Lonesome-happy-days

2016-07-30

[]ベジタリアン&アルコホリズム

 →ミックスジュースぶどうパン

 →麻婆ナス、わかめスープザーサイサラダごはん

 →生卵入り納豆オニオンリングサラダシメジ味噌汁ごはん

あ、忘れてた。晩ごはんに缶酎ハイ500ml。KIRIN本搾り。最近お気に入りのやつ。キリン 本搾りチューハイ グレープフルーツ 缶 350ml×24本

それにしても動物性タンパク、少ないわ…マーボのひき肉に、卵くらい。気付けば何となくベジタリアンな私。飲み過ぎ、食べ過ぎさえなければ、けっこう健康的な食生活なのにね。

 

そう。このごろ、酒量が増えてしまってね。ほぼ毎日飲んでるの。ましてや外で友達と飲んだりすると、どうしても調子に乗ってしまい度を超して飲んでしまう。

そして…。揚句に記憶を無くしてしまうのですわ・・・。とほほ。

いいえ、家にはちゃんと帰るんです。翌朝、ベッドの上で目覚めると、着替えもしているし(おまけに服はハンガーに掛けてあるし)、シャワーを浴びた痕跡もある。

でも、帰宅後の記憶が全くない。と言うか、友達と店を出てその後の記憶がなかったりするのね。

つい先日もそんな感じで、友達ハシゴ酒した翌日、電車に乗って出かける用事があって自動改札を通ろうとしたら、ICカードエラーになってしまったのね。駅員に調べてもらったら、飲んだ帰りの最寄駅から入場した記録はあるものの、どこにも降りた形跡がなかった。それで記憶を辿ったら…。あっ!って。タクシーで帰って来たことを思い出したの。そういえば、現金が無くてカードタクシー代を払ったような気がする。で、財布の中をよくよく探してみたら、カードの明細書もちゃんと入ってた。

少しずつ戻ってきた記憶

飲み友達と別れて。電車に乗ったら、すぐに寝ちゃって、起きたらどこかわからない駅で。あわてて降りてみたらなんと、乗ったのと同じ駅で!(そう、熟睡して乗り過ごして、終点から折り返しちゃってたのね!)そこまでは思い出したのだけど、どうやって改札を出たのか、タクシーをどこで拾ったのかは、結局殆ど思い出せなかった。

  

ところでナゾがもう一つあってね。翌日、エラーになったICカードリセットしてから改札を通ったら、残額表示が3千円を超えていたのね。普段、千円以上はチャージしない自分なのに、なんでカード残額がこんなにあるの?と、ビックリしてしまって。酔って千円札を五千円札に間違えてチャージしたならまだしも、なぜ3千円なの??ワケわかんなくて。

記憶喪失?多重人格?認●症のはじまり?…いやいや…(苦笑)。これにはさすがに少しばかり、自分が怖くなりましたわ。

 

それともうひとつ、その夜のことを思い出そうとすると、ボ〜ンヤリとある場面が浮かんできてね。それが頭から離れないの。

何軒目かのお店で、浮かれきった勢いで、“誰か”とブチュ〜、としたような、しなかったような…。アレは、誰? ホントーに、ワタシの記憶

ホントーに、困ったちゃん・・・。怖いわ。

2016-07-26

[]一括りにして欲しくない

今朝、痛ましい事件がありました。

相模原の障害者施設で19名の方が殺害された事件です。

人格異常者が起こした、異常な事件です。

施設を辞めさせられたからと言って、なぜ罪もない障害者を襲ったのか。

なぜ職員大勢いる昼間ではなく、真夜中に、眠っている無抵抗な利用者たちを襲ったのか。

怒りが収まりません。

介護施設の勤務が過酷から、とか、人手不足で防犯体制が疎かだから、とか

一般論で一括りにして、この事件分析するのは、間違いです。

犯人は、普通人間ではありません。明らかに異常です。

犯人に対して、何ら同情は要らないと思います。

 

犯人の異常な言動を察知して警察に届けた、同僚の施設職員

警察官同席のもと、本人と面談し、諭そうとした施設長。そして犯人は、施設を辞めた。

みな、障害のある利用者を守ろうとした、立派な行動でした。

しかし、危険な人物として措置入院まで至った犯人を、最後に野放しにしてしまった原因は

「行政」の“セクショナリズム”だったようです。

残念でなりません。

これでは、被害に遭われた19人、そのご家族は、報われません。

そして、彼らを守り切れなかった施設職員の気持ちを思うと、やりきれません。

2016-07-16

[]映画は変わった。『アリス・イン・ワンダーランド〜時間の旅〜』

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 お久し振りです。

 アリスといえば、思い起こされるのは聖子さん「時間の国のアリス」だけど、リリースは、なんと32年前!!きゃあ!そんな昔なのね。そうそう、聖子さんがYOSHIKIと組んだ新曲、まだフルバージョンは未聴だけれど、なかなか良さそうな感じよね。メロディーがとても耳に残る作品。発売は未定のようだけど、いまから楽しみですわ。

 

 さて“映画の”アリスは6年ぶり。今回は、聖子さんではなく、こちらが本題でした(汗)。

 前作も大好きだったけど、今回も楽しませてもらいましたわ。前作のレビューでも書いたとおり、やっぱりワタシはこういう夢の世界(ただしそれは「悪夢」!のほう (笑))にどっぷり浸かれる作品が大好きで、その意味ではティム・バートン作品の、怖くて気持ち悪くて、そしてどこか可笑しい作風にいつもノックアウトされちゃうのよね。今回も突然動き出すチェスのコマたちはブキミカワイかったし、ヘレナ・ボナム=カーター演じる赤の女王は終始グロテスク全開だったし、ベジタブルだまし絵の家来たちのフォルムなんかも素晴らしかった。

