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あべ・やすしといいます。

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2012ねん 01がつ 01にち

「創ろう! 私たちの《障害者総合福祉法》!《骨格提言》を初夢に終わらせないために!」1月7日。京都集会。

 集会の おしらせです。

  • 趣旨:「障害者総合福祉法」が2012年の通常国会に上程されることになっています。私たちは、8月30日に「総合福祉部会」から出され国に手交された「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言〜新法の制定を目指して〜」が、二つの指針―「国連の障害者権利条約」と障害者自立支援法訴訟団が厚生労働省(国)と締結した「基本合意」に基づいている事を高く評価しています。私たちは、国会に上程される「障害者総合福祉法案」が、上記「骨格提言」に沿うものであることを強く望んでいます。
  • 日時:2012年1月7日(土)午後1時30分〜4時30分
  • 場所:京都ひと・まち交流館ホール(河原町五条下がる)
  • 参加:300人(参加自由・無料)
  • 主な内容:
    • 主催者開会あいさつ
    • 基調講演「障害者総合福祉法骨格提言を初夢に終わらせないために」藤井克徳さん(障がい者制度改革推進会議議長代理)
    • 「討論」・「障害者権利条約」の批准にふさわしいものに・改めて強調する!「基本合意」の重要性・障害者福祉サービスの利用料の考え方・「日払い」方式では経営が成り立たない・「障害自己責任論」は時代遅れの考え方・「障害」「障害者」問題を社会の問題として受け止めよう・障害者予算をOECDの平均並みに引き上げようなど
    • *「参加者からの発言」、「京都アピール」の発表と採択、主催者閉会あいさつ
  • 主催:「障害者権利条約の批准と完全実施をめざす京都実行委員会」「障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす京都の会」

 日本の障害者福祉制度については、わたしの2011年の論文「情報保障の論点整理─「いのちをまもる」という視点から」でも問題を 指摘しています。よみたいという ひとは、会場で わたしに声をかけてください。


 2011年2月12日の「障害者制度改革について考える地域フォーラムきょうと」では、ほんとうに たくさんのひと(600人以上)が参加し、熱気あふれる集会になりました。今回も、制度改革にむけた あつい集会になれば いいなと おもいます。


 そのために、まず

を ごらんください。


 「骨格提言」は、つぎのファイルで全文が よめます。


「障害者総合福祉法の骨格に関する総合福祉部会の提言」(骨格提言)(PDFファイル、130ページ)


関連リンク

2011ねん 12がつ 29にち

言語能力と刑罰―言語という障害。

 2009年に「言語という障害―知的障害者を排除するもの」という論文を かいた。もくじは つぎのとおり。

はじめに

1. 言語権という理念

1.1. ひとつの言語とはなにか

1.2. 言語権のひろがり

2. 知的障害と「言語」

3. 言語学の倫理―ジーニーを実験台にさせたもの

4. 共生の条件とされる「ことば」

5. 知的障害者をとりまく社会環境―言語という障害と能力主義

5.1. 言語と世界観

5.2. 知的障害の判定テストと言語

5.3. 能力の個人モデルから「能力の共同性」へ

6. 言語主義からの自由、そして言語権のユニバーサルデザインにむけて

おわりに

参考文献

 こうした問題に関連して、最近 気になっていることがある。それは「言語能力」によって刑罰の軽重が左右されてしまうということだ。

 浜井浩一(はまい・こういち)は『2円で刑務所、5億で執行猶予』光文社新書で、つぎのように のべている。

 ある意味、刑事司法手続は、98%の人が不起訴や罰金刑で勝ち抜けるゲームであり、受刑者は、その中で2%弱の負け組なのである。ただし、ここで重要なことは、負け組になる理由は、犯罪の重大性や悪質性とは限らないことである。

(116ページ)


 浜井は、「負け組と勝ち組を分けるもの」をつぎのように説明している。

 勝ち組になる条件は、初犯であれば、端的に言って財力(被害弁償等)、人脈(身元引受人等)、知的能力(内省力・表現力)である。…中略…教育水準の高い者は、コミュニケーション能力も高く、取り調べや裁判の過程で、警察官や検察官、裁判官の心証をよくするために、場に応じた適切な謝罪や自己弁護等の受け答えができる。

(117ページ)


 受刑者は、どうか。

…受刑者の中には、教育水準やIQが低く、不遇な環境に育ち、人から親切にされた経験に乏しいため、すぐにふてくされるなどコミュニケーション能力に乏しい者が多い。当然、刑事司法プロセスの中では、示談や被害弁償もままならず、不適切な言動を繰り返し、検察官や裁判官の心証を悪くしがちである。その結果、判決では、まったく反省していないと見なされ、再犯の可能性も高いとして実刑を受けやすい。

