Lonesome-happy-days

2018-08-05

[]メモランダム20180805〜ワタシは「生産性なし?」。でも、人として、生きてます(笑)

 とある自民党議員が保守系雑誌投稿したLGBTに関する文章話題になっている折、火に油を注ぐかのごとく、同党の別の議員が、テレビで失言をしました。

自民杉田寄稿批判相次ぐ LGBT「生産性ない」

 →https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33618520R30C18A7PP8000/ 

LGBTに冷たい自民 謝罪撤回求めず口頭指導

 →http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201808/CK2018080302000146.html

 これがたぶん、“サイレントマジョリティ”の見解なのかもな?と思っています。ワタシ。

 彼らに対する党幹部の甘々な対応から見ても明らかですし、任期中に少しでも爪痕を残したい若手議員からすれば、保守ガチガチのいまの政権与党の中で認められるには、世論を騒がせるような(しかし政権のホンネにおもねるような)ことを投げかけて自己アピール・点数稼ぎをしたかったのでしょう。バカですね。とは言え、これは少なくない人達を喜ばせるホンネには違いないようです。

 ですからこのニュースを耳にして、私は「怒り」よりも「ガッカリ」という気持ちが大きかったです。

 「国民」の仕事を奪うとして移民排除し、品物の安さが不公平だとして特定の国の輸入品関税を上乗せする、どこかの国のおかしな大統領と同じだな、なんて。

 異物は排除して、自分たちの考える「純正もの」だけの社会にしようなどという、狭量かつ偏向した考え方。

 私たちはようやく様々な経験を重ねて、この世界の「多様性」を知り、それを認めて共存していくことの大切さを学んできたはずなのに、その人類の経験をあえて否定しようとするのは、只の「揺り戻し」でしかないと私は信じているのですが、先日、ワタシの職場管理職会議ダイバーシティ話題になったとき、「この(ダイバーシティの)動きは、いつ、沈静化するんだろうね・・・。」などという発言があって驚いたのですが(つまり一時の“流行”に過ぎないのだということを言いたかった模様。)、世のコンサバなオジサンたちは、もしかするとそんな意識のままなのかも知れません。やれやれです。

 まあある意味、今回問題発言をした議員たちのことも「それはそれでいいんじゃないですか?」として捉えるのが一種の「多様性」を認めることになるのでしょうから(「公人」の発言としては配慮に欠けますけれど)、今回の発言から私たちがそれぞれ何かを感じ、考えていくことがより重要ことなのかも知れません。

******

 ちょっと話はズレますが、最近、こんなことを考えているのです。

 友情と、恋愛感情と、家族愛とは、何が違うのか?ということ。ワタシ、正直その違いがよくわからないのです。

 ここでは、ややこしくなるので例えば職場の同僚など「公」の付き合いの方は外すとして、「私」で付き合っている人たちは、少なくとも「好きだから」自ら交際しているわけで、そこには意識する意識しないにかかわらず「その人への愛情」や「その人を大切に思う気持ち」があるように思うのです。そしてそうした想いの強さと、同性か・異性か・親族か、という組み合わせの中でこれは「友情だ」「恋愛だ」「家族愛だ」と私たち区別しているに過ぎないのかも、と。実は、その本質は同じものなのではないか、と。

 そして、多様化が受け入れられる中で、その組み合わせも多様化していて、それこそ『万引き家族』のように血縁関係は全くなくとも家族以上に家族愛に溢れた関係になることもあるでしょうし、異性間での友情が同性同士の友情を超えたものになることも良く聞く話です。ゲイ場合は、「友情」か「恋愛」かという分類さえ曖昧で、肉体的な関係を持ちながらも普段はあくまでも同性の友達同士として付き合い、そこから先の私生活の部分までは曝け出すことをしない、なんてことも普通のことです。ただそうした場合も「相手のことを大切に思っている」という想いが根底に無ければ、友情は成り立たない。それが無いと、いくら肉体関係があっても決して長続きしません。

 はい。いま付き合っている人は、私と同性で、恋人であり、時に家族のようであり、そして大切な友達です。一言で言えば、「ワタシのとても大切な人」です。”

 この、一人の“ひと”として自然に感じていることを、感覚の違う第三者からおかしい」とか「生産性がない」とか「趣味でしかない」とか言われたとしても、それでこの思いを変えられるわけでもないし、変える必要もない、ただそれだけのことなのでしょうね。

2018-07-30

[]古今東西〜「太田裕美コンサート2018」レポ〜

心が風邪をひいた日 今回は、「太田裕美コンサート2018」と冠され、東京から京都、2週連続で開催された太田さんのソロコンサートをまとめてレポです。そう、ワタシ、贅沢にも両日参加出来ました。感謝カンゲキでございます

 近年はコラボ形式ライブ中心の太田さん。その分マニアック選曲が魅力のソロコンサートの貴重さは年々高まって、チケットは今回も早々と完売。某チケット流通サイトでは倍額以上で取引されたりしていてビックラこいたのだけど、実際、会場は両日とも妙齢の(?)男性ファンを中心に(女性ファンも年々増加中!)ぎゅうぎゅうの満席で、熱気(と加齢臭?・・・人のことは言えませんが(苦笑))に溢れていたし、まさに「プラチナチケット化」していることが肌で感じられたのだ。

 今年は、7/22の東京公演が恵比寿ザ・ガーデンホール、7/28の京都公演は京都劇場と、2回とも太田さんとしては初めての会場で、特に京都劇場の方は久々の1000人規模の会場ということで、結婚休業以降一貫して小さめの会場で手作り感満載のコンサートを続けてきた太田さんとしては、今年は明らかに何か一つ「突き抜けた感」があったように思えた。f:id:hiroc-fontana:20180730202645j:image:medium:right

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 その「一段突き抜けた」という感覚ホールの大きさや音響はもちろん、今回久しぶりにバックにドラムス(楠均さん)が加わってサウンドが確実にグレードアップしたことがまず、ひとつ。しかし何よりも大きかったのが、またもや太田さんのボーカル奇跡のように進化を遂げたこと、それに尽きる気がするのね。

 進化した太田さんの声。大きめのホールの隅々までファルセットが響きまくり、時おりの微妙なウィスパー表現も、マイクニュアンスがしっかり乗ってファンの耳に届くようになった。本当の意味で、その声一つで1000人近いオーディエンスを魅了する、オンリーワンシンガー太田裕美がそこにいて。時に歌詞を間違えたり、音程がフラットになったり、そこは相変わらずナンチャッテ太田さんも勿論健在ではあるけれど(そんな自然体こそが太田裕美の魅力でもあるわけだけれど)、そこに本来の声の魅力が120%加わった感のある今の太田さんは、まさに奇跡(経歴ウン十年にして・・だからこそ余計に)、そう思えたのだ。