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 でもこの続編、ティム・バートンが監督からプロデュース側に回っている分、いくぶんか彼のテイストは薄められてしまっているのよね(監督はジェームス・ボビン)。「ナイトメア」系から少しだけ「ファンタジー」寄りという感じね。決して悪くはないのだけれど、例えば前作ではそれぞれ善悪など気にせず動き回ってアリスの冒険をかき回すキャラ達が魅力だったのだけど、今回は完全に皆がアリスの味方か敵か、という勧善懲悪の構図が根底にあって、キャラとかストーリーとか、色々な意味で単純化し過ぎたのかもね。そこが残念。

 ジョニデのマッドハッターは本来、名前の通りハチャメチャなキャラのはずなのに、ナイーブで心優しい部分が強調されて、どこかチョコ工場のチャーリーとカブるし。あのアン・ハサウェイ演じる白の女王も、すっとぼけたフシギお嬢様キャラが光っていた前作に比べると、今回は単なるアリスのお友達の設定で、魅力半減。。。もったいないわ。

 とはいえ、本作のキイパーソン“タイム”f:id:hiroc-fontana:20160716185023j:image:medium:leftという魅力的な新キャラ登場もあり、前作から比べても格段に進歩したCGのお蔭で(おまけにすっかり定着した3Dのお蔭もありで)画面の隅々まで目を凝らしつつ、この世のものではない夢の世界を存分に楽しんだワタシ。イヤなことはすべて忘れて、カタルシス〜〜でしたわ。

 見終えて思ったのよね、映画は変わったな〜と。

 明らかにCGの発達と関係はしているのだろうけど、映像ありき、話題性ありき、そして子供にもわかる、子供に悪影響を与える要素を極力抑えた、シンプルなストーリー、そんな映画が増えたな〜、と。予告編がディズニー系列の作品ばかりだったので尚更そう思えたのかもしれないけどね。

 まるで戦前・戦中にMGMがゴージャスにお金をかけまくって送り出した、(でもストーリーは至ってシンプル・・陳腐な・・・)数知れないミュージカル映画のようで。娯楽として人々の心を昂揚させるけれど、後には何も残らないような、ね。もともと映画は作られては消費されるものには違いないけれど、それが少しずつ加速しているのかもな、なんて。

 時代がかつての戦前・戦中の雰囲気に近づいているからそうなっているのか、単に映画ビジネスを成立させるための必然の方向でしかないのか、そこはよくわからないのだけれど。

 でも結局のところ、映画が変わったように思えるのは、単に年齢を重ねて自分自身の感性が変わっただけなのかもしれないけどね(苦笑)。

「アリス・イン・ワンダーランド〜時間の旅〜」公式HP

2016-06-30

[]メモランダム2016.6.30

  • 理性は勝つか

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 私がEU離脱についてのイギリスの国民投票で離脱派が勝利したニュースを聞いたのは、職場でした。

 ワタシ、何となく離脱派が勝つわけない”と思いこんでいましたので、それまで大して注目もせずにいたのですが、その第一報には本当にビックリしました。

 そして、何ともイヤ〜な気持ちを抱え、頭の中が漠とした不安支配されたまま、その日を過ごしたのです。いよいよこの世界は終末に向かってカウントダウンが始まったのかも・・・みたいな。

 相変わらず民族間紛争が絶えないこの時代にあって、困難を抱えながらも多民族の緩やかな融合、世界平和理想に向かって、何とか力を合わせて進んできたはずの欧州連合・EU。

 その主要国のひとつが、まさか分裂・対立の方向に自ら舵を切るなんて、考えてもみなかった私。島国根性にまみれ平和ボケした自分反省しました。

 ただ、いざフタを開ければ、イギリス国内では離脱派からも国民投票のやり直しの声が挙がっていたり、フランス・ドイツは凛とした姿勢で臨み、スコットランドは早々と残留宣言してくれたりして、感情に走ったイギリス国民に対して、周辺国はことごとく「理性」を前面に押し出す格好で対峙しようとしている印象があって、それだけでも救われたように感じました。

 たしかに、移民問題がまだ大きな社会問題化していない日本に住む私が、簡単にイギリス国民を批判出来ないとは思うのですが、やはり人類が共存していくためには揺るぎない「理性」と、ある部分“諦め”は必要なのではないか、と思うのです。誰もが経験したことのない「今」であること、それは万国・全人類共通なのですものね。

 

  • 美を浴びる→この生につながっている

 「美を浴びる」と言えば、インタビュー聖子さんに初めて対面したあとにマヤミキが発した言葉。う〜ん、悔しいけれど、名言かも(笑)

 ワタシ、暇な時間を見つけては、美術館通いするのが最近マイブームなのです。そこでまさに「美を浴びる」のが、今の自分にとっての一番のリフレッシュになっているのです。

 先日は、東京ステーションギャラリーに行って、「川端康成コレクション 伝統とモダニズム」なる企画展を鑑賞してきました(企画はすでに終了)。川端康成は知る人ぞ知る美術品のコレクターで、埴輪から国宝級日本画まで、その審美眼に叶った素晴らしい美術品の数々が展示されていて、それは本当に贅沢な時間空間でした。

