第1章(コラム)政治エリートの大学コースPPE

長期連載:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治*1

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
 (1)保守党は組織とは呼びづらいモザイク状のコミュニティ
 (2)党本部は党首を支援するキャンペーンのプロ組織
 (コラム)保守党本部の職場環境
 (3)保守党調査部はエリートを抱え政治的ストーリーをつくる
 (4)保守党国際部は党の外交機能を持つ
 (5)税金を投じて途上国の政治に投資する
 (6)政党間国際連盟を通じて政党外交を行う
 (コラム)首相官邸・ナンバー10に「お邪魔しました」
 (7)毎年秋に開かれる党大会は党の趨勢を決める…こともある
 (8)政党支部の活動はかなり地味である
 (コラム)政治エリートの大学コースPPE
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 日本の伝統的な政治エリートの大学と言えば東京大学法学部だろうが、イギリスでの政治エリートの大学と言えばどこなのだろうか。その答えは、オックスフォード大学の中でも哲学・政治・経済(Philosophy, Politics and Economics、通称PPE)コースという、学際的な学位である。元々はオックスフォード大学で始まったこの学際的なコースは、現在ではイギリス国内の他の有名大学や、国外の大学まで含めて広まってきている。PPEコースは文字通り、哲学、政治、経済の三つの学問領域を組み合わせたコースである。その中心には、社会的な現象を理解するためには、原理・原則や思想史の観点から社会現象を位置づけ(哲学)、現象の現状のパワーダイナミクスを理解して(政治)、その現象による関係者の間の利害関係を分析する(経済)ことが求められる、という考え方がある。イギリスの大学は三年間で学士を取得するため、限られた時間の中で、非常に多岐にわたることを学ぶこととなる。
 オックスフォード大学のPPEコースの卒業生には実にそうそうたる顔ぶれが並ぶ。現在のイギリス政治の有力者で言えば、キャメロン元首相、ヘイグ元外相などの保守党の有力政治家だけではなく、2015年総選挙まで労働党党首を務めたエド・ミリバンドや、彼の兄でかつてエド労働党党首の座を争ったデイビッド・ミリバンド氏もオックスフォード大学のPPE出身である。イギリス国内ではその他にも多数の官僚や著名なジャーナリストを輩出している。さらには、オーストラリアのアボット首相もその卒業生であり、イギリス連邦の国々の多くの大統領や首相もまた出身者である。アメリカのクリントン元大統領は後にイエール大学にプログラム変更をしたため、卒業はしていないが、オックスフォード大学PPEコースで学んだことがある。保守系の政治エリートが集まると書いた保守党調査部にも、多くのオックスフォード大学PPEコース卒業生がいた。確認はできていないが、労働党本部も同じような状況ではないだろうか。オックスフォード大学のPPEコースで学ぶ内容もさることながら、そのネットワークも後のキャリアに有益であり、このような「学閥」とも呼べるようなコミュニティができたのであろう。
 一方で、日本でも政治家や官僚における東大法学部比率が徐々に減少してきていることと同じように、イギリスでもオックスフォード大学PPEコースの卒業生の占める比率も減り、多様化・多元化が進んでいるようだ。BBCラジオで政治ジャーナリストが、2015年の庶民院議員選挙を振り返って、70人程度の保守党の新人議員の顔ぶれを見ながら、この保守党新人議員たちは「これまでより男性、白人、オックブリッジ、ストレートの占める割合が少ない(less male, less white, less Ox-Bridge, less straight)」と評していた。男性や白人はそのままとして、less Ox-Bridgeとはオックスフォード大学またはケンブリッジ大学以外の卒業生が多いこと、less straightとはゲイ・レズビアンが多いこと、がその意味だ。逆にいうとこれまでは、オックスブリッジ出身でストレートの白人男性、というのが典型的な保守党議員だったが、それが徐々に変わりつつあるということである。
 オックスフォード大学もそうであるが、基本的には全ての大学には、保守党青年部が存在する。青年部に所属する学生は、有名大学ではより人数が多く、また、保守党の地盤が強いところでも保守党青年部の人数が多い。大学によっ公式なコミュニティ(society)として認定する基準人数があり、その人数をそろえることに苦慮している大学も多い。青年部の活動は、パーティなどのソーシャル活動、ディベート、スピーカーイベント、キャンペーン活動などである。キャンペーン活動は年間を通して行われてる基礎的な活動と、総選挙や統一地方選挙がおこなわれる直前の4月の活動の両方があり、4月の活動がもっとも多い。キャンペーン活動や地方議員により運営されることも多いが、青年部のメンバーがより、リーダーシップの役割を果たすことができる機会でもある。キャンペーン活動では近隣の候補者を支援することもあるが、その他の青年部や全国青年部、党本部(CCHQ)とのコミュニケーションは希薄である。青年部の活動で、ソーシャルイベントの参加だけではなくその他の活動にも参加しているようなメンバーは、大学の卒業後に保守党の党員となることが多い。党大会への参加の青年価格は、申込のタイミングにもよるが、25ポンドからスタートして、直前には100ポンド程度になる。

