日常生活と作品

いま、仕事とプライベートの両方において、
自分自身の最も大きな関心ごとを考えると、
二つの企画開発に大きな力を注ぐべき。

「かつて・・・」
「異思の焔」(「ナル○○とゴル●●●●」をベースに)の2作品。

その作品と自分自身が今日常において本気で考えていることが
どれだけ真摯に重なり合うかが、その作品の生命力を決定づけるんだ。
かつてのタルコフスキーやジャーマンの作品には、
それを感じてやまないから、
何度見ても新たな発見と深い畏敬の念を抱いてしまう。

視る+聴く+こぐ

 ウォークマンで音楽を聴きながら、自転車をこぐのが好きだ。
 昨日迷いに迷って、ようやくビデオ再生もできるiPod(ブラック)を手に入れた。
 
 早速iPodで音楽を聴きながら、プールまで自転車をこいでいった。高校のときから好きだったそのスタイルは、やはり身体を再生してくれる。とても心地よい。

 特に、まず視た目は、夜の風景。そして、音楽はやはりロック。それで、自転車でスピードを出す。この間、友達のハーレーに乗せてもらい、自由が丘から渋谷まで140kmくらい出し、遊びにいったが、確かにそのスピードは雲泥の差だ。だが、自転車はなにより自分の身体を使ってこいでスピードを出すというのがイイのだ。最後に、環境は寒いほうがよい。朝や夜、季節は冬。
 視た目が夜の風景で、環境は、冬の朝や夜がイイ。というのは、視た目の情報が少なく、寒い環境が身体を引き締めてくれることは、新たな想像を駆り立て、自転車をこぐ運動を加速させることにつながっているように思う。それで最終的には“心地よい”という感覚につながる。

 環境と視る+聴く+こぐの組み合わせが絶妙なとき、生のエネルギーが自分の内のなかでグルグル回りだす。このような自分にとって新たな物事を生みだす源となるちょっとした行為は大事にしていかなければならない。

内への関心 vol.3

大学4回生のとき、忘れがたい夢をみた。
それは、明らかに触覚をともなっていた。
その内容は、いずれなんらかのかたちにしたいと思っている。
その頃は、自分なりにもがきながらも、
これからどうすればよいのか、
どうすべきなのか悩んでいる時期でもあった。
悩めば悩むほど、頭は回転しているが
その実体・実感はなくなっているように感じていた。
そんなとき、このような夢をみて、
一気に内のエネルギーが溢れかえり、
「生きている実感」「生きる(ための)力」ともいうべきものが、
身体を縦横無尽に横切った。


夢をみることで生のエネルギーが爆破的に発電した。
その夢は、明らかに現実と同じ触感をともなっていた。


ここ数年映像を制作してきて、
学問的には認知科学に興味をもっていた。
その両者が、
夢の体験によって「あっ、そうか」と気づかせてくれ、
収束した。
「生きている実感」「生きる(ための)力」ともいうべきものが、
身体を縦横無尽に横切るようなVRを制作・研究してみたい、と収束した。
明らかに観念的であるが、
それは修士研究で具体的に因数分解しなければならなく、
それに相当時間がかかり、苦労するのだが…。
つまり、究極のVRを考えたときに、
それはわたしたちが日常で睡眠時にみている夢ではないか、
と考えるようになった。


「現実と等価のように情報提示すること」がVRだが、
そのリアリティは最終的に観測者の神経系の発火パターンとしてつくられる。
夢は、ボトムアップの情報(感覚受容器からの情報)は基本的に使用しない状態で、
リアリティあるイメージをつくりだす。


この夢をみてから、
起床したわたしはすぐにわれにかえることができなかった。
夢の余韻を味わっていた。
今みていた夢はなんだったのか?
とてつもなくすばらしい映画や音楽、文学などは、
全部味わう前からだいたいわかるものである。
そして、その作品を味わい終えた後は、
その一日は身動きがとれなくなる。
だから、その一日を作品にささげ、
相当のエネルギーを使う「覚悟」が必要となる。
それが、夢では、不意に「とてつもない」夢が訪れ、
同じようにそれを見た後はしばらく身動きがとれなくなる。
全身に作品のパルスが神経系をかけめぐるのを身体が欲しているのである。
それが内をかけめぐる生のエネルギーとなる。