 空間と言えば、この東京ステーションギャラリー、旧東京駅の赤レンガがそのまま展示場になっていて、とても素敵でした。美術館って、建物・空間としても“観る”べきものが沢山あるのですね(世界遺産になった上野国立西洋美術館を筆頭に)。そこも楽しみのひとつなのです。f:id:hiroc-fontana:20160619151306j:image:medium:rightf:id:hiroc-fontana:20160619151409j:image:medium:right

 

 ところで今回、「川端康成コレクション」の展示物の解説文の中で、とても心に響いた文章がありました。

 美術品、ことに古美術を見てをりますと、これを見てゐる時の自分けがこの生につながってゐるやうな思ひがいたします。さうでない時の自分は汚辱と傷枯の生涯の果て、死の中から微かに死にさからってゐたに過ぎなかったやうな思ひもいたします。

 川端康成が、『反橋』という小説の中で、作者の分身と思える主人公の男にこう言わせているのです。

 美術館通いの楽しみが「美を浴びる」ということ、それはそれでそんな気もしていたのですが、川端の言葉「これを見ている時の自分けがこの生につながっているような思いがする」に出会ったとたん、これこそ「ビンゴ!!」と確信したワタシでした。ノーベル賞作家凄さがはっきりと分かった瞬間でした。

 

  • 梅雨明けが待ち遠しい

 関東はジメジメしている割には空梅雨。一方、九州は甚大な大雨被害。あまりにバランスが悪すぎです。

 一足早く、明るいアイドルサマーソングで、この鬱陶しさを吹き飛ばしましょう。

 まずはキョンキョン出世作。「真っ赤な女の子」。作曲は筒美先生。名曲ですわ〜、やっぱり。驚異的にカワイいルックスと、仕方なくやってます、的な振り付けがこの頃のキョンキョンの魅力。

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 続いてはちえみ。「夏色のダイアリー」。今聴くとちょっとシブイのよね、ちえみって。

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 「夏色」対決ではこの人、優ちゃんね。でもここはトロピカルな「渚のライオン」を。足のラインのキレイさが驚異的。

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 ちょっと先輩、ナオナオ。ワタシ、この曲が一番彼女らしくて好きかも。「夏のヒロイン」。

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 さあ、トリは元祖夏娘と言えばこの人、幾重ちゃん、おっと間違い(笑)、郁恵ちゃんです。(そういえば「三段腹幾重」とか悪口言う人、いましたよね・・・)「夏のお嬢さん」もいいけど、今回は1979年の「ラブ・ジャック・サマー」。

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2016-06-18

[]聖子夏コンで思ったこと〜忍び寄る高齢化に向けて

 ワタシ、ここにきて“オッサン化”に歯止めがかかりません。頭頂部は急激に涼しくなってしまって、それと反比例するようにお腹まわりはいつの間にタプタプと厚い脂身で覆われて、まるで洋ナシ(用無し)。ははは。

 もうじき52歳。気持ち的にはまだまだ若いつもりで居ても、トシを考えれば仕方のない事なのかも知れないよね。

 さて、翻って、ワタシより二つ年上で、その真逆を行かれている方がいらっしゃいまして。50代半ばに差し掛かっている今も、まさに永遠の少女のように、若々しい容姿を保ち続けているあの人、そう、聖子さんShining Star(通常盤)

 マヤミキと対談すれば、「自然が作ったパールみたいな輝き」「美を浴びた」と称賛され、某ジャニーズ番組ゲスト出演すれば、メンバーから「今までのゲストの中で一番可愛い」「いつになったら老けるのですか?」と感動の声が上がる。

 たしかに、聖子さんのその“永遠アイドルキャラは、見た目では成功しているのかもしれないけどね。(・・・とは言え、かのジャニ番組ではワタシ、聖子たんのデコの皺がとても気になったのだけど。苦笑)

 でもね。

本当にそれでいいのかしら?いつまで、これを続けるのかしら?

 先日開催されたコンサートを観ながら、ワタシ、ふとそんなことを思ったのです。~35th Anniversary~ Seiko Matsuda Concert Tour 2015‘Bibbidi-Bobbidi-Boo’ [DVD]

 会場を埋め尽くす、妙齢女性ファン(茶髪率高し!・・・つまりはあの人も、この人も、ブリーチ・・・)と、ロマンスグレーあるいはワタシと同じく頭頂部がクールな男性ファンたち。そんなファンたちにとっては、聖子はいつまでも80年代あの頃のままビッグアイドル

 若々しい聖子ちゃんブリブリドレスを纏って、全盛期のビッグヒットをメドレーで歌ってくれれば、ファンも皆あの頃に戻って声援を送り、一緒に歌って盛り上がる。そう、確かにそれは歌手とファンとが共有する、最高の瞬間だと思うのね。

 聖子本人と一緒の空間で、ファンは一瞬にしてあの頃に戻って、それぞれの若かった頃のパワーを呼び覚まし、過酷現実をその瞬間、忘れることができる。そんなマジックとパワーを、たしかに聖子さんは持っていると思う。

 でも。でもね。

 誰だって、歳をとるのよね。見た目を若くキープするために、どれだけエステお金を掛けフィットネスや生活習慣で本人が努力したとしても、老化というものは確実に身体の内側から進んで行くもの