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 さて、今回の2公演。セットリストはほぼ同一で、途中のトーク内容も題材的には同じだった訳だけど、2週連続での参戦はさすがにダレるかもと、私自身、当初は危惧していたものの、いざ2回目の京都では、却って太田さんの素晴らしい歌そのものに集中できたりして、両日ともにそれぞれの楽しみ方で楽しめた、そんな感じ。

 ではいつもの通り、両日のセットリストと恒例の太田さんの楽しいトークを振り返ってみます。(なお今回、特に片方の公演だけで見られたトーク内容や曲に限っては一応、「(T)=東京公演」、「(K)=京都公演」と分けて記しています。)

☆オープニング BGM〜銀河急行に乗って(リプライズ)〜

(中央スタンドマイク太田さん登場。白いブラウスに水色のミモレのスカート。すごく似合っていて可愛いスカートから覗く足がとてもキレイなのにもビックリ。)

1.タイムマシーン(2014・AL『tutumikko』)

(♪タイムマシンに乗って〜のフレーズで腕をグルグルと回す振り付けがチャーミングでした。)

2.銀河急行に乗って(1975・AL『心が風邪をひいた日』)

〜(Kタイムマシーンと銀河急行に乗ってスタートして、1975年まで戻っちゃいました(笑)

〜今回は真夏コンサートということで、夏の曲をたくさん歌わせて頂きます今日は、色々な私が出てきますよ。裕美ちゃん、裕美さん、裕美くん、裕美さま、と(笑)

〜先日、Rolly寺西さんのコンサートゲストで呼ばれて、Rollyさんが作詞してくださった、この曲を歌わせてもらいました。私のコンサートでは初めて歌います

3.瞳のウフフ(1999・AL『Candy』)

イントロで小さな鉄琴を叩く太田さん。)

4.南風(1980・17thSG)

5.心象風景(1977・AL『こけてぃっしゅ』)

(余りにもすばらしい歌声に、思わず白昼夢に引きずり込まれてしまったワタシ。)

ピアノ弾き語り

6.夏風通信(1977・AL『こけてぃっしゅ』)

〜当時のレコーディング結構ハイペースで忙しかったのですけど、制作前のリサーチのような形で、筒美先生松本さんが時間を割いて色々と話を聞いて下さったりして、楽しかったのを覚えています。その中で「今どんな曲を聴いているの?」と筒美先生から訊かれたとき、当時大好きだったオリビア・ニュートン・ジョンの「ヒム」(←太田さん、正確には「SAM」ですよ・・。)という曲のことを話したら、筒美先生が同じイメージのとても素敵な3拍子の曲を作って下さいました。それが「夏風通信」で、今も大好きな曲です。

7.袋小路(1975・AL『心が風邪を引いた日』)

☆メンバー紹介

 おそらくパシフィック・ビーナス号の船上ライブ関連の話。メンバーで利尻島に行ったときのエピソードで、唯一利尻に行ったことがある岩井さんがガイドとして大活躍した話や、西海さんは船内でもずっとビールを飲み続けていたので、プリンマン(?)として紹介(会場、(笑))。一方ドラム・楠さんは1983 年以来のセッションとのことで、その時代テクノ時代)を太田裕美の「黒歴史」として自ら紹介し、会場はまたも爆笑((K)でもその後ツイッターでファンから自分はあの時代の曲に救われたので、「黒歴史」なんて言わないで欲しい」と呟かれたエピソードも紹介。)話の流れで次の曲は楠さんがメンバーでもある「くじら」の作品演奏

ギターを手に〜

8.ランドリー1984・AL『TAMATEBAKO』)

9.満月の夜君んちに行ったよ(1983・20thSG&AL『I Do,You Do』)

〜(K)このアルバムでは大人の童謡のようなコンセプトで曲を書きまして、私の息子たちもこの曲、好きと言ってくれて一緒に歌ってくれたりしましたね。子供に向けて、みたいな気持ちもあったのかしら?いやいや。(・・と独りごちる太田さん。)以上、ここでは「裕美くん」を出しました(笑)が、次は「裕美さん」的な大人っぽい曲をお送りします(微笑)。

10Summer End Samba1978年・AL『エレガンス』)

ピアニカ演奏イントロでのピアニカから息つぐ間もなく歌い出す太田さんがナニゲにスゴかったです。)

11.nenne1978年・AL『海が泣いている』)

〜(K)『海が泣いている』は、「ロスアンジェルスで録音すると音が乾いた感じになって、ジメジメした日本でレコーディングしたのとは全然違う音になるんですってよ」(笑)とかテキトーなことをレコード会社に言って、結局はご褒美みたいな形でロスでのレコーディングが実現したんです。約15日間の録音期間(←こんなに短かったとは、初耳!)で、もちろん頑張ってオケ録りもしましたけど、ディズニーランドとかもちゃっかり遊びに行きました(笑)

(ここで、初めて太田裕美コンサートにいらっしゃった方は?と会場に質問を投げかける太田さん。(T)では「42人くらいかしら?」。(K)では「やっぱり会場が大きいから、初めての方も多いみたいですね。87人くらい?」。)

〜ここまで、色々な太田裕美を知って頂けたとは思いますが、初めての方はあまり知らない曲ばっかりだったかも知れませんね、次からは皆さんの知っている曲を歌います

ピアノ

12.赤いハイヒール1976年・6thSG&AL『手作り画集』)

〜スタンドマイク

13.※日替わりメニュー(1)

T)僕は君の涙1998年・AL『魂のピリオド』)

K)九月の雨1977年・9thSG&AL『こけてぃっしゅ』)

14.木綿のハンカチーフ1975年・4thSG&AL『心が風邪を引いた日』)

〜次は、新しい曲を歌います。去年の7月に録音して、8月と9月の朝ドラ劇中歌として流れた曲です。ドラマ昭和舞台にしているのでディレクターが「昭和ラブソングを歌うとしたら太田裕美だ」と言うことで声を掛けて頂いたようです。デビューして長い年月を経て、いまだに新しい曲、それもラブソングを歌わせて頂けるというのは、本当に嬉しい、歌手として幸せなことですね。〜(K)でも平成ではなく昭和から、ワタシって・・・(←自虐?)もうすぐ平成も終わっちゃうし、まあそれでもいいか(会場、笑)。

ピアノ

15.恋のうた2017年・ALサントラ『ひよっこ』)

16.恋愛遊戯(1977・8thSG&AL『こけてぃっしゅ』

17.ひぐらし(1975・AL『心が風邪を引いた日』)

(いつになく説得力あるニュアンスボーカル披露しながら、最後はスタンディングでピアノを連打する、ノリノリの太田さん。ちなみに♪京都に着くわ〜 の後の叫び声は、(T)「次は京都!」、(K)「ここは京都!」。)

アンコール。メンバー全員、オリジナルTシャツで登場。

ピアノ

18.※日替わりメニュー(2)

T)魂のピリオド1998年・AL『魂のピリオド』)