*1:本連載に記載の事実や認識は、個別に示されたものを除き、2015年9月時点のものである。

第2章(コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活

目次
序章:日本人初の英国与党党本部での経験を勝ち取るまで
第1章:イギリス与党保守党本部から見たイギリスの政府・与党
第2章:イギリス議会から見たイギリスの首相と国会議員
 (コラム)「ブツブツうるさいバカ」という首相の失言で幕を開けた議員秘書生活
第3章:ロンドン市長選挙対策本部から見たイギリスの選挙
第4章:イギリス政治のインサイダーから見た2015年総選挙
第5章:ロンドン大学政治経済学院(LSE)から見た日英政治比較
終章:日本化するイギリス政治、イギリス化する日本政治

本文
 ロンドン市長選挙での選挙対策本部での仕事を終えて、しばしの休暇の後、2012年の5月21日から私はジェイコブ・リース・モグ議員の議会事務所で議員秘書として働き始めた。実際に働き始める数週間前には、議会でのIDパスを取得するために必要な申請書が自宅に送られてきたり、庶民院の図書館(House of Commons Library)の使い方を教わるためのトレーニングや、広くて、迷宮のような議会を案内してもらうためのツアーの日程調整などでメールが送られてきたりと、「いよいよ」と気持ちが高まっていた。経営コンサルタントとしても様々なクライアント企業のオフィスで働いことがあるし、台湾政府でもインターンをしたことがあり、保守党本部で働き始めてからも様々な場所で働いてきたが、これだけの歴史と伝統がある場所で働くのは初めてのことである。観光スポットとして常にロンドンを象徴してきたあの建物の中で働くことができるだけでも、ワクワクしていたのが正直なところだ。

 5月21日の朝、リース・モグ議員との面接の際に待ち合わせをした同じ場所で、事前にメールでやりとりをしていた議員秘書と待ち合わせることになった。現れたのは、保守党本部での初日に私を出迎えてくれた時と同じく、若い女性のスタッフだった。その後、数か月にわたって同じ部屋で一緒に働いた彼女もまた、オックスフォード大学出身で、非常に聡明な方だった。彼女は大学を卒業してすぐにリース・モグ議員の事務所で働き始め、私と会ったときには、約8か月ほどが経った頃だったと思う。これから一緒に働く同僚として挨拶をして、早速、広い議会の中で私が迷子にならないよう、様々な場所を案内してくれた。外から見ても広い議会は、絵葉書に写っていることが多い伝統的な建物だけではなく、通りを隔てたよりモダンな建物とも地下でつながっており、セキュリティパスを持って移動できる範囲は思った以上に広い。そして、歴史的な建物なので、中が非常に複雑である。しばらくは、時折、道に迷うであろうことを覚悟した。