 聖子さんは、歌手。全盛期は特に喉を酷使してきたぶん、声の衰えは如何ともし難いのだ。昨年の紅白が、それを証明したようなものね。そこに目をつむったまま、観た目だけの変わらなさを追求してアイドルを続ける意味が、果たしてどれ程あるの?って。

 私たちオールドファンのために、「永遠アイドル」でいてくれようとするのなら、たとえ声が出なくても、出ない声のままで、それに見合った歌を聴かせてくれればいい。そう思うのよね。

~35th Anniversary~ Seiko Matsuda Concert Tour 2015‘Bibbidi-Bobbidi-Boo’(初回限定盤) [DVD]

 今回のコンサートでは、アコースティック・コーナーにかなりの時間をとって、懐かしい曲・レア曲を披露してくれた聖子さん。すべてナマで歌ったその声は、正直言ってハリが無く、ベストコンディションには到底思えなかった・・・。しかしたとえ、キイを下げてかなり曲の雰囲気が変わってしまっていても、懐かしい曲が不意に歌われたとき、あっという間にあの頃にタイムスリップしてしまう“一瞬のマジック”は確かに存在していたし、会場とのやりとりもリラックスしていて、とても素敵な時間空間だった。

 それで、感じたの。

 極論を言えば、歌わずに(口パクで!それが言いたかったの!!)舞台上を走り回ったり踊ったりする聖子さんは、もう最小限でいい。ファンだって、もう若くないからずっと立っているのは辛いもの(笑)。それよりも、今のコンディションのままでいいから、今の聖子さんに合うアレンジとバンド編成で、しっかり「歌ってくれる」彼女であればいい、そんな風に思えたのよね。アレンジとキイを変えたナマ歌で、あれだけ聴衆を引き付ける力があるのだから

 高齢化しつつあるコアなファンのことを思えば、ファンに「いつまでも夢を届けたい。」そんな聖子さんサイドの思いもわかるし、そうしなければ、聖子さんのコンサートを「夏祭り」的に楽しみにしているファン層をガッカリさせてしまうかも知れない。

 でも、それを続けるには、永遠に変わらぬ聖子を“見せて”いくためにエステに精を出し(一部メンテして)、過酷トレーニングも積んで、テクノロジーに頼った(苦笑)ステージづくりを続けていく必要があるわけでね。ビッグスターのマドンナやユーミンはそちらの方向を選んでいるけれど、もともと彼女らのステージはより「大がかり」で、とても毎年開催できる規模ではなくて、逆に言えば、いつ辞めてもいい(笑)。毎年恒例となっている聖子コンとはそもそも違うわけよね。

 私としては、例えば平井堅の「Ken’s Bar」。大会場にもかかわらず、シンプルなバックで、じっくり聴衆に歌を聴かせてくれるコンサート聖子さんもかつて「Seiko Ballad[asin:B01GWDWHOA:image]という、それに似た形式コンサートを開いてくれたよね。そんな方向に、そろそろ舵を切るべきか見極めるべき難しい時期に聖子さんも来ているのではないかな?と思うのだ。

 毎年開催するのであるなら、良い意味もっと力を抜いた(構成を毎年同じにして力をぬくのではなく、ね)、本人にもオールドファンにとっても負荷の少ないコンサート。“夢”とか“盛り上がり”、ド派手な舞台装置ばかりではなく、ウタ声と選曲で楽しませてくれるコンサート、ね。もうワタシは、それでいいような気がする。

 聖子さん!頑張ってね!!

2016-06-11

[]セイコ・アルバム探訪2016〜『Shining Star

 最新作のレビューです。

「なんじゃあ!コラあ〜!」

 松田松田でも、優作さんの、伝説のセリフ。月並みですけどね、これが、この盤を聴いたワタシの最初感想

 50枚目の記念アルバムだそう。これが・・・ね。・・・やれやれ

 まあ、昨年のデビュー35周年は久々に松カルテットを復活させてくれた上、オールタイムベストリリース&ヒットで、聖子さん的には「責任は果たしたわ。」という感じなのでしょうかね。その反動か、今回は自分の好きなように、ご趣味の「アーティストごっこ」している彼女がここに。

 まるで5年前の、奇跡の“まりコラボ”後の状況、そのまま。あの時は、待望の外注曲「特別な恋人」が出て期待感たっぷりなタイミングに、聖子アルバムの中では“ラジー賞”間違いない(笑)Very VeryVery Veryというステキアルバムが登場したわけですけど、今回のアルバム『Shinig Star』も、もしかしたらラジー賞争いにノミニーかしら?なんて思いました。

 最初はね。

 でも、夏コンも近いし、とりあえず予習はしとかなきゃ、ということで仕方なく(苦笑)2度3度と聴くうちに、まあ最初に感じたほど悪くないわ、なんて思えて来たのよね。そんな風にもうすっかり、聖子たんの掌の上で転がされているワタシなのよね…。まあ、去年は頑張ってくれたし、今どきこんなベテランが毎年新しいCDを出してくれるだけマシかな?なんて。。。もう、そんな境地。

 そうして心落ち着け(笑)聴いてみると、このアルバム、しっとり系の曲(「ずっと愛してるから」「Guardian Angel」など)ではときに聖子さんがハッとするようなニュアンス表現する箇所があったり、力を抜いたビブラートがいつになく気持ちよかったりして、ボーカルアルバムとしては悪くないかも、なんて思えてきてね。枯れた声は中音域がぼやけて相変わらず聴きづらいのは確かなのだけど、ヘッドホン聴く特に聖子さんの歌への集中力凄さが今更ながら、伝わってくるのよね。たとえ陳腐まりない歌詞であっても、それを本人としてはとても大事に歌おうとしている。そんな気がして。