(118ページ)


 その結果として、「IQで見ると受刑者の約4分の1程度が知的障害を示す70未満のレベルにあり、精神障害を有する受刑者も増加傾向にある」という状況をうみだしている(125ページ)。


 こうした刑務所の状況については、最近になって注目があつまっている。山本譲司(やまもと・じょうじ)の『累犯障害者』、浜井の『刑務所の風景』、日本弁護士連合会刑事拘禁制度改革実現本部編『刑務所のいま』などに くわしい。

 わたしも「情報保障の論点整理─「いのちをまもる」という視点から」という論文で刑務所の問題について すこし論じた。


 今回とりあげたいのは、仮釈放の条件として言語能力(コミュニケーション能力)が障害になっているという点についてだ。

 日本犯罪社会学会編『犯罪からの社会復帰とソーシャル・インクルージョン』を みてみよう。山本譲司(やまもと・じょうじ)による第1章「刑事司法と社会福祉―出所者支援活動の実践から」から引用する。

 身元引受け先のない受刑者には、仮釈放が許されることはない。これが更生保護行政における厳格なルールです。それに、仮釈放が許可されるうえでの重要なバロメーターとしまして、「身元引き受け先の有無」とともに、「受刑者本人の反省の度合い」があります。

 通常で言いますと、有期刑の受刑者は、刑期の3分の1を経過した時点で、保護観察官との1対1の面接が行われます。その場で反省の弁を口にすれば、大抵の保護観察官は言葉通りに受け取ってくれて、「改悛の情あり」と仮釈放の可否を判断する更生保護委員会に報告してくれるようです。そこで面接前になると、受刑者は必ず、担当刑務官から、「演技でもいいから反省の態度をとるように」というアドバイスを受けることになります。ところが、知的障害のある受刑者たちは、その声にも全く関心を示しません。馬耳東風といった感じでした。反省の態度を表すことができない人たちが多いんですね。たぶん彼らは、取調べや裁判の場でも、言葉を発することなんて、全くなかったんじゃないでしょうか。でも、我が国[日本のこと―引用者注]の刑事司法や行政施設には、彼らの障害を積極的に理解しようという姿勢はほとんど見られません。

(41-42ページ)


 社会に居場所がなく、反省をかたることができない ひとは、仮釈放の機会に めぐまれず、満期出所となる。そして、すくなくない出所者が無銭飲食や万引きなどで刑務所にもどる。これが日本社会の現実だ。


 浜井浩一は『2円で刑務所、5億で執行猶予』で「刑務所にはたしかに自由がない。では、介護福祉施設に入っている身寄りのない高齢者にどれだけの自由があるのだろうか?」と のべている(215ページ)。そして、「真に彼らの社会復帰を考えるのであれば、福祉施設に収容したり、生活保護を支給したりするだけでは不十分なのかもしれない」という(216ページ)。


 これは、日本の刑事政策だけでなく、社会福祉そのものを 改善していく必要があるということだ。


 最近、まちを あるいていると「やり直せる社会に、賛成です」というポスターをみかける。これは法務省が「“社会を明るくする運動”―犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ」として推進しているものだ。

 法務省には、こうして社会にむけてアピールするだけでなく、日本の刑事司法のありかたを 根本的に改善してほしい。


 言語能力によって、実刑になったり、仮釈放されなかったりする。そのようなシステムは あきらかにおかしい。


 コミュニケーションは、「ひとと ひとの あいだにあるもの」だ。表現をかえれば、「コミュニケーションは おたがいさま」なのだ。これは、検察官や裁判官の「コミュニケーション能力」の問題でもある。

 社会における「言語」や「コミュニケーション」の位置づけの問題でもある。

 個人の能力の問題ではなく、社会の問題であるということ。社会保障の問題であるということ。それを 自覚し、宣言し、実践する。そのさきに、どのような社会が ひろがっているだろうか。

 いまの現実は、おぞましいものだ。ここから、どのような社会を めざすのか。


関連記事

2011ねん 12がつ 28にち

停電弱者。

 3月の原発事故のあと、「原発がとまれば弱者が死ぬ」という主張があり、それは「ためにする議論」だと批判する議論がありました。じっさいには「弱者」のことなんか かんがえていないのに、原発を維持するためだけに もちだした論理だと。


 わたしは、とつぜんの停電は死活問題であり、さけるべきだということ、そして、原発は不安定な電力供給源であるということ、だから安定的な発電方法をえらぶ必要があると かんがえます。