K)七つの願いごと(1975・AL『心が風邪を引いた日』)

〜(K)(7/28京都は関西に台風が接近する中の開催。)今日は、白川さん、そして天国にいる大瀧さんの誕生日なので、どうしてもコンサートがしたかったんです。「ハッピーバースデー!!」(と叫んでラス曲へ。)

〜中央スタンドマイク

19.さらばシベリア鉄道1980年・19thSG&AL『12月旅人』)

(☆京都会場では、会場全体がスタンディングで太田さんに応える。よかったですわ。)

(EG&B&Per:岩井眞一、AG:西海孝、Drums:楠均)

 さて、今回の怒涛の連チャンコンサートでのhiroc-fontana、本文にも書いたような「太田裕美の新たな1ページ」を感じながらも一方ではやはり、例えば東京アンコールで「魂のピリオド」のイントロが流れたときや、京都で「夏風通信」の歌声に浸っていたとき、まさに自分の中の様々な思い出の場所タイムマシーンに乗って訪れている自分がいて、いつの間にやら涙が頬を伝い、指でそれを幾度となく拭わざるを得なかったのでした。

 太田さんはいつも、「今もこうして歌い続けられることに、感謝している」と言われるけれど、ワタシこそ、あなたが今も変わらず素敵な声で歌い続けていてくれることに感謝せずにはおれないのです。そんなオンリーワン歌手のファンの一人として生きて来られたワタシこそ、幸せだな〜と、しみじみ思わされた2週間でしたわ。

2018-07-16

[]メモランダム2018.7.16

 このたびの豪雨災害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。

 実はその一週間前に私、用事があってとある甲信地方の観光都市に向かう途中、乗っていた電車が豪雨の影響で立ち往生するハプニングに見舞われまして、ああ、今はそういうことがいつでも起きる時代なのだ、と改めて思い直したばかりでしたので、この災害をとても他人事に思えないのです。

 夜21時、辺りは真っ暗な中、単線田舎駅に停まったまま動かない電車。滝のように降り続く雨が、車窓を強く叩いては砕け、時おり稲光に照らされながらガラス窓を流れていくのをぼんやり眺めながら、ただ次の展開を待つばかりだった私。そのなんとちっぽけな、心もとない存在であることか。考えていたのは「できることなら早く雨が止んで、平常に戻って欲しい。」ただそれだけでした。

 結局そこに小一時間、停まっていたでしょうか。その間にローカル線の車内放送で得た情報は、乗っている電車はこの先の途中駅止まりとなり、私の目的である終点駅までは運転されなくなったこと。そして、その駅で切符の払い戻しがあること。それだけ。

 この先の雨の状況はどうか、途中駅で降ろされる我々はどうすれば良いのか、そうした「サバイバル」(!)のための情報は一切なく、「あとはそれぞれで何とかして下さい」と言わんばかりの対応で、本来であれば乗務員に詰め寄りたい場面ではあったのですが、そもそも天災であって、乗務員も混乱している様子が明らかでしたので、そこは諦めざるを得ませんでした。

 そしてようやく電車がノロノロと動き出したころ、山奥ながら携帯は通じましたので、泊まる予定だったホテルキャンセルと、今日泊まる場所を探すことに必死なワタシがいました。そして、豪雨の状況、様々な警報が周辺地域に出されていることもスマホのニュースサイトで初めてわかってきました。まさに、スマホ大活躍。いまや、スマホは生きるための必需品であると言わざるを得ません。

 近年の災害は、「情報弱者」が「災害弱者」でもあると言われています。たとえば自治体や鉄道会社の人々がいくら防災訓練を受けていたとしても、多くの場合自分と同じく、実際の危機的場面は彼らにとっても「初体験であると考えざるを得ないでしょう。だからこそ自分サバイバルするために必要な情報は、上から降りてくるのを待つのではなく自分から取りに行かなければならない、ということ。実際に世の中、効率化(=人減らし)の流れに乗って、どんどんそういう方向に進んできているような気がします。

 まあたしかに、考えてみればメディアなど存在しない時代には、大災害があったとしても生き残れるかどうかは、すべてはその人の「運」や「勘」だったのでしょうけれども。

 でも本当に、それで良いのでしょうか。。。

 近年、毎年のようにどこかで大災害が起きています。そして残念なことに多くの方が亡くなっています。

 そんな未曽有の時代を迎えているこの国で、本来であれば防災に向けての知識と対応力は年々社会に蓄積され、減災へと向かっているはずで、実際にそうした取り組みは少なからず進んでいるにも拘らず、それ以上に気候変動、地球の変化のスピードが早く、それに社会が追いつけていないのではないか、そんなことを感じています。

 2020年のオリンピック開催を前に浮かれている場合ではないでしょう?と思えてならない今日このごろです。

 

 ワタシ、ちょっと思うところがありまして実は今年に入ってずっと「終活」を念頭に過ごしてきました。そう、人生の終りを見据えていく、生き方です。残念ながらまだまだその本質はほとんどつかめていないのですが、今回、災害に遭いまして(幸い命に係わる切羽詰まった状況では無かったわけですが)、初めてわかったことがあります。

 「終活」している自分。そんな自分が、いざ緊急事態に遭遇したとき、必死になって一晩身を寄せるための宿を探しているわけです。それも、「必死」どころか、「嬉々として」。

 そこには、「どう転んでも、この身ひとつ。なるようにしかならない。」と、どこか運を天に任せるような気分になれることを、むしろ楽しんでいる自分がいたのです。とても自然に。無意識のうちに。スレスレの非日常を楽しんでいる自分が。

 つまりは、いずれ迎える死(天の時)を前にして、その時までは自分なりに「生き延びる」選択をしていくこと、それこそが、終活(幕引きに向かう生き方)なのかもしれない、なんて。

 今回、そんなインスピレーションを頂けたことに感謝して、もうしばらくこの命につきあってみよう、なんて、今頃になって考えているのです。 

2018-06-11

[]セイコ・アルバム探訪2018〜『Merry-go-round』

goo辞書によると、merry-go-roundとはこんな意味

1 回転木馬メリーゴーランド(carousel,carrousel)

2 (社会生活・事業出来事などの)急旋回,急転回

3 転車台(turntable) (米鉄道俗)

4 目が回るほど忙しい仕事場所など](米俗)

 今回のCD付属のDVDで聖子たんのお言葉によると、merry-go-roundとは、こんな感じ。

“Merry”は〜、しあわせだとかぁ、楽しいだとかぁ、そういう意味。“Go”は〜、前にぃ、進んでいくぅ〜?という意味で。“Round”ていうのは〜、回りを見ながらぁ〜、楽しみながら進んで行く、とゆうような。そういう意味を込めて〜、このアルバムを〜、つくりました・・。