 そうか。やっぱり聴き方としては最早、大物演歌歌手レコード聴くのと同じになっているのよね、きっと(苦笑)。内容なんてどうでもいい、この声(コブシ?)が聴ければ、みたいなね・・・(トホホ)。

 まあ、そんな感じの、50枚目のオリジナル・アルバム、です。

 既発のアニバーサリーシングル永遠〜」「惑星〜」以外の8曲を聖子さんが作詞作曲。アレンジは上記2曲を除き、野崎洋一氏(6曲)と松本良喜氏(2曲)。

 では一応(苦笑)、曲紹介を。

 オープニングはバラード。“この世に生を受けたときから輝いている、心の中の一番星。”詞のコンセプトとしてはGoodなのだけどね。そのままタイトルにしちゃうからつまらないのよね。残念でならない。聖子さん本人のバックコーラス(ハミング)の美しさが光る曲。

 弾むメロディーポップス。このアルバム、野崎さんの編曲には色々努力のあとが見られるだけど、前作『ビビデ』とあまりイメージカブリ過ぎていて、ちょっとイタダケない。品は良くても、メルヘンチックなのが鼻についてしまうのよね。この曲も、そう。聖子さんの詞は、「花びら舞い飛び〜」でまたか!と思ったら続くフレーズは「五線紙に並んでゆく」。おっと、ちょっぴり工夫した努力のあとが。でもタイトルは相変わらずね。

 ご存知サングラスCMソング。ド派手なブラス・アレンジ(でもちょっとダサい)。まあたしかにキャッチーだしメロディーも悪くないし、このアルバムの“キラー・チューン”? 聖子さんのボーカル最近では珍しくアップテンポの曲を爽やかに歌えていて、Good。

 “あなたタイトルシリーズにまた1曲、加わりました・・・。会えなくなった今でも、ずっと変わらずあなたを思っています、みたいな。そう言えば聖子さん、由紀さおりさんの「生きがい」が好き、と言ってましたっけ。確かにそれに近い世界観ですけどね、全然そこには届かなかったようで。

 イントロおもちゃピアノの音。弾むリズムでスキップしながら歌う聖子さん、みたいなイメージ。(ここも『ビビデ』が被る。野崎さんの限界が見え隠れ。)サビの「♪Take a chance」の聖子さんの発声、「テ」の音ばかりが強すぎて、何だか落ち着かないのよね、この曲。それにしても「Take a chance」に続いて「Take a risk」というフレーズをいとも簡単に使えちゃう聖子さん、ナニゲにスゴイかも。

 ピアノをバックにしっとりと歌いあげるバラード。いたって普通の曲なのに、なぜかこの曲の聖子ボーカルにググっときた私。例えば「♪聞いて欲しいことだって もっとあったの」というフレーズを「聞いて欲しい、ことだ〜あ〜って〜」とスラーをかけて歌う部分とか。「♪優しさを振り切って離れたこと ごめんね」という部分、伸ばした音にかかる繊細なビブラートとか。タイトルは「ずっと愛してるから」ではなく、歌詞の中にある「ずっと後悔してるの」の方がインパクトあったかも。

 記号付きのタイトル、もういい加減、やめません?聖子さん。セルフ聖子ありがちなメロディーの、平凡なポップス。スキップ!

  • Guardian Angel

 ワルツバラード。得意なファルセットイングリッシュを多用して聖子さんが気持ちよさげに歌っています。今の聖子さんが勝負すべきなのはメルヘンチックなお花畑ポップスではなくて、やはりこっちでしょう。英語バラードを歌うと、いきなり荘厳なイメージを纏う聖子さん。変拍子風になるサビのアイデアも秀逸。そこで、タイトルをもうひとひねり。歌詞に使われている「風の音〜Angel's Voice」。これで決まりね。使いまわしタイトルは、もうやめましょうよ、聖子さん。

 わ!ここまでの流れとはやっぱり全然違う!異次元!素晴らしすぎて。

 感謝を込めて収録しました・・・てか?自作と同列にして収録するとは、大胆な聖子さんですわ。

 

 う〜ん。玉石混交果たして既発の2曲を入れたフルアルバムとして10曲収録する必要性はあったのか・・・。私としては1・3・6・8曲目あたりと外国曲のカバーを組み合わせたミニアルバムで充分だったような気もする。

 マヤミキとの対談で、「自然体」を強調していた聖子たん。それを否定するつもりは毛頭ないけれど、こと作品作りに関してだけは、もっと練りに練って、とことん考えてもらって、「自然体」を捨てて欲しいわ。そう願っているワタシ。

2016-05-29

[]歌謡曲の良き時代〜「ニッポンの編曲家

 今回は書籍の紹介です。

 面白かったです。この本。百恵プロデューサー以前こちらでも紹介したプレイバック」の著者・川瀬泰雄氏を中心に、ナンノ成功に導いたディレクター吉田格氏以下4人による共同著作。

 70年代後半から80年代にかけてのニッポンのレコーディングスタジオ。そこは名うてのプロたち(音楽制作の“裏方たち”)が集まる、現代では考えられないほど華やかで、贅沢な社交場だった・・・。プロデューサーディレクターアレンジャーギタリストベーシストドラマーブラスストリングスコーラス担当ボーカリスト、そしてエンジニアまで。彼らへの貴重なインタビュー(すでに鬼籍に入られた方も少なくなくて、回顧録もあり)を中心に構成されたのが、この本。