 だから、「原発がとまれば弱者が死ぬ」という主張は、わたしも問題だと おもいます。しかし、「原発止めたら弱者ガー」と ばかにするのは、あきらかに不当だと おもいます。


 さきほど まとまった文章を みつけましたので、ご紹介しておきます。


【論壇】「東日本大震災と障害者の医療・介護について―人工呼吸器をつけた子どもたちとともに歩む立場から」 穏土 ちとせ(バクバクの会 副会長) (『介護保険情報 2011年7月号』掲載)


 一部を引用します。できれば全文をよんでください。

◆計画停電騒動が明らかにしたもの

 震災後、にわかに沸き起こったのが、計画停電(輪番停電)問題でした。


 最初の報道(3月12日)では、「自宅で医療機器を使う人」や「病気療養者がいる世帯」には、東京電力が「発電機を貸し出すなどして対応する」と流れました。電力会社には、在宅で人工呼吸器などを使用している人に優先的に情報が届くようにするための“事前登録制度”がありますが、任意登録で該当者が網羅されているとは思えません。どうやって該当者を把握するのか、ニーズに対応できるだけの発電機の用意があるのかと考えれば、命を守る対応としてはあまりにお粗末で、電力会社がこんな甘い認識でいいのかと驚愕しました。


 事実、発電機の貸し出しはすぐに終了し、東京の会員によると、“事前登録”をしていても、輪番停電の電話連絡があっただけだったと言います。ほとんどのバクバクっ子には、電源確保の備えがあったから良かったものの、前項でふれたように、安否確認の中で、備えがなく途方に暮れている会員の存在が判明しました。また、茨城のある会員は、震災当日、学校に迎えに行った帰り道、たまたま出くわした東京電力の車に声をかけて発電機を貸してもらえたものの、それまで電力会社の“事前登録制度”そのものを知らなかったと言います。計画停電の対象からは外れても、余震は続発している状況で、後日、保健所に問い合わせると、保健所も“事前登録制度”を知らなかったと言います。さらに、同じ茨城で、“事前登録”をしても営業所のリストに反映しておらず、3回も登録をやり直した経験を持つ会員もおり、そもそも“事前登録制度”自体が有効に働いていたのか疑わざるを得ません。


 停電は、医療機器の助けが必要な人にとって、文字通り“死活”問題です。命に関わるからこそ、正確な情報が直ちに必要であるにもかかわらず、東京電力のホームページはアクセスが集中してつながらず、報道で得られる情報も二転三転し、会員には普段の備えを改めて確認するよう呼び掛けるしかありませんでした。合わせて、会員だけでなく広く必要な方に役立てていただこうと、バクバクの会のホームページ上に、普段バクバクっ子たちが活用している方法を生かした「緊急時の電源確保の方法」(※注1)や「緊急時の医療材料や医療器具の消毒方法」などの情報を掲載しました。掲載した情報は、瞬く間に、インターネット上のML、ブログ、ツイッター等を通じて広く全国に紹介され、多方面から問い合わせや転載要請が寄せられました。問い合わせが多いということは、それだけ危機にさらされている当事者が多かったことの裏返しではなかったでしょうか。そんな中、厚生労働省からは、計画停電に関わって、自治体や関係機関に向けて、当事者への注意喚起の協力を求める事務連絡(※注2)が続々と出されました。タイムリミットを前に、在宅療養をしている人たちの命が危険にさらされないようにとご尽力いただいていることが伝わり、頭が下がる思いでした。けれども、一方で、それらの通知の内容を読めば読むほど、これで果たして犠牲者を出さずにすむのかという懸念を打ち消すことができませんでした。


 バクバクの会というのは、「人工呼吸器をつけた子の親の会」です。


 おなじく注目すべき団体に日本ALS協会があります。2011年3月には、つぎのようなアピールをしています。



 9月18日には「シンポジウム・震災と停電をどう生き延びたか―福島の在宅難病患者・人工呼吸器ユーザー(他)を招いて」が京都市で開催され、たくさんのひとが参加した。


 こういうことを、たくさんのひとに しってほしい。


関連リンク:

2011ねん 12がつ 16にち

国民という差別。

 言語政策学会のシンポジウムで李洙任(り・すーいむ)さんの報告を きいた。李さんには『グローバル時代の日本社会と国籍』という田中宏(たなか・ひろし)との共著がある。

