミケレポ。
 昨日からCD-Rを焼くも、ドライブの調子が悪くて、「cat fantasista!」を焼いた時点でタヒチさんのCG集製作を断念。
 朝、電車で有明に向かう。昨日は雪が降っていたのに、今日は晴れていて良かった。電車でのコミケ参加は本当に久々だ。新宿駅で番長(id:Bang-cho)と待ち合わせて会場入り。サクサク設営も完了。
 そうこうしているうちに開場したので、自分のサークルをZ君と番長に任せて、買いに走る。最初は例によって甲冑娘に並ぶ。無事に新刊を買い、その後は東4〜6ホールを絨毯爆撃。一通り回ったところで一度自分のサークルに戻ったらMS−4くん(id:ms-4)が来ていて、売り子をやってくれていた。在り難い。
 荷物を置いて、今度は東1〜3を回りながら挨拶回りをする。コミケではいつも会えない人に会えるのが嬉しい。
 やはり今回も、男性向けではこれといったブームはなく、細分化が進んでいるようだ。しかし、ブームが起きるかどうかよりも、個々人が自分が好きなものを書くことのほうが重要だし、個人的には、今年はここ数年よりもそうした作家が増えているように思えるので、良いことだと思う。
 その後、東4〜6ホールで挨拶回りをして、自分のサークルに戻り、売り子をしようと思ったのだが、思わぬアクシデントが起きて、そのフォローに忙殺される。
 延々とその作業をしているうちに閉会。電車の都合でZ君帰る。お疲れ様でした。
 その後、MS−4くんと番長に手伝ってもらって、何とか撤収作業終了。ビックサイトを後にして、一路、新宿へ。新宿でKくん(id:tsune2)と合流して、番長の大好きな天狗へ。
 MS-4くんインタビューと称しながら、80年代後期〜90年代前半のOTAKU/サブカルチャーについて語りまくり。思わず、メモを取ってみたり。来年は今までにない視点からOTAKU文化論を展開しようと心に誓う。
 その後、酔っ払った番長が何だかハイになって二次会に行こうということになって、河岸を変えて二次会突入。そこでもOTAKU文化論について熱い議論が戦わされる。番長、Kくんは95年以前のOTAKU文化賛美主義者の立場を取ったので、意図的に東浩紀さん(id:hazuma)の

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

、およびギャルゲー擁護の立場を取る。
 一次会、二次会を通じてポイントになったのは、世代論の有効性。
 ここでぼくが世代論について主張・定義したのは以下のとおり。

・世代論は、確かにいいかげんなものだが、文化を通史的に語る場合、特に戦後のポップカルチャーを語る場合にはそれなりに使える。
・ぼくの考える世代論は、ある文化、世代を10年ごとに区切り、その区分ごとに起きた事件などを列挙し、その世代の「平均像」をまず作り、その平均像から逸脱したものや、平均像と個々の人間を比較するというもので、平均像に逸脱・合致することについての善悪を問うものではない。

 つまり、議論の過程で世代論は打ち捨てられるべき梯子なわけだ。
 また、世代論のメリットは、同じ世代、同じ趣味人同士による「あの頃は良かったよね」話から脱却できるという点だ。
 ぼくは、オタクという人格類型あるいは社会集団について語ることにはあまり興味がない。ぼくが興味があるのはOTAKU文化だ。しかし、今までのOTAKU論はあまりに二者を混同している人が多く、(また他の要因もあって)OTAKUをめぐるイデオロギー闘争になっている。
 ぼくは、そうした不毛な争いを散々見てきた。そうならないOTAKU論を今年は展開できないかと思っている。

 閑話休題。最初、K君が寝て、MS−4君インタビューと言いながら、番長が喋りまくり、たまにキラリと光ることを言うMS−4君という流れが続き、3時ごろになって、番長、轟沈(笑)。それと入れ替わりにK君復活。何だかんだで4時半まで語りまくり。
 帰るときには番長は全ての精気が抜けまくっていて、エレベーターの中で立ったまま寝ていた(笑)。
 そんなこんなで楽しい年末でした。皆、有難うね。

2005年1月1日追記:もちろん、「あの頃は良かったよね」話自体を否定するつもりはない。ただ、それが他の世代に対して抑圧になる可能性、とりわけ、ネットや活字媒体などでそれを行うことの不毛さには注意する必要があるし、だからこそ、上記のように、個人の実感を一度、棚上げするための世代的平均値を取る作業が重要なのだ。あと、オタクの起源は唐沢俊一氏、岡田斗司夫氏、大塚英志氏らの世代と考え、その世代を第一世代と考えている。世代を十年で分割する根拠は、10年がポップカルチャーの変遷を一つの連続体としてとらえうるもっとも長いスパンであること、嬰児が子どもに、子どもが青年に、青年が大人へと成長していく段階の区分であることによる。