1999年のパソコンの進化

ikomanokaze2004-09-08

'99年3月19日 私のパソコンの進化
     

今までのCPU:K6の200MHZだったのが
     今回は :インテルセレロン366MHZの製品を415MHZを動かすというのだからすごく速くなったよう・・・
     クロック3の64メガからクロック2の128メガになり
     TNT16メガになった・・・・・すごい(‘ー‘)/~~

1999年5月 「生駒の麓へようこそ」のHPをアップしました。


当初は「古の生駒の麓へようこそ」というタイトルでした。

この「古」というのは私の思い入れが強かったのですが・・・・
東大阪市側の生駒山の麓の日下というところへ越してきて、自然が残る、歴史の足跡が残るこの地域に感動しました。
私のHPのTOPに「近鉄石切駅を出ると、そこはもう雲の上の町です。太閤さんの大阪の町なんて、小さい小さい。タイムスリップして古の里を散歩してみませんか」と書き、
生駒山の西麓・東大阪の東端の里は奈良の都の玄関だったのでしょうか。
自然が残る、昔が残る、物部氏の里は 生駒山を挟んで奈良の都に対峙しています。」とも書き足しています。当時の私の思い入れの強さを表して」います。毎日のようにデジカメ片手に歩き回ったものでした。

http://ikoma.web.infoseek.co.jp/kyoudou.html
このページにすでに書いていることを引用します。

日下とは

東大阪市東端、生駒西麓の北に位置するところに日下(くさか)という地名があります。東大阪市日下町1丁目〜8丁目まであります。日下町にある学校は孔舎衙小学校、孔舎衙東小学校、孔舎衙中学校というように孔舎衙と書いてくさかと読みます。古事記から日本書紀万葉集には「くさか」という呼び方で「孔舎衙」「日下」「草香」「久佐加」「久佐迦」「草賀」と著されているそうです。昔の駅名に「孔舎衛坂」というところがあったそうです。今もその駅のホーム跡が残っています。

「日下」という地名が「日本」のもとになったとう説もあるそうです。
「日下」(ひのもと)と「日本」(ひのもと)です。
谷川健一著「白鳥伝説」の中の 第1章 <ひのもと考>から書き出してみます。
古事記」序文も不詳とした日下訓みの由来
 < まず、「日下」という文字から考えていこう。この文字は太安万侶が撰した『古事記』の序文の末尾にあらわれる。・・・・・とつづき、
「日下の草香」は「ヒノモトノクサカ」読むのがただしいとあり、日下は太陽が沈むところではなく太陽が昇るところ解せられるとあります。
つづいて、「河内の日下の地がヒノモトと称せられたのは、そこが太陽を迎えまつる難波のもっとも東側にいちしたのである。そこは太陽祭祀の中心であった。・・・」と記してありました。
なにか宝物が埋まっている地の上を歩いているようなワクワク感がありました。

ちょっと横道に〜2004-09-08

昨日の台風18号はすごい風でした。
今日は「台風一過」というほどスカッとした青空ではありませんでしたが、淀川の川岸ではたくさんの人が憩いでいました。画像は大阪で初めての斜張橋・豊里大橋です。