ドナルド・A・ノーマン

この方の名を知ってる人はどのくらいいるのでしょう? 自分が知ったのは90年代前半でしょうか。アップルフェローの一人で、アドバンスト·テクノロジー·グループ(ATG)の研究員でもありました。彼については、著書「 誰のためのデザイン?」―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書): ドナルド・A・ノーマン, 野島 久雄, D.A. ノーマン:ーーの内容については、こちらの方のページを参考にしてもらうとして、現在はこちらに紹介のあるヤコブ・ニールセン)氏とNielsen Norman Groupを設立、活躍しているようです。

それでこんかいは何の話しかといいますと、当時彼がコンピューターについて、「コンピューターは20世紀のモーターのようなもので、いづれ人はコンピューターを使っているという意識もなく生活に組み込まれるだろう。」というらしきことを語った記事を見ました。さらに、インターフェースについて、アラン・ケイ(彼もアップルフェローでATGの一員だった。)らが研究を進め重要視していたマウスやアイコン、ウインドウなどを、「ドアのノブのようなもの」と表現し、現在のiPhoneiPadに応用されるような、だれもが迷わず何をするものか直感的に理解でき、緊急時にも慌てず間違いが起きないデザインが求められる、と語った記憶もあります。

そんな記憶から、昨年福島で原発事故がおこった時、認知科学者である彼の研究が日本でしっかり取り入れられていたのかと、ふと頭によぎったのです。身近な自動車事故、自転車事故、家電製品の事故しかり、自分が普段仕事でよく使う各種のタイマー一つ見ても、設定はさまざま、ボタンもさまざま、配置もバラバラと、使い分ける場合それだけでも間違いや一瞬の戸惑いが起こります。

技術立国日本とおだてられても、人命を預かる巨大なスペースシャトルやロケットなどを制御するレベルの技術はなく、せいぜい旅客機の翼が作れる程度。今回の原発事故でも、どこで何がおこったかの情況報告(情報)を把握する機器類の配置も、政府や東電の中枢と一体となった事故管理を行うべく、広範囲な対応がなされていないことは、一般に普及する国産の「パソコン」や「携帯」「家電」の国産機のインターフェースは色や形の違いを競っても、世界の人のための標準化を目指す気概はなく、より公共的だった原発さえも同様、幼稚なレベルだったことが証明されました。

「デザイン」という言葉は日本では設計とか意匠とか軽々しく訳されていますが、中国が最近「策略」という漢字を当てはめたそうで、前回のデザイナーはそれを聞いて「日本は負けた」と語っています。インターフェース(UI)もデザインも、表面的な色や形の世界でなく、安全神話にしても使う人の心理やクセ、習慣をも加味した上で間違いを避けたり、電気を使う末端の市民が電源喪失まで考え、より快適に操作できる手法や装備など含め広範囲に考え及ぶ知識を持っていなければ「策略」に騙されることになるのです。

そういったことをドン・ノーマン氏はもちろんデザイナーやアップルとの関わりを通じて教わりました。

『日本の技術は一流』はもう止めようという記事が!