 歌手作詞作曲家とは違って、殆んどスポットライトを浴びることのない彼ら(裏方たち)こそが、一方では名曲たちを名曲たらしめた最大の貢献者だったのかもしれない、そう思えた。そして、俺の愛する70年代80年代の曲たちが一層愛おしくなり、これからはアレンジやミュージシャン演奏にまで深く入り込んで聴いていかなければ(勿体ない)、なんてことも思わされた。

 聖子さんのアルバムにバック・ミュージシャンクレジットが入っていて「すげー」なんて思ったのは80年代前半。それまでは例えば百恵さんの「いい日旅立ちいい日旅立ちイントロで朗々と鳴り響くトランペットを誰が演奏したのか?(正解は、数原晋さん・・・ちなみに聖子さんの「蒼いフォトグラフ」のブラスも彼だったりする。)とか、太田裕美さんの「雨だれ」のピアノ太田さんが弾いたのではなくて、超絶テクと明るいキャラ業界に名を轟かしていた“おじさんピアニスト”(故・羽田健太郎さん)f:id:hiroc-fontana:20160529165252j:image:small:rightだったのね?なんてことは知る由もなかったわけだし、まあ、業界の人以外は誰も話題にしなかったわけよね。

 でも、俺としては例えば百恵さんの「横須賀ストーリー」のイントロジャジャジャ、ジャジャジャとストリングスが怒涛のように繰り出すやつ)とか、太田さんの「しあわせ未満f:id:hiroc-fontana:20110226132233j:image:small:rightの出だしに入る「ドン!」というタムにワクワクしたりとか、当時まだ小学生だったけれど、子供ながらに大好きなイントロやアレンジがたくさんあって(奇しくもその多くは萩田光雄さんのアレンジだったりして)、昔から決して歌謡曲を「ウタ」や「メロディー」や「歌詞」だけで聴いていたわけではないな、と今までの音楽遍歴を振り返って、改めて思うのだ。

 そんな音楽業界が激変したのは80年代の終わり頃で、やはりダビング技術の飛躍的向上と打ち込みなどコンピュータが作るサウンドが跋扈しはじめたことが大きいそうで。つまり、それによってミュージシャンがスタジオに集まって演奏する機会がめっきり減り、一人ずつスタジオに入って演奏する状態から、果てはサンプリングした楽器の音だけ(=一人作業)で音楽が作られるようになってしまった、ということ。

 その結果、どうなったか?ミュージシャンや、アレンジャープロデューサーらがスタジオに一堂に会することによってあちこちで生まれていた“ミラクル”(予想外のスパークのようなもの)が、今、失われつつあるのでは?と。つまり音楽一本調子で、つまらなくなっている(ような気がする)という意味のことを、多くの人が語っているのが印象深い。やっぱりね、ナマ演奏からこそ生じるテンポ微妙なズレが、心地よいグルーブになって、生身の人間の体に直接的に届く、そういうことなのね。リズムボックスサンプル音の繰り返しで構成された人工的な音楽とは全く違う「別もの」ということなのだ。

 

 それにしても、萩田光雄さんがその稀有な才能で業界人たちの多くから崇められている存在であることにびっくり。普段、格調高いアレンジをつける彼が久保田早紀の「異邦人」の下世話なイントロを恥ずかしがって、スタジオから逃げちゃったとかいうエピソードには笑えた。

 また、大村雅朗さんは才能があまりに尖りすぎていて、その厳しい要求に泣かされたミュージシャンも少なくなかったという逸話も驚きだったし、シンガーソングライターでもある広谷順子さんが当時、売れっ子仮歌歌手アキナガイドボーカル担当していたという話)として活躍していたエピソード面白くて、思わず“へえ〜?”とタメ息。

 とにかく、多くはレコードがまだ売れていた時代の、レコード会社にふんだんに資金があった頃のエピソードであって、スタジオミュージシャンたちは、毎日スタジオに入りっきりで、ほとんど誰のどんな曲を演奏したのかさえ覚えていないという・・・。つまりそれは、それだけ鍛え抜かれた精鋭のプロ演奏家たちが、当時の多くの曲のバックに付いていた、という事実でもあるわけで。

 俺自身、多感な時期にそんな時代音楽にどっぷり浸かって来られたのはとても幸せことなのだなと、改めて思えたし、いまだに自分には70年代80年代のあの頃の音楽が何故か飛び抜けて魅力的に聴こえる、その理由がわかったような気もした。

2016-05-25

[]メモランダム2016.5.24〜ウソツキたち

f:id:hiroc-fontana:20160525225151j:image:w120:left 今更ながら、ベッキーについて。

 ワタシも先日のテレビ番組、観ました。中居クンの見事な、見事すぎてあざとささえ感じる話術に感心しながらも、肝心なベッキー言葉には、心に響くものが全く感じられなかったワタシです。

 はっきり言って「どーでもいいわ」というような。

 あるとき、ある人に夢中になって。でもそれは誰彼なく言い触らすようなことでもなく、フツーに二人きりで会って、二人きりの時間を楽しんで・・・。それはごく自然なことですよね。