 おいおい聖子たん、本来意味の2番目(急転回)とか4番目(目が回る忙しい仕事)の方が、あなたらしくて面白いでしょうよ!(ググったばかりの付け焼刃知識で「実は“急旋回”という意味も込めたタイトルなんです」なんてドヤ顔で宣言しても良かったはずなのに!)なんてツッコミたくなるのだけど、裸の女王様聖子たんはそんな風に、ガラにもなくトンガッたアーティストスタイルを装うことなど端から眼中になく、今回も、メルヘンチックで夢に溢れ、お花が咲き乱れている、いつもの聖子ワールド”を頑なに貫かれておりますやれやれ

 とはいえ、今回のアルバムキャッチコピーにある「独創的なサウンドアレンジでSEIKOワールド全開のオリジナルアルバムとある通り、サウンド的にはかなり力を入れて作られた印象で、悪くないです。アレンジャーの二人(野崎洋一氏・松本良喜氏)はここ数年のレギュラーながら、今回は確かにアレンジで各曲、様々なチャレンジを見せてくれていて、アルバム全体が変化に富んでいて良い流れが出来ている感じ。

 いわゆる「キャリア●十年の大御所」の新作アルバムと言えば、みゆきさんにしても、ユーミンさんにしても、聴いた当初は「ああ、やっぱりこの世界よね・・・」という、変化のない“いつものサウンド”であることへの多少のガッカリ感と、一方では圧倒的な安心感で、何となく聞き流してしまったりすることが多くなっているワタシ。でも同じように聞き流していているうちに、突然ある一曲けが、ガーンと胸に響いてくる瞬間があったりして、そこが大御所ならではの楽しみだったりする。

 同じ大御所でも、セイコさんの場合最初から「ガッカリ」が前提であって、“果たして今回は10曲中何曲、あるいは何分(笑)、新しい聖子(またはかつての輝く聖子)が登場するのか?”という聴き方になってしまったりするわけで。だから実は、同じガッカリではあっても毎回、最初の1回目の試聴ではワクワクさせられてしまうのが聖子さんなのだよな〜、なんて。今回の『Merry-go-round』は、そんな意味では、オープニング曲イントロから少し毛色が変わっていたこともあって、聴きながら本当に久々の“ワクワク”が蘇って嬉しかったのは確かで。

 まあ聖子たん本人はと言えば、頑張ってはいるものの、詞とメロディーマンネリ感はどうしようもなくて、つくづく「音楽の決め手って、アレンジだよな〜」と思わされた作品だったりもする。

 久々にアマ●ンの評価も上々、オリコンデイリーチャート好調な推移で、聖子たん、ますますセルフに自信つけちゃいそうですわ。

Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)

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(※以下、カッコ内クレジット作詞作曲は全曲:松田聖子

  • I am dreaming,dreaming of you編曲:野崎洋一)

 まずは突然の聖子たんの多重コーラスでスタート。やるわね、野崎くん。ノックアウトだわ。おまけにエイトビートを細かく刻むベースがカッコいいじゃない!セイコさんもウィスパー気味のボーカルからサビは得意のイングリッシュ畳みかけで、いつになくノッてる感じ。間奏のスキャットコーラスもなかなか。このアルバムはこの1曲目の成功がすべてかも。

  • Merry-go-round(編曲:野崎)

 続いてもアップテンポの、タイトル曲。あら、またイントロ聖子たんの多重コーラス・・・。でもこちらはブラス入りの煌びやかなサウンドで、まさにメリーゴーランド世界歌詞意味不明(笑)英語の中に所々、日本語が入る構成で、今の聖子さんにはこんな構成の曲の方が合うみたい(日本語の語彙の貧困さからしてもね・・苦笑)。「♪まるでMerry、そうよgo-round、心 Up Down 揺れているのよ」。そうよ、セイコさん。本当はこのアルバム、Up Downの人生に例えたかったのよね、きっと・・・。(と、ファンならではの温かい解釈。)

  • 両手広げ空を仰ぎ(編:野崎)

 なんだかマイラバみたいなアレンジ。この3曲目まで、アップテンポポップスが続くのだけど、アレンジの変化で聴いてしまう。ほとんど8分音符で構成されたメロディタイトルまんまの詞世界陳腐既視感たっぷりだけどね。

 こちらはどこを切ってもいつもの聖子バラード。詞もアレンジも全体のコード進行まですべてが、いつもの聖子バラード嗚呼、いつもの聖子バラード。えい!スキップ!と言いたいところ、冒頭で「♪そんな優しい瞳で見ないで」「♪あなたを愛しているわ」と声を掛けたりでアツアツな「あなた」に、2コーラス目では唐突に「♪きっともう一度逢える」と言ってのける主人公の“急転回(Merry-go-round)”っぷりに、ついつい謎解き気分で最後まで聴かされてしまうワタシ。とほほです(笑)

 PVでは風に吹かれながら公園サイクリングの聖子たん。まさにそんな印象のカントリー・テイストのフォークソング聖子たんには珍しいタイプの曲で、なかなかの出来。サビのキメフレーズが「♪あなたは 空」からあなたは風」→「〜夢」→「〜希望」とコーラスごとに変わっていく構成も、聖子たんにしてはよく考えたな〜、と(ホントはこうした詞の作り方が、フツーなんだけどね。苦笑)。不要に長いタイトル以外は(苦笑)良質のポップスに仕上がってます

 聖子たん、アルバムを作りながら夏コンのステージ構成も考えているそうで。このワルツ曲はずばり、お城のセットでイケメンダンサーバレエダンス、で決まりよね。ここ最近聖子たん(&野崎くん)お得意の、ディズニーメルヘンソング。「♪ルルル・・・ディンドンドン・ドン」は、さすがに50超えたおっさんゲイが口ずさむには(いいえ、ヘッドホンで聴いているだけでも・・)恥ずかしいのです、セイコ女王さま。もう勘弁してくださいませ。

  • 新しい明日(編:野崎)

 ドラマ主題歌で、昨年の紅白でも歌われた曲。途中にさりげなく入るイングリッシュフレーズ洒落ているのは確かだけど、アルバムリード曲に仕立てるには、いかんせん地味すぎでしょう。決して悪くない曲なので、もしかするといつか聴いているうち、ガーン!と来たりして(汗)。

  • あの風の中で(編:松本

 またまた、どこを切ってもいつもの聖子バラード。詞もアレンジも全体のコード進行まですべてが・・・。「♪風が運ぶ君のぬくもり/立ち止まって瞳をとじたなら/君を腕に抱いたそんな気がしたよ」。このモヤモヤ感が残る“時空を超えた世界観”もやっぱり、聖子バラード

  • もう泣かない(編:野崎)

 ミディアムポップス。ワタシこの曲、好き!フックの効いたメロディーラインもさわやかなアレンジも聖子さんの美声を良く生かしていてGOODです。ようやく聖子たん、フツーに聴けるポップスが書けるようになったのよね、万歳