 李さんの報告の題は「移民コミュニティの移民言語教育―オールドカマーを中心に」であり、「国民」と「外国人」という規定の問題を指摘していた。


 おなじような内容を 最近、サイトに のせたので、紹介しておきたい。


「国籍ってなんだろう―日本の入国管理政策の問題」 - あべ・やすし


 さて、李さんの報告にたいして、フロアから つぎのような発言があった。要約する。

わたしも法律の国民という表現について問題だと感じていた。だが、あるとき法律の専門家に「文言説」と「性質説」のちがいをおしえてもらった。つまり、法律の文言では「国民」とあっても、じっさいの運用では その「国民」には「外国人」が ふくまれるのだと。それをきいて、国民という語について問題を感じなくなった。

 だいたい、そのような発言だった。


 なにを いってるのか。ふざけるなと いいたい。


 文言説と性質説の区別は、じっさいに国籍条項が法律によって規定されており、じっさいの運用でも差別があるとき、それを是正するために使用するべきものである。

 「国民」と「外国人」という法律のことばを批判する議論をおさえこむためであってはならない。


 たとえば、多文化・多言語コミュニティ放送局として活動している「FMわぃわぃ」は、電波法の国籍条項を批判している(「コミュニティ放送の運営から除外される外国籍住民―電波法の外国人差別を正す」 - FMわぃわぃ)。


 このような具体的な問題を解決するために、「性質説」による運用を もとめるべきなのだ。


 国民という語は、あきらかに問題であり、差別を うみだし、正当化するものである。けっして、ゆるすことはできない。


 「国民、コクミン」、うるさいんだよ!


参考リンク

2011ねん 12がつ 13にち

ミタさんはロボットではない。

 『家政婦のミタ』というドラマ。おもしろい。すきだ。


 おもしろい点は いくつかある。ひとつは、責任を 実感するプロセス。


 このドラマにでてくる家族は、最初「家政婦」に やたらと あまえる。「家政婦なんだから、ちょっと」と、勝手な「家政婦」イメージで 愛想を とってもらおうとする。ご意見してもらおうとする。


 ミタさんは、きめるのは あなたたちだ、わたし(家政婦)は 家族ではないということを つたえる。そして、ミタさんは いわれたこと(業務命令)は どんなに無茶なことでも やってしまう。

 そこで、ミタさんに 依頼を するひとは 責任を 感じるようになる。


 「どうして そんなことするんだよ!」と おこってみても、依頼したのは 自分だからだ。ミタさんは「おてつだい」は してくれても、なにかを 自分のかわりに きめてくれるわけではないからだ。


 もうひとつは、ミタさんはロボットではないということだ。ドラマのなかで、ミタさんは依頼されたことを 正確に こなす。常識はずれのことであっても、やってしまう。しかし、それだけではない。ミタさんは、あきらかに「余計なこと」を している。その余計なことは、ミタさんの人間性を あらわしている。ミタさんの やさしさと いっても いいだろう。


 ロボットのようでいて、そうではない。そこにミタさんの魅力がある。


 さらに もうひとつ、「感情労働とは なにか」という点で おもしろい。感情労働というのは、なにも「笑顔でサービスする」というだけのことではない。業務を すすめるために、自分の感情を コントロールするという点が ポイントである。


 なきたいのに がまんして 笑顔で接する。わらいたいのに がまんして まじめな表情で 仕事を する。それが感情労働の しんどいところだ。


 さて、ミタさんにとって 感情労働とは なんだろうか。それが いまの時点(第9回まで放送)では わからない。

 ミタさんの表情を みていると、労働時間と それ以外の時間に それほど ちがいがないように みえる。労働だからと いって 感情を 管理しているようには みえない。


 ミタさんは、「わらってはいけない」と自分を 律している。つまり、自分の人生まるごと 感情管理しているのだ。「労働だから」ではない。


 ミタさんは、ロボットのように なれる仕事として、「家政婦」を えらんだ。つまり、自分の人生の感情管理に 仕事を あわせたということだ。これでは 労働管理と いったほうが適切かもしれない。じっさい、「期待される家政婦像」を 演じることはないのだから。かんぺきに 家事を こなすという点 以外では。


 家族のほうも、ミタさんの「労働管理」、「人生の感情管理」を 尊重することになったのだから。


 しかし、ミタさんはロボットではない。人生の感情管理を まっとうできるほど、人間は つよくない。そもそも、そんなことを つよがる必要はないのだ。無理しなくて、いいじゃないか。


 仕事だろうと、なんだろうと、期待されようと、なんだろうと。自分なりに、したいこと、したくないことがある。それを コントロールしよう。それはつまり、人間関係を コントロールしようということだ。無理に あわせる必要はない。自分が 納得できる関係にしよう。



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