 仕事を始めたばかりの当初三日間はいくつかのイベントがあった。

 初日は、庶民院のライブラリで行われるレクチャーに参加した。ライブラリでは、様々なレクチャーを議会のスタッフや関係者向けに開催している。この日はちょうど、直前に行われた、私が選挙対策本部にいたロンドン市長選挙を含む地方選挙の結果が、そのトピックであった。私は自分自身が直接かかわっていたこともあり、事前にお願いして、こちらのレクチャーに参加させてもらえるようにお願いしていた。そこでは、地方選挙の結果を、より長期的なトレンドに位置付けてデータを提示されていて、「保守党の惨敗」と言われた選挙結果に対して、やや異なる見方を与えてくれた。すなわち、保守党も労働党も、政権与党である期間は、地方選挙における得票率が下がり続けるのである。それも、ちょっとやそってではない。サッチャー政権が誕生する直前の1996年に45%だった得票率は、労働党政権が誕生する2年前の1995年には25%にまで下がっている。同様に労働党も、同年に47%の得票率を獲得したのち、2010年の政権交代直前の2009年には22%にまで得票率が下がっている。こうして考えると、政権与党が地方選挙で「改選議席を大きく下回る惨敗」を喫することはいわば既定路線なのである。

 二日目は議会の中のガイド付きツアーに参加した。これは事前に予約してお金を払うと観光客としても参加できるもので、議会の中の特に表舞台については、かなり広範囲にわたって解説をして歩いてくれる。ただ、当然ながら歴史の解説が多いため、イギリスの歴史に詳しくない私には、ついていくことがなかなか難しかった。それでも、表舞台における現在も残る議会の様々な慣習については、聞いているだけで理解できるので非常に興味深い。特に、イギリスは国王(女王)が国家君主であり、イギリスの最高立法機関は正式には、庶民院貴族院そして国王君主の三者で成り立っている。したがって、イギリス議会には国家君主である国王(女王)にまつわる慣習が多く残っている。立法過程も庶民院貴族院のそれぞれで可決された後、最終的には、国王の裁可(Royal Assent)をもって、法案が法律となる。また、イギリス政府の正式名称も女王陛下の政府(Her Majesty's Government)であり、政府の所信表明演説も首相ではなく、国王(女王)によって行われる。その際に国王(女王)が待機している部屋や、そこからどのような手順で貴族院に向かい、そして、そこからいかに、庶民院議員が貴族院の入り口にくるのか、そういった儀式が慣習として残っている。そうした一連の儀式の解説を受けることもできる。

 三日目は、その日に誕生日だった私は天からの誕生日プレゼントか、何とも幸運なことに、イギリス政治の晴れの舞台である、首相のクエスチョンタイムを生で見ることができた。庶民院のライブラリの使い方について解説を受けるセッションもあったが、そちらはもはや、マイナーなイベントとなってしまった。首相のクエスチョンタイムは前述の通り、議会開会中は毎週水曜日の正午から30分間行われる。ここでの首相と野党第一党の党首(影の首相)とのディベートはメディアの注目を受け、その日のニュースの中でも紹介されることが多い、イギリス政治の晴れの舞台である。庶民院には議場の入口の真上に傍聴席がある。それだけの晴れ舞台のチケットは人気があり、それぞれの庶民院議員が与えられるチケットの数は決まっていて、当然ながら、地元の有権者が優先される。ただ、そうしたチケットを持っていなくても、運良く、その日に空きがあれば傍聴席のチケットを得ることができ、私はその幸運にあずかった。だが、この日のクエスチョンタイムでは、キャメロン首相や保守党にとっては不運なことがあった。影の財務大臣であるエド・ボール議員のヤジに冷静さを失い、つい、彼に向って「私の向かい側に座っている、あのブツブツうるさいバカ(the muttering idiot sitting opposite to me)」と発言してしまったのである。議場はすぐにその発言をはやし立てるヤジで大盛り上がりとなり、議長は「バカ」という言葉は議会の慣例に反する(unparliamentary)言葉なので、撤回を求め、首相はそれに応じた。ヤジの内容はその直近に出版された本の中で、「キャメロン首相が日曜日のランチに3~4杯のワインを飲みリラックスする」と書かれたことについて、それを挑発するような内容だったと言われているが、日本と同じくヤジは公式な記録には残らないため真偽のほどは確かではない。ただ、良いかどうかは別として、首相のクエスチョンタイムというものが、どれだけ熱を帯びるのかを示す良いエピソードだろう。

 こうして、最初の数日は様々なイベントがありつつ、その後、数か月にわたる議員秘書としての仕事がスタートした。