 エンディングは、タイトルの印象を裏切ってのマイナーメロディー。近年のアキナ作品でも話題になった沖仁さんのフラメンコギターをフィーチャーしたアレンジが印象的な、聖子版「薔薇のように咲いて〜」といった感じ。終始、丁寧な作りで、このアルバムの「一味違う感」をより一層印象付ける佳曲。

 

 というわけで、久々にリピートで聴けるアルバムでした。

 それにしてもね、シリーズ化(?まさかね。)の疑惑が出るくらい代わり映えのしないアルバムジャケット、何とかならなかったのかしらね〜。

Merry-go-round(初回限定盤A)(DVD付)Very VeryCherishDream & Fantasy (初回限定盤B)(DVD付)

2018-05-21

[]ギフト〜夢の代償

 人間は夢の大きさと現状の満足とのバランスで生きている。

 簡単な話なのですが、若いころは、夢さえあれば、現状がどれほど悲惨でも何とか生きていける。それでも歳を重ねるごとに、かつて抱いてきた夢のほとんどは萎(しぼ)んでいくのは当たり前。その代わり、自分なりには相応の経験値を積んできたという自負と、現状の(それなりの)満足感で、人は壮年期以降を生きていけるのかもしれないな、なんてことを最近思っています。

 少子高齢化が進むこの国で50代を迎えた私の周囲も、当たり前のように人生の後半期を迎えた友人、知人たちで溢れています。とは言えカウントダウンが始まった人生対峙している今、皆が悲壮感を漂わせている人達かというと全くそんなことはなく、そのほとんどが実に穏やかにありのままにそれぞれの人生後半期を受け入れているような気がするのです。それは勿論、成熟したこの国だからこそ許されることなのかも知れませんし、その中でもたまたま私たち東京という、壮年高齢者生活するには恵まれた環境に身を置いているからかもしれません。

 何歳になっても大きな夢を追い続けることが出来たら素晴らしい事であることは間違いありません。それを否定するつもりはないのです。しかし一言で夢と言っても、社会的成功や名声を得ることばかりではなく、たとえ平凡であっても自分ありのまま表現しながら回りの人びとと円満関係を結ぶことが夢の実現と考える人も少なくないでしょうし、自分の夢は家族いつまでも幸せに暮らすことである、という方だっているでしょう。いえ実際、私の周辺にいる50代以降の友人・知人たちは、後者の方が大部分だったりします。私を含めて。

 夢の主役が、いつの間に自己ではなく家族になりやがて他者との関係性にまで広がっていく。それは年齢とともに私欲が少なくなり、それまでの経験から自分にも周囲にも過度な期待をかけなくなるからなのでしょう。同時に、平均寿命から導き出した自分の余命を考えたとき、敢えて“攻める”よりも、たった今幸運にも授かっているものを大切に守っていきたいという、防衛本能に知らず知らずのうちに支配されてしまっている、ということもあるように思います。

 いずれにせよ、やがて訪れる“死”を一方ではリアル想像しながら、日々を明るくそれぞれに精一杯生きている友人たちを横目に見るたび、人間って逞しい、としみじみ感じているこのごろです。

 人は「意識」を持つがゆえに、人生の終盤に差し掛かると失うものばかり日に日に増えていくことを痛いほどに自覚せざるを得ません。犬や猫が死の直前に死期を予感したかのような行動を見せるエピソードはよく耳にもしますが、多くの場合、動物は「老い」を憂うことなどなく死んでいきます。でも人の場合、老いによる喪失感を受け入れつつなお、それまでに得られたものを糧にどうにか明るく生きてゆける。自分自身人生の後半を迎えて初めて、それは「ギフト=贈り物」であるということを実感しています。

 日本ではつい半世紀まえくらいは人生50年が当たり前だったことを考えれば、50才を超えてなお健康で笑って過ごせていることだけでもラッキーなのかも知れません。

 西城秀樹さんが闘病の末に63歳で亡くなられたニュースに触れて、いよいよリアルに、そうした運命自分自身自分の大切な人にいつ訪れてもおかしくないことであって、たまたま健康毎日を過ごせていられる自分運命感謝しないといけない、と思わざるを得ないのです。

 ふと、大好きなユーミンさんの曲の、こんなフレーズが耳に止まりました。

人は何も持たずに生まれ 何も持たずに

去ってゆくの

 それでも愛と出会うの

 (YUMI MATSUTOYA「Midnight Scarecrow1997年

 ユーミンはやっぱりスゴイです。

2018-05-07

[]恋、メロディ、濃い、メロディ 〜洋楽歌謡曲

 あっと言う間にGWも終わり。おまけに鬱陶しい天気での通常ウィークの始まりです。こんな時は、無理に頑張ろうとせずに、とりあえず「すべきこと」だけを済ませて、定時でウチに帰って昔の大好きな曲でも聴きながら過ごすのがイチバン

 というわけで今回は、ちょっと趣向を変えて、今聴くと「これって、歌謡曲? 筒美センセが作曲したの?」と思えてしまうような、でも私の大好きな、濃〜いメロディの(メロディアスな)洋楽たちを集めてみました。安室ちゃん宇多田ヒカルらの登場で、今や邦楽もサウンド的には洋楽と比べて遜色ない時代になっていますから、いざ改めて70年代〜80年代の洋楽を聴き返してみると、本当にメロディアスで懐かしくて、何となく歌謡曲」として聴こえてしまう。そんな感じなのかも知れません。

 GW明けのユウウツを振り払うべく、知らない曲も、ご存知の曲も、何となく懐かしみながら楽しんで頂ければと思います。

 まずは、こちら。「カマカマカマカマ・・」のぶっ飛びフレーズが、かつてのトシちゃんみたいです。カルチャー・クラブの「カーマ・カメレオン」(1983)。

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 続いては、バブル期のカバーシンガー椎名恵さんが日本語でもカバーしていましたね。メロディー的にはもちろん、邦題もど真ん中の歌謡曲ですね。「愛はかげろうのように」(1982)。シャーリーンさんの貴重なライブ映像です。

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 この方はかの「紅白歌合戦」にも出場した生粋歌謡曲歌手(笑)シンディ・ローパー。美しいメロディの名バラードトゥルーカラーズ」(1986)。

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 この曲はジャンルで言えばカントリーで、あまりヒットしなかったのですが、艶っぽい歌い方とか、フォークっぽいメロディとか、少し「桜前線」の頃の小柳ルミ子たんみたいな印象で、私、大好きなんです。クリスタル・ゲイル姐さんの「ハーフザ・ウェイ」(1979)。

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 次の曲は、映画フラッシュダンス」のサントラから。そういえばこの映画主題歌椎名さんがカバーしましたっけ?ドナサマーのこの曲、とにかくポップで、80年代アイドルが歌っても違和感なさそうと当時から思ってました。「ロミオ」(1983)。

