拓殖のあと

はてなダイアリーから引き継ぎました。(2018年8月31日)

Saturday再読

結局もう一度読んでしまったのだった。某氏の論文を念頭に置きながら。

Saturday

Saturday

数日前この小説についてふざけたコメントを書いたが、ちょっとマジになると、これはポスト911小説であり、目の前にテロリスト(ではないけどね)があらわれたらどうするのか、という主題をあつかった小説でもある。
通俗的ですよ。だが、この主題のそんなに悪くない通俗的変奏だという気がする。
ロンドン同時多発テロのあと、マキューアンがどういう発言をしたのか、チェックしておきたいな。

『姜尚中の政治学入門』

姜尚中の政治学入門 (集英社新書)

姜尚中の政治学入門 (集英社新書)

今日の行き帰りのバスの中で読み切れるほどの分量(活字の量が少ない!)だが、アタマがすっきりする良書。
七つのキーワード――アメリカ、暴力、主権、憲法戦後民主主義歴史認識東北アジア――をごく簡潔に語ってゆくのだが、それぞれなかなか面白い。
例えば私は今Saturdayを再読していろいろ考えているわけだが、仮にこの小説を「総合文学入門演習」の授業で使うとすると、主人公ヘンリーと妻ロザリンドが闖入者バクスターが(事実上)逝ったあと激しくセックスする場面とか、ヘンリーがバクスター脳挫傷を手術するシーンがエロティックに描写されていることとか以下省略を取り上げて、「暴力とエロスだ、ほら何か言ってみろや」と受講者を煽るのではなく、姜さんの次のようなフーコーの解説を読ませるのが教育的だろうと思うわけなのだ。

フーコーにとってはむき出しの暴力が問題ではなく、むしろそれを禁止し、暴力や欲望の領域から人間(自己=主体)を切り離して、それを法や義務、心理や道徳の領域に置き換えていく巧妙な知と権力のテクノロジーが最大の問題だったのです。真と偽、善と悪、正常と異常、文明と野蛮、民主主義と独裁といった二分法の体系も、そのような知と権力のテクノロジーと繋がっています。(56)

さくっとフーコーのおさらい。そして(チャート式に理解された)渡辺一夫的ユマニスムの限界を示唆しつつ「その次」を語る。

やや論理的に飛躍しているように思えるかもしれませんが、民主主義を実現するために独裁のような悪を殲滅しなければならないという「正戦」論的な先制攻撃の擁護は、そうした問題系から発生しているとみなしてもいいのではないかと思います。
フーコーが考えた抵抗は、法や規範、宗教を通じて作動する知と権力の支配に抗い、エロスに根拠をおいた新しい生存の技法としての倫理を確立することでした。
フーコーのいうエロス的な主体は、自己を「芸術作品」のように練り上げていく永遠の挑発者でもあります。もしこのような自己に準拠した主体の倫理を共存・共生関係へと繋がるような倫理にまで練り上げられれば、そこに抵抗と変革を志向する新たな共同の主体の倫理が形づくられるかもしれません。(57)

最低限これだけを頭に入れておけば、学生と一緒にマキューアンの小説を議論するにしても、議論が無理なく深まるだろうし、そこから本格的なフーコー論にもつなげられる、ような気がする。
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Two Against Nature

週末は札幌で買書三昧。ついでにSantana, Supernatural (1999)とSteely Dan, Two Against Nature (1999)、他にダンの昔のアルバムのデジタル・リマスター版を数枚購入した。
Supernaturalはふつうのロックアルバムであり、それ以上ではない。わざわざ買う必要なし。例の'Smooth'、ほんとに桑田の新曲ですね。これが売れるっていうんだから、サザンは西海岸限定でアルバムを出せば売れるのではないか?
Two Against Natureは、Ajaが好きな人なら買って後悔しないはず。一曲目、'Gasliting Abbie'は、Gauchoの'My Rival'にAjaの'Peg'のベースラインを加えたような佳曲。その他にも聴くべき曲はあり、Deep Purpleの復活みたいな悲惨さは皆無。あのオッサン二人組はやはり大したものだ。ただ、最後の'West of Hollywood'のサックスソロだけは長すぎて、聴いててキレそうになる。
ところで、クレジットを見て気がついたのだけれど、"produced by Walter Becker and Donald Fagen"とある。これ、かつてのダンならば"all songs written and arranged by Donald Fagen and Water Becker, produced by Gary Katz"だったのだ。そういえば、Ajaのメイキング・ヴィデオもベッカーが非常に雄弁で、フェイゲンはむしろ脇役的だった。二人の力関係の逆転?単にアルファベット順という気もするが。

Two Against Nature

Two Against Nature

札幌の丸善で、近代ナショナリズム国語学をあつかった本を買った。このテーマは最近では珍しくもないが(安田敏明、イ・ヨンスクの仕事を参照せよ)、しかし岡倉由三郎について四ページも割いて論じてあり、早速購入。今週中にでも読み切り、読書メモをアップする予定。いや、本を買いすぎ、あまりに重くなり、宅急便で送ったので、手元に現物がないんです。

Sony Datadiscmanを購入。リーダース+プラスを卓上でさくさく使うためである。*1

*1:Datadiscmanは全然使い物にならなかった。[2006/07/12]