 その恋愛たまたま有名人同士の間に芽生えたもので、たまたま世に言う「フリン」だったという(ベッキー最初はそうとは知らず・・・なんて言ってましたが)、それだけのお話

 彼女の会見内容が嘘っぱちで、会見でのしおらしい態度とは裏腹な、ラインでのホンネのやり取りが公けになってしまったことは、今回のエピソードの“おマケ”のような話であって、それを先日の放送でいともあっさりと事実だと認めてしまったベッキーに、「ああ、貴女も、自分を守るために平気でウソがつけるフツーの女の子だったのね」と、肩透かしをくらったような、そしてどこかホッとしたような気持ちを抱いたのでした。

 もちろん、公の場で平気でウソをつくのは許しがたいことには違いないのですけれど、例えば自分がある会社の広報部にいて自分の会社の不祥事についての「お詫び会見」をするとしたら、やはりどこか「理不尽さ」を抱えたまま、形だけは思いきり反省を装って、迷惑をかけた人々(←いったい誰に?というギモンを感じつつ)が少しでも納得するように、今にも泣きそうな顔をして会見に臨むと思うのですね。恐らく彼女が会見でそうしたように、余計なことは何も言わず、ただただ頭を下げて、何度もお詫びする。だから、あれはあれでウソだとしても、多少は仕方ないのかも、と。

 ただね、ワタシ、こうも思うのです。何でベッキー、お詫びしてしまったのだろう、って。そして、何でまた、中居クンの番組にノコノコ出てきたのだろう、って。

 もう、相手の男性を好きじゃないとか、彼女がマジメなところ見せれば見せるほど、どんどんシラケていくワタシなのでした。

 いっそのこと、略奪愛を貫いて、しばらく表舞台から姿をくらますくらいの一途さを見せた方が、彼女としては良かったのにな・・・なんて。そんなふうに感じたのです。(もちろん、心の中では不倫相手の奥さんへの申し訳ない気持ちを抱えつつ、です。)

 だってね、シラッと口から出まかせのウソをつきそうな軽薄キャラ女性タレントなんて、今は掃いて捨てるほどいますもの。今更ベッキーがそのカテゴリーの中で勝負しようとしても、厳しいのではないでしょうか。

 かといって、今まで通りの純真で天真爛漫なキャラは、恐らくもうムリ。

 同じような立場の元モー娘。のヤグチ真理が、いまだに鳴かず飛ばずなのは、やはりそこで躓いたのが大きかったように思うのです。純粋愛情ではなく、単なる火遊びであったことを結果として認めてしまったから。もうそんなことは二度としない、と反省すればするほどに、そして番組で明るく振る舞うほどに、観る方は逆にそのキャラに嘘くささを感じて距離を置いてしまうような気がするのです。彼女不倫相手とそのまま真っ直ぐに付き合ってしまえば、その愛は本気だったのだな、と許せたような気がする。他人の反応なんて結局、そんなものなのではないでしょうか。

 現に、ゲイノー界には表立っては話題にされない、現在活躍中の大物の略奪愛がゴロゴロ転がっています。→参考サイトhttp://matome.naver.jp/odai/2137032188066612501

 ベッキーも、今からでもおそくはありません、すでに離婚したと言われる「男性」とヨリを戻して、「逃避行」→「しばらくゲイノー界から引退」→「10年後にデヴィ婦人もどきになって再登場」くらいの気概(構想)を持って、愛の強さというものを世に示してくれたら、見直すのですけどね。。。

 

 誰にでもわかる嘘を公然とつきながら、自分生活(おカネ)の為だけに、うわべだけの反省を見せて、今まで通り表舞台で使ってもらいたい、なんて都合の良い話だと、どこかの知事さんと一緒ですものね。f:id:hiroc-fontana:20160525225150j:image:small:right

2016-05-09

[]時の刻印〜「北の国から」三昧の日

f:id:hiroc-fontana:20160509233023j:image:w240:left あっという間に連休も終わり。いざ終わってしまうと何てことはない、フツーの日常が過ぎていっただけ、という感じ。思えばずっとそうして生きてきた(生きてきてしまった)私の人生50数年・・・単なる連休が終わった、という以上に、そこが残念な気がしてしま今日このごろ。

 私はこの連休仕事に駆り出されたり、その後には少しばかり体調を崩してしまったりで、本当に冴えない「黄金週間」でした。ただひとつトピックと言えば、つい先日契約し直したケーブルテレビのおかげで、たとえ家に籠るばかりの休日になっても少しだけ暇つぶしの“選択肢”が増えた、ということ。

 先週5月4日の「みどりの日」(いつの間にか、4月29日からこの日にお引越ししてたのですね)は、体調が最悪で立ち上がるのも億劫な感じだったので、朝からテレビの前に置いてある一人用ソファに座って(涙)、ケーブルテレビのリモコンを片手にザッピングしていたら、「日本映画専門チャンネル」で思わず手が止まったのです。

 題して倉本聰劇場。なんと朝から北の国から」Day(実際は前日の5月3日から2日連続でした)。

 「北の国から'95 秘密北の国から '95秘密 [Blu-ray]に始まり、「〃 '98 時代(前・後編)」「 〃 2002 遺言(前・後編)」と、1本が約2時間半のドラマを5本連続放送。朝10:00に始まり、終るのは23:30過ぎという、狂気じみたスケジュール!!