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 こちらもカントリーソングで、ワタシの大好きな蔵出し曲。哀愁のあるメロディが素晴らしくて、当時はあまりヒットしなかったのですが、あちらでも何度もカバーされている隠れた名曲です。ロザンヌ・キャッシュ「セヴン・イヤー・エイク」(1981)。是非、聴いてみてください。

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 さて、洋楽哀愁歌謡といえば、私にとってはこれを外せません。かの桑田ケースケさんもいかにもなカバーをしていましたね。マーティ・バリン「ハート悲しく」(1981)。マーティさん、そういえばジェファーソンエアプレイのメンバーだったんですよね。ロックからベタ歌謡界への転向。言ってみれば、アリスの谷村さん的な感じでしょうか(笑)

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 最後はやっぱり、カルチャー・クラブ。結局彼らは、存在自体アイドルだし、歌謡曲なのかな?と。「タイム」(1982)は、彼らの曲の中では少し地味でしたけれど、哀愁たっぷり、美味しいメロディたっぷりの、名曲だと私は思います。

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 では、また。

2018-05-05

[]狂おしい想い、蘇る。〜『君の名前で僕を呼んで

f:id:hiroc-fontana:20180505120640j:image:w240:left 久しぶりに、胸キュン(苦笑)。こんな安っぽい言葉表現するのは少し勿体ない気もするのですが、胸がかきむしられるような、あの狂おしい想い、それはやっぱり「胸がキュンとする」という表現がぴったりなわけで、この映画の後半はそれこそ胸キュン(汗)の連続だった私でした。

 1983年夏、北イタリアの避暑地。17歳のエリオは、アメリカからやって来た24歳の大学院生オリヴァーと出会う。彼は大学教授の父の助手で、夏の間をエリオたち家族と暮らす。はじめは自信に満ちたオリヴァーの態度に反発を感じるエリオだったが、まるで不思議磁石があるように、ふたりは引きつけあったり反発したり、いつしか近づいていく。やがて激しく恋に落ちるふたり。しかし夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づく……。

(「君の名前で僕を呼んで公式HPより)

 明らかに昨今の映画トレンドの一つになっている“ゲイ”を題材として、舞台である北イタリアの牧歌的な夏の風景と、その美しさを引き立てる印象的なBGMに彩られた、まさしく文学的な要素に映像的な美しさを織り込んだ高尚な芸術作品としての仕上がりでありながら、その根底には、青年期に誰もが経験したであろう普遍的なエモーション=“胸キュン”がある。ワタシはそんな作品としてこの映画を観ました。アメリカで昨年公開され、こうした映画としては異例の大ヒットを記録したのもうなずける気がしました。

 主人公と同じ17歳のあの頃、私も初恋をしていました。相手は同学年の男性。とは言っても、私がそれを初恋だと自分の中で定義づけたのはずっと後のことで、当時はそうした思いを“単なる”友情である自分に言い聞かせて、そのように振る舞うことで自分を納得させていたのです。しかし今思えば、単なる友情だとしても、その相手自分にとってかけがえない存在として想うことには変わりないわけであって、結局はその彼を“好きでたまらない”自分の想いを単純なひとつ言葉に押し込めることなど、到底無理な話なのでした。放課後、一緒に自転車に乗って(時には彼の運転する自転車の後ろに乗せてもらって)予備校に通った高校三年のひと夏。それだけで「自分青春は、これですべてが揃った」と思えたあのとき。あれはまさにワタシの初恋の瞬間だったのですね。。。

 この映画も(ワタシの青春とは大違いですが(笑))、若く美しいふたり青年たちのひと夏の出来事出会いと別れが描かれます最初はぎこちなく、時は反発をしながらも、お互いにいつの間に心を開き、惹かれ合っていく。そして、結ばれ・・・抱き合い顔を寄せ合いながらオリヴァーが言うのです。「君の名前で僕を呼んでくれないか。

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 このフレーズ、狂おしいほどに相手を想う、恋愛の一番燃え上がる瞬間の「一心同体感」を表しているにしては、少し「ん?」と引っかかるところもあって、映画評論家の町山智浩さんの解説によれば、原作者アンドレ・アシマン氏(NY大の教授)による主人公エリオとオリヴァー、そしてその父への自己投影なのではないか、とのことで、確かにそのように考えると腑に落ちる気がします。それは、年上のオリヴァーが、エリオと結ばれた後にエリオ気持ちを想いやるセリフの中に「オリヴァーもかつて、エリオと同じ経験をしているのでは?」というヒントを与えてくれているし、終始彼らを包容力を持って見守るエリオの父が終盤でエリオに語る言葉(「自分はそのような貴重な機会を逃して後悔している」云々)にも表されているのです。つまりは、アンドレ・アシマン≒エリオ≒オリヴァー≒エリオ父親、そして、観客たちもその延長線上にいるのです、もしかすると。

 そんな意味で、何層もの入れ子状態の結果(苦笑)、この映画奇跡的に普遍的な“青春期の甘酸っぱい想い”が鮮やかに再現されたのだと思うのです。

 最後の付け足しのようになりますが、出演者たちがとにかく魅力的な映画でもありました。24歳にしては出来上がり過ぎているにせよ、憧れの対象としては完璧なフォルムの“オリヴァー”アーミー・ハマーの美しさは言うまでもなく、それにも増してエリオ役の美少年ティモシー・シャラメ君は、最初生意気雰囲気から次第に「恋する青年」をその眼差しひとつで繊細に紡ぎ分けるような見事な演技で、本当に素晴らしかったです。特にエンディングで、暖炉に向かってのカメラ目線で(家族に背を向けて、というシチュエーションです)ポロリと流す涙に、私は心打たれて立ち上がれませんでした・・。

(もうひとつ付け足しのようになってしまいますが、どこを切っても「絵」になるカメラの構図も際立っていました。)

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 あの頃。胸かきむしられる、狂おしい想いをしたことのある、そしてそれを心の奥に大切にしまい続けている、皆さんにオススメ

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2018-04-28

[]メモランダム2018.4.28

 毎日が矢のように過ぎていきます。4月ももう終わり。今年も3分の1を終えようとしているのです。

 

 モリト問題から、財務省事務次官のセクハラ辞任、そしてジャニーズメンバーの強制わいせつ。

 

 証拠が無ければ問題なしと言わんばかりに、記憶にない、書類は破棄したなどと、議会の場でさえ誰でもわかるあからさまなウソをつき通してしまえることとか。

 大臣があたかも、酒の席であればたとえ相手を傷つける行為であっても許される、その気にさせた相手も悪い、と言わんばかりの発言をしたり、とか。 

 犯罪行為を重ねても表沙汰にさえならなければ何も問題はない、何しろ視聴者が自分を求めているのだからと、書類送検された人間がそれを隠してテレビ出演を続けてしまえることとか。

 

 いま、この国のニュースでさかんに取り上げられていることって、根底は全部、共通している気がします。ウソと、権力者たちの驕り(精神的未熟さ)と、根深性差別と。

 