そして、今までの人生をとおして内に溜まっていった生のエネルギーは、
何かつらいことがあったときに、その状態から立ち直り再生する原動力となる。

内への関心 vol.2

おじいちゃんが死んで半年後、短編映像作品『傍観者』を制作した。
10分程度の作品で、
大阪の北(梅田周辺)と南(心斎橋周辺)を駆け巡って、
だいたいイメージは持っていたけれど、
全編NIGHT撮影で、
現場でその場その場でイイと思った風景を片っ端から撮影したり、
そこらへんを歩いていたりうろうろしていたりする人をつかまえて、
話している様子を撮影したりした。


編集の際は、
休憩時にデヴィット・リンチの『イレイザー・ヘッド』や
『エレファントマン』などを見て感覚を鋭くしながら、作業にとりかかった。
もともと小学校では絵をかなり描いたりしてたし、
中学・高校ではむさぼるように音楽を聞いたり、
自分でもギターやベースを演奏してたりしたので、
映像制作の際にそれなりにはじめから手は動いた。


この初めて制作した映像作品、かなりイイ評価を得ることができた。
私が初めて撮影・編集・監督した作品だ。
これで、手ごたえを得、それから映像作品を積極的に制作するようになった。
今考えると、映像を一度モノクロにしてから色を加えたり、
地下空間をロケにして撮影したりと、
映像の質感やロケで「内側へ入っていく感じ」ということを意識した作品づくりになった。


とにかく、映像作品を制作することが、
自分の内に溜まっている生のエネルギーを放電させること、に加え、
自分の内に新たに生のエネルギーを発電すること、になる。

内への関心

1999年6月、母方のおじいちゃんが死んだ。
大学学部2年のときだった。
実は、大学に入学してから一度も顔をあわせていなかった。
会う機会はあったのだが、別の用事で会っていなかった。
別の用事を選んだという事実は、
「いつでも会える」という意識が影響したものと思われる。
自分にとって何が本当に大事なのか、
その優先づけ、というか、重みづけ、というか、
そういう感覚が鈍るときがある。
それは、自分が人生の岐路にたっていると思っているとき、など、
自分のこころが少なからず揺らいでいるときが多い。
その自分の内側で起こったことに後悔しつつ、
内側が内側自身に対して言い訳をいうことなどできずに、
数年分溜まっていた涙が、あふれてしまった。
まだおじいちゃんが亡くなっていない、
しかし意識が戻らないまま、病院のベットで寝ている状態のとき、
一旦自宅へ一人戻る帰りの高速バスのなかで、である。
内からこみあげ、あふれてくるのを止められない数年分の涙。
それは、今までの自分の内側で起こったことへの後悔と、
これから起こりそうなことへのとてつもなくどうしようもない不安との間にはさまれたまま、
内側の身動きがとれなくなってしまったことからくるものであった。


その内側には、当然私が小さい頃からのおじいちゃんとの思い出があった。
4・5歳くらいのことにカブの前の籠にからだをいれてもらいながら運転してもらったこと、
キャッチボールを土手でしてもらったこと、
風呂に入りながら最近の野球について話したこと、
広島市民球場で父親と一緒に野球観戦にいったこと、
ファミコンを買ってもらったこと……
そういうことを辿っていけばいくほど涙はとめどなくでていく。


内へ=身近なものへ、いま一度回帰してみること―
これが、このとき強く思ったことだ。


1週間後におじいちゃんは亡くなった。


それから私の関心は、人間の<内>に強い関心を持つようになる。
どうしようもない=内側が身動きがとれなくなった状態に、
湧きあがってくる内側の、身体のエネルギー。
放出する場を失ったエネルギー。
そもそも少し前に遡ってみると、高校時代の自転車通学時に感じていた内側のエネルギーも同種のものだ。
これは、やがて、未来へ向けて、これからの人生の起点となる生のエネルギー。


