巌のごとく このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-10-09 今熊野観音寺・本能寺参り このエントリーを含むブックマーク

先日京都に出張に行ってきました。その折に島津義久公夫妻の

お墓参りに行って参りましたので、そちらのご報告を。

今熊野観音寺:

詳しいサイトがこちらにあります^^;↓

realintegrity.net -&nbsprealintegrity リソースおよび情報

上のサイトの案内に従い、都バス208系統「泉涌寺通」で下車。目の前に定食屋さんがあります。案内板に従い、数百mほど歩くと御陵衛士のお墓がある戒光寺、那須与一の墓でお馴染みの即成院が左手に見えます。

それらにもお参りをし、さらに坂道を歩くと三叉路があるので、案内通りに左の道を進むといよいよと今熊野観音寺。

現在は泉涌寺の一塔頭ということですが、かなりの大きさ。

医聖堂には、医心方でお馴染みの丹波康頼から、福沢諭吉先生のお師匠様である緒方洪庵に至るまでの医学の先人たちが奉られていました。こちらに手を合わせていよいよ墓地へ向かい、

島津義久公の逆修塔にご挨拶をいたしました。

当日は台風の影響で、雨が降ったり止んだりの繰り返しでしたが、これも「島津雨」と、嬉しいやら困ったやら(^^)

慶長3年に島津義久・(向かって左)平田増宗・(向かって右)山田有栄の三人(義久公が最も信頼していた家臣2人ですね)がここに逆修塔を築いたようです。上のサイトでは”春栄”とありますが、よく見ると”有栄”で、該当する人物は山田有栄しかいないかと。平田さんのほうはしっかりと”薩州(?)平田次郎左衛門尉増宗”と彫られておりました。

お三人に手を合わせ、次は家族で伺いますと勝手に約束をして(笑)お次は本能寺へ。

現在の本能寺は京都内でも有数の繁華街である新京極の中に建っています。信長やお小姓たちの墓と少し離れた場所にお墓三姉妹がありました。

上段の宝塔        円信院妙蓮夫人 ←ココ

中段の(宝筺院塔+宝塔) 菅中納言局庸子

下段の宝筺院塔      徳川家重夫人

妙蓮夫人は種子島家の出であり、種子島家といえば貿易の関係上日蓮宗だったという関連から京都は本能寺にお墓があるのでしょうか?。経緯が知りたいなぁ・・・

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/houkyouintou/20061009