こっこさん/こうの史代

こっこさん

こっこさん

雄鶏「こっこさん」とやよいとその家族のお話。しんみりすてきになったところで、落とす、その落としかたにやっぱり持ち味があって、完全に「良い(ような)」状態がほころびたところ、突き放した距離感とかに、あったかさが滲む。
うまいなぁ。いつもうまいなぁと思うけれど、「こっこさん」は特に、意図的に「落ち」をまとめてるように感じる。その整然とした感じに嫌みがないのがすごい。けど「長い道」などを読んだ後では、あの、奥にこわいものが潜んでるようなお話を期待してしまったりもする。
はづきの話「こっこ笑」で見せる、はづきの横顔に、ちょっと谷川史子さんを思い出したりした。

 「意志する」

日立製作所は6日、暗算や暗唱などによって生じる脳内の血液量の変化を電圧信号に変えることで、鉄道模型の電源スイッチの「オン」「オフ」を切り替える実験に成功した、と発表した。
(略)
暗唱、暗算などの脳活動ごとに活動する脳内部位が微妙に異なるため、この違いを信号に反映させることでより複雑な機械操作を目指すが、研究チームを率いる同製作所小泉英明・フェローは「脳機能のリハビリを、結果を確認し、楽しみながらやることで効果の増大も期待できる。5年以内に実用化できれば」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20061106it13.htm

いつかこれが「当たり前」になった時のことを想像してみる。
この実験は、つまりオン/オフを脳の血流のパターンにあてはめてるということだと思う。「オン」にしたいときの言語のかわりに、脳の動きのパターンを利用している。つまりそれは翻訳された「意志」だ。
なんて考えてみると、やっぱり、「意志」を形にすることの難しさは、やはり「言葉」にあるのだと思う。
そして例えば昨日感想書いた「愛はさだめ〜」の中に収録されていた「最後の午後に」では、「心から願う」ことが現象に反映されていた。
意志は言葉を裏切るものだ。そして言葉も意志を裏切る。
その追いかけっこのままならなさが、「自由意志」の遠さを裏付けるものかもしれない。
それじゃあ、意志はいったい何に制御されてるんだろう。

 方南町

言葉を読んでいる夢を見た。本か、手紙か、ネットか、ともかく字をたどりながらずっと、声が聞こえていた。知らない声。でも誰だかわかっていたような気がする。「方南町」を「ほうなんのまち」と読んだところで、それが声だということがわかる。視覚音との違和。
「ほうなんのまちで」とか「ほうなんのまちに」とか予想外とか…、方南町が何なのかは、目が覚めたときに忘れてしまった。
ただ、その何かについて書かれた文を読みながら、私の思い描く場所の外には海が見えて、なんだか楽しいことがあるような気がした。はやくそこへ行きたい。そんな気分で目が覚めた。

で、起きてすぐ調べてみたけど、当然、方南町に海はない。夢の中だと、横浜とかそんな感じだったけど。でも一回行ってみようかな。住宅街かな。

 盗みぎき

エクセルシオールで、「しあわせの理由」(ちょう面白い)を読みながら聞こえてきた会話。
「お姉ちゃんがさぁ、どうぶつのもり?ってゲーム?をやってるらしくて」
「森の中で動物飼ってるらしいんだけどさ」
うんうん、へえ、飼うは違うよ、なんて聞き耳たてて。
「なんか誕生日にさ、その動物からプレゼントもらったとかいってちょう喜んでて」
なにそれそんなイベント体験してない、って思いながら。
「おわってるよねー」
ってので、思わずそっちをまじまじと見てしまった。
えええ?? なにそれひどい。やってから言えよ、とは思わないけども、終わってるって言われるほどのもんじゃない、とか自分のことのように憤慨してしまった。つーか終わりってなんだ、女として? それ言われたらぐうの音もでませんが。でも、「どうぶつの森」なんて、めちゃめちゃ一般向けだと思うのになぁ、ゲームってだけでだめか。でもトロとかはかわいーとか言ってたりするんじゃないの。
なんて一人脳内で反論してたら、
「ああはなりたくないからがんばろ☆」
という結論に落ち着いていて、空しいというか切ないというか悔しいというか、悲しくなった。しあわせの理由はいろいろですよ。