 言葉にしなくても、その辺のことを何となく感じているのだと思います。みんな。

 そして例えば、安倍ちゃんが首相を下りたとしても、次の誰かがその代わりにウソをつくだろうし。

 たとえ駄目だと頭ではわかっていても、心に染みついた差別意識を理性で排除できないまま、性的嫌がらせを続けてしまう輩は後を絶たないだろうし。

 件のジャニーズメンバーは、きっとほとぼりが冷めたころに、いつの間にか復活してテレビ出演しているだろうし。

 

 そんな風に思えてしまって、どことなく虚しさばかり感じる、今日このごろです。

 聖子さん。今から丁度38年前のお姿です。フレッシュだったあの頃を思い出して。

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2018-04-14

[]20周年。の娘。たち

二十歳のモーニング娘。(初回生産限定盤)(DVD付)

 「モーニング娘。まるっと20周年スペシャル!」という番組が、3月31日の深夜から時間にわたって放送されました。何せ、20年間のシングル曲を一挙放送、というわけで、かつてファンだった(苦笑)ワタシとしては、こりゃ観なくちゃ、ということで、録画。

 BSは、たまにこういったマニアック企画をしてくれるから、嬉しいわよね。それも、国営放送もの。(前回の記事で取り上げた「弟の夫」も、そうでしたわね。)

 結局次の休みの日に番組を一気見して(正直、すご〜く疲れた・・・)、モー娘。は、つんくライフワークとして(ひとりのプロデューサーの“おもちゃ化”していることなど)その是非はあるものの、20年というその歴史だけで充分、存在価値あるグループになっていたということがわかったのよね。

 継続は力なり。

 つんくは、彼本人には色々なことがあったけれど、基本は変わらない。こと娘たちに賭ける情熱愛情に関しては。(ニンゲンはどうあれ、そう簡単に変われるものではないのだ。)

 デビューから数年は、テレビ番組(「浅ヤン」)とリンクしてのメンバー選抜や脱退をライブ感覚で追う企画ユニット活動など、アイデア勝利つんく自身番組で振り返っていたように、モー娘。という素材を題材にしてさまざまなアイデアが溢れ、それがことごとく当たっていた時期。

 しかしメンバーも時代も、目まぐるしく変化を繰り返す中、変わらない(変われない?)プロデューサーつんくアイデアは少しずつ枯渇しはじめて、モー娘。人気は下降線をたどり、試行錯誤時代が続くのね。

 そして時が経過して、ある時期から、メンバーの顔ぶれと本人たちの指向でグループの方向性が変わり始めて(つんく曰く「ヘタな娘がひとりもいなかった」という、いわゆる“プラチナ期”など)、最終的には時代の中での立ち位置が大きく変化していくようになる。

 今や、アイドルという定義は大人数のグループでこそ成り立つ時代であり、歌ではなくキャラで売る時代であり、テレビで見るのではなくライブで直接“会いに行く”時代に変わっていて。しまいには中学校の授業にダンスが科目として採り入れられるという、20年前には想像も出来なかったことが現実化していて。少女たちがより現実的に「クールダンスしながら歌う、憧れの対象アイドル」として彼女たちを見るようになってきたということね。モーニング娘。は、大人数&口パク握手作戦で売るアキバ系とは一線を画す「実力派」として、いつの間にかその地位確立していたわけで。

 その、地動説から天動説に切り替わるような発想の転換が、このグループへの評価のカギなのだろうと思う。20年が経過するなかで、いつの間にかその存在が「異色」から定番」になっていた、そんな感じ。

 

 とはいえ、今では多人数アイドル群雄割拠のなか、メンバーが何人いるのか、誰が誰なのかも全くわからぬまま、ただ茫然と彼女らを見つめるだけの50代半ばのワタシ。残念ながらワタシにとって今のモー娘。は、いわゆる「地下アイドル」と変わらなかったりもするわけで。(ファンのみなさま、ごめんなさい。)

 アイドルそのものが全体にマニアックものに「個別化」「分散化」してメインストリームから再び遠ざかりつつあるように感じる昨今、これからどのようにその存在価値をキープしていくのか、見届けていきたいと思う。

 

 最後時代の中で産み落とされた隠れた名曲の数々を紹介しておきますね。

Memory 青春の光」(1999)。海外録音。つんく曰く「好きなことをやりすぎた」。ヤグチのファルセットハモリにゾクゾク。

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THE マンパワー!!!」(2005)。これは初期モー娘。の中でダンスフォーメーションの複雑さでトップクラス。目が離せません。

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リゾナント ブルー」(2008)。プラチナ期のカッコよさが表れた傑作。

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時空を超え、宇宙を超え」(2014)。新生モー娘。クール・ジャパンの流れで海外でも人気が出始めたころ。

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2018-03-18

[]ドラマ「弟の夫」にまつわるあれこれ〜まだ、これから

“亡くなった弟の結婚相手が、はるばる会いにやって来た。その相手とは、外国人で…男だった。佐藤隆太×把瑠都で贈る、まったく新しい家族物語。”

 この3月NHK-BS放送され、本日最終回を迎えるドラマ弟の夫』のキャッチコピーです。

 ゲイ世界ではエロティシズム横溢作品の数々で世界的に有名なアーティスト、田亀源五郎さんの原作というだけでもオドロキなのですが(つまり、NHK企画担当に田亀作品に触れている人がいた、ということですものね。この企画を通した方の勇気あっぱれ!です。)、いざドラマを鑑賞してみて、眼差しがとても柔軟で、かつバランスの良いスタンスで作られていたので、ワタシとしてはさすが国営放送!と感激したのです。現実離れした、いかにもドラマ仕立てのエピソードとして同性愛を扱うのではなく、もしかすると現実にありそうな、リアリティあるエピソードとして、終始さりげなくこのテーマを捉えていることに。というよりむしろ、弟の夫という存在自体が、偶々脚本の設定の一つに過ぎないとでも言うような、軽みのあるスタンスがいいな、と思えたのです。お断りしておきますが、私は原作を読んでいませんでしたので、私の感じたことがドラマ制作スタッフ演出によるものなのか、あくまで原作に忠実だったからそう仕上がったのかは、わかりません。(おそらく後者なのだろうと思いますが。)

弟の夫 : 1 (アクションコミックス)

弟の夫 : 1 (アクションコミックス)

 ところで日本の国営放送最近は本当に「攻めている」ように思います。教育テレビ、今でいうEテレは特に障がい者のナマの声を捉えようと頑張っている「バリバラ」をはじめ、いま日本でイチバン面白い番組と言っても過言ではない「ねほりんぱほりん」(残念ながらシーズン2が終了したばかり)も、Eテレ。まさに日の当たらない部分に光を当てて世に知らしめるというテーマ、これぞ、マスコミ存在価値の一つだと思うのですよ、ワタシ。