 私、全部、観ました(笑)。そして泣いた、泣いた・・・涙が涸れ果てるくらいに。寝る前に鏡で自分の顔を見たら、白髪まじり不精ヒゲ&瞼がおぞましく腫れた、無様な中年ジジイがそこに(苦笑)。

 「北の国から」が連続ドラマとして最初放送されたのが1981年。ワタシは当時リアルタイムでそれこそ毎週夢中になって見ていました。そこから最終作が作られた2002年まで、20年。いわば「北の国から」はワタシたち世代にとっては外せない、ドラマバイブルみたいなものかも知れません(勿論好きキライはあるでしょうけれど)。昨年のアカデミー賞作品賞ノミネート作品で、6歳の少年が18歳になるまでを同一の俳優が演じて話題になった「6才のボクが、大人になるまで6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]

という感動作があったけれど、「北の国から」はそれに先立つこと30年以上前に、同じことをやっていたわけで(ここは純ちゃん口調で(笑))。それはスゴイことなのです。カワイイ赤い頬をぽってりさせていた吉岡くんや、無垢で健気な感じが愛おしかった中嶋朋子ちゃんは、いつの間に憂いを帯びた大人になり、最初は男盛りの雰囲気だった田中邦衛さんも、最後は70歳の枯れたオジイちゃん。思えばこの国では山田洋二監督の「男はつらいよ男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け HDリマスター版(第17作)が足掛け26年・48作(!)、「釣りバカ日誌」も足掛け22年・22作と、ご長寿シリーズもの定番であったりもするのだけれど、どちらかと言えば時代設定がタイムレスな「寅さん」「浜ちゃん」とは違って、「北の国から」の場合はしっかりとストーリーに“時の経過”が刻まれているのが、魅力なのですね。例えば邦衛さん演じる五郎さんが昔を回想するシーンがあれば、そこには子役時代吉岡くんや朋子ちゃんが当時の映像でちゃんと出てくる。長男・純君の恋愛遍歴を辿れば、初々しい横山めぐみちゃんや裕木奈江ちゃんや宮沢りえちゃんが、次々と回想シーンの中に現れる。そんなドラマ、他にありませんよね。

 「2002 遺言北の国から 2002 遺言 [DVD]では、大事共演者たちが一人、また一人とこの世を去っていく中、五郎さんも遺言を残そうとするわけです。ドラマ主人公にも着々とカウントダウンが迫っていることを感じさせる、この何とも言えない切ない感じ。そう言えば先日終了した朝ドラあさが来た」も、ドラマ開始時からずっと元気だったダンナさま(玉木宏が好演)が、終盤を迎えて少しづ生命を枯らしていく様が何とも切なかったのですけど、最近ワタシ、こうした“愛着のある人(もの)”が身のまわりから消えていってしまうこと(抗えない時の流れ)を想像するだけで、悲しくて切なくて仕方がないのです。歳のせいですかね。「2002 遺言」はこのシリーズ最終作ということもあって、全編にそんな寂しさが漂っていた気がします。

 そんな「北の国から」は、長い時を刻む壮大なドラマでありながら、大人になった息子(純)・娘(蛍)は、二人ともどちらかと言えば不器用人生を歩んでいて、でもそれぞれに不器用なりに一生懸命自分たち未来を切り拓こうとしているという、おとぎ話ではないそのリアルな感じが、何とも身につまされるのですね。そして根底にあるのは、家族への、どうしようも動かしがたい愛情であって。

 平凡に見えても、地に足をつけて、人間らしく自分らしく生きていければ、人生、上等なのだ。

 誰とも会わずに一日じゅうテレビにかじりつき、ひとりずっと涙を流し続け、最後には、そんな風に思えたのでした。

2016-04-30

[]セイコのひとり紅白歌合戦

 ゴールデン・ウィークに突入ですね。皆様いかがお過ごしでしょうか。

 さて我らが聖子さん、今年も律儀に(笑)、内容はどうあれ(苦笑)、待望のニューアルバム6月8日に届けてくれるそうです。

 →http://www.universal-music.co.jp/matsuda-seiko/news/2016/05/04

アルバムタイトル『Shining Star』ですって。。。今回もブレない聖子さん(苦笑)。)

 いろいろありますが、聖子さんを見習って「明日に向かい、走って行きましょう!」というわけで、ニュー・アルバム発売&夏恒例コンサートツアーを前に、昨年末の“サゲサゲ”ステージ屈辱を果たすべく(笑)聖子たんの“ひとり紅白”ここに実現。

 

 まずは白組1981年7月発売のシングル白いパラソルからどうぞ。

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 紅組トップバッターはもちろん、1982年1月発売「赤いスイートピー」。

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 名盤『SUPREME』より「白い夜」。

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 こちらは近年のコンサート定番曲、「赤い靴のバレリーナ」。

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 続いてはセカンアルバム『North Wind』より、元気溌剌な「白い恋人」。

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 え?もうネタ切れ?えーい、こうなったらピンクも行っちゃえ!

ピンクモーツァルト」。1984年シングル

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 ピンクもういっちょ。1982年の傑作『Pineapple』より「ピンクスクーター」。

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 青組の登場です(笑)。「青い珊瑚礁」。

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 青もう一つ、でもこちらは「蒼」で、少し深みを帯びた青色だそう。

 「蒼いフォトグラフ」。1983年瞳はダイアモンド」のカップリング

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 白組トリはこれでいかが?1987年シングル

Pearl-White Eve」。 D

 大トリは、こんな色。(もう紅白なんて、どうでも良くなってる(笑)

瑠璃色の地球」。

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手抜き企画で、ごめんなさいね(苦笑)。