 最近公的機関主催する、法人向け「LGBT理解のための研修」があちこちで開催されているようで、ワタシの職場にも研修案内のFAXがしばしば届いたりします。そうした点ではこの日本も随分と差別排除に向けて進歩してきたのかも知れない・・と思いながら、「いや、待てよ」とそれに意義を申し立て自分もいたりするのです。個人的感覚では、マツコさんをはじめ、キャラとして存在するLGBTは広く認識されているものの、まだまだ世の中は“教育”が必要なほど、理解が進んでいないのか、と。

 つまり、ゲイであることを前面に出して生きるほどの勇気も意地も持ち合わせていないワタシであるがゆえ、クローゼットゲイとして、いまだそんな世の中であることさえも知らずに、周囲はおろか自分さえも騙してここまで生きてきてしまったわけで。意義を申し立てるもう一人のワタシは、無意識のうちにそうした自分を痛烈に批判してもいる(「辛い思いを避けるばかりで、これまで一度も正面切って闘ってないだろう、お前は!だから現実の厳しさがわからないのだ!」)というわけなのです。

 そうして何層にも分裂せざるを得ないワタシ。とは言え最後は結局、ヒトというものは、自分経験しないことには何も本質はつかめないまま、歪んだ情報と知識物事判断し続けざるを得ない愚かな生き物なのだ、なんていう結論に至るわけです。自戒を込めてね。だからこそ、真の共通理解をすすめるためには、マスコミの徹底した情報提供と、愚民(ワタシを含めてです)への教育必要不可欠なのだ、と。

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 実は最近職場でこんなことがありました。

 ワタシ、入社面接に立ち合わされたのです。面接官のオヤジが一人、都合がつかなくなったので、ピンチヒッターとして呼ばれたのです。

 面接と言えば、雇う側が応募者の“人となり”を見る場であると同時に、応募者が雇い主たちを観察する場でもあります。そんな場面で普段仕事で良くも悪くも我を出しまくっている、面接官(オヤジ)たちが、どんな振る舞いをしているのか、ワタシはどちらかというとそちらに興味があったのですが(苦笑)、いざ参加してみたら案の定、それはそれは酷い有様で・・・

 応募してきたのは、20代の女性。その彼女、いま同居人がいること、その人とは将来結婚を前提に生活しているが時期は未定であることなど、実生活の現状と将来計画までを正直に話してくれたのです。そうしたら、面接官の中でイチバン権力のある“オヤジA”が烈火のごとく怒り出してしま・・・。どうやら、彼女からは事前に同居者がいることは聞いていたものの、オヤジAは“結婚前提”の意味を“婚約済み”と捉えていたらしいのです。だからオヤジとしては「話が違う」と。え?それで怒るの?とワタシもビックリしたのですが、彼女と同年代の娘を持つ“オヤジA”としては、「女性同棲すること≒同棲相手結婚すること」という、今となっては国宝級価値観のまま、今まで(というか、現在進行形で)生きてきたようなのです。だから彼女が「結婚するかどうか、時期は未定です」といった言葉が、理解できなかった。それで、怒った。それどころか、「あなたは、社会常識に欠けているのではないか」とまで言い切ってしまい、彼女は、俯くばかりで。「●●(←オヤジA)さん、それは少し言葉が過ぎませんか!」と、ワタシ・・・が言えれば良かったのですけど(苦笑)、さすがに烈火のごときオヤジの怒りの炎に油を注ぐわけにもいかず、あとでワタシに質問がまわってきたときに「言いにくいことを率直にお話いただいただけなのに、ごめんなさいね」と彼女ねぎらいを入れるのが精いっぱいでした。ゴメンナサイ、彼女

 だから面接後の意見交換の場でワタシ、思いきってオヤジAに言いました。「結婚前に同居して、相手と話し合って結婚を決めるのはいまやフツーの話で、結婚時期が未定でも、あるいは結婚しなくても、仕方ないですよ。むしろ、それを話してくれた彼女は率直な人ですよ。」と。そうしたらもうひとりの“オヤジB”が、「ああいう娘は、オトコに付け入って、事実婚押し付けそうだよね」なんて言ってオヤジAに妙にゴマするものからやれやれ・・と、ただ呆気にとられるばかりで・・・(汗)。

 でもその後、痛快だったのは、次の応募者(♂)が開口一番「いま、彼女と同居しています」と(笑)。それが、事前の書類審査オヤジAがお気にいりだった採用候補者だったこともあって、オヤジAは一挙にテンションダウン。まるで、スカットするあの番組みたいな展開になったのです。

 圧迫面接にもめげずにテキパキと質問に答えた件の彼女は幸い、採用となってまずはメデタシ。けれども、いまだにこんな古いアタマでステレオタイプな男尊女卑オヤジゴロゴロと世の中に存在している事実が、ワタシにとっては驚愕すべき事実でありまして、これではLGBT理解どころではないな〜、と、打ちのめされた次第です。

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 エンタメ界でゲイを単なる“キワモノ”ではなく、真正から「そこにいて当然の、唯一無二の存在」として捉えたフィルム作品で、私が人生最初に感動したキャラクターは、1982年公開の映画ガープの世界ガープの世界 [DVD]に登場した、ジョン・リスゴー演じる“ロバータ”でした。でもまだあの頃の世の中の捉え方は、「人のいいゲイがいるのは知っているけれど、キモイものキモイ。」そんな感じだったのかも知れません。映画の中での彼の扱いからすれば。

 その後のアカデミー賞では、「ブロークバック・マウンテン」(2006年ブロークバック・マウンテン [DVD]評価されたころから少しずつ、同性愛異性愛と同等の尊いものとして価値を与えられつつあるのかも知れません。昨年はゲイのアフリカ系青年主人公にした「ムーンライト」。ムーンライト スタンダード・エディション [DVD]そして今年、作品賞を獲得した「シェイプ・オブ・ウォーター」でも、敢えてそのキャラクターを決定づける重要要素ではない自然な設定として“ゲイの”画家を脇役として登場させていますし、また主演男優賞候補を輩出した作品君の名前で僕を呼んで(Call me by your name)」も男性同士の恋愛を描いた映画で、こちらも各所から評価を得ています。

 近年のアカデミー賞ならではの、性差別とマイノリティ排除是正しようとするベクトルがやや強すぎるきらいはあれ、こうした大きなイベントで出されるそのようなスローガンが、それこそ数メートル範囲の付き合いに終始する大多数の「善良な小市民たち」の生活レベルにどれだけ浸透するのかについてギモンは抱えつつ、それを第一歩として、一方ではドラマで、かたや企業研修を通じて、または無意識差別者が自らスカッ体験に遭うことで(笑)、少しずつ、人として生きる価値は何なのか、平等とは、偏見とは、自由とは、そして、自分他者はどれほどの違いがあるのか(個性はあっても基本は同じなのだ)ということを、それぞれに気づきを与えうる環境が整いつつあることを信じたいな〜、と。今、そんなことを願っているのです。