この生のエネルギーを発電するような映像=音響を表現していきたいと思ったのは、
おじいちゃんがなくなってから2年くらい後になる。

こうの史代『夕凪の街』



広島生まれの作家。
私も広島生まれで、ヒロシマのことを描いた漫画といえば、
当然中沢啓治の『はだしのゲン』以外は見つからないくらい、それは生命を内蔵した作品だった。
被爆者自身である作者・中沢自身の経験から描き、
原爆投下「後」の時代がどれだけ苦しいか、ということにフォーカスして、
圧倒的な悲痛が埋め込まれた絵で描かれていた。
私は、小学校での平和教育の一環で、『はだしのゲン』を漫画で通読し、またアニメ化された映画を見ていた。
最近になり、ふと数年行っていない広島が懐かしくなり、再度読んでみた。


さて、この『夕凪の街』は、被爆者でない作者が描いた作品だ。
(ただ、被爆者であり原爆作家の大田洋子の「夕凪の街と人と」を原作として描いている)
しかし、だからといって被爆者を含めた他者が非難するのは正当でない。
戦後60年を迎えた今、また今後はより一層、非被爆者でない語り手が、戦争の記憶を様々なかたちで表現していくことは、ごく当たり前のことであり、また必要なことである。
「語られる」ということこそがまず重要であり、その「内容」は次段階のはなしである。
「語られる」という行為がなければ、あらゆる機会自体が失われ、それは忘却につながる。
このような問題を、作者は当然意識してか、あとがきでその苦労を記している。


原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。…しかし、世界で唯一の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、私が広島人として感じていた不自然さより、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験していなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。

多くの参考文献を丁寧に引いて調査し、約30ページの中に、その時代の空気と生活する人々の精神状態に自然に溶け込ませている。


時代設定は、原爆投下から10年後。
投下後の苦しみに焦点をあわせているのは、中沢と同じだ。
しかし、「何もなかったかのような」日常生活のなかによりフォーカスし、(原爆という爆弾が落とされた後の)生活者の心の内面の揺れ動きを浮き出しているところに本作品の特徴があるように思える。
「何もなかったかのような」日常生活のなかによりフォーカスすることで、
今を生きる私たちの周りにも、そのような心に傷をかかえた人たちが生きており、
この問題はいまだ解決されずに残ったままなのだという訴えが読み手の心に深く突き刺し、
普遍的なテーマへとつながっている。


作者の絵は、とくに主人公のそれは、死を匂わせる。
見た瞬間そう思った。
物質的にも精神的にも満たされない時代に、生きる意志を強く持ち生きようとする人間がそこにはいる、ということを説明なしに、そのか細い絵は一瞬にしてそれを感じさせる。
その主人公の絵を見た瞬間、物語はどのような展開を見せるのか予想ができてしまったが…、それはなによりそのか細い絵が強く激しく訴えかける力を持っているということに他ならない。


約30ページで描き出した本作品は、まったく無駄のない描写で、心の揺れ動きと訴えかけるメッセージを強く訴えかけている。短くオチのないかたちだからこそ、読み手に補間を促し、いつまでも読み手のこころとからだのなかに、作品の生命が残り続ける。なによりもこの作品の「全てが」凝縮されたそのか細い絵は、いつまでも読み手の内に揺れ動く生命として生き続けるだろう。




夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)

夕凪の街 桜の国 (アクションコミックス)


夢にとっての現実、現実にとっての夢

現実が厳しく冷たいものと感じれば感じるほど、
夢は想像的になる。
それが、生命が生きようとする生命たる所以だろう。


論理と知の構造で張り巡らされていく(自分のこころやからださえも)社会では、
幻視してその構造から跳躍したいという欲求が起きるのは自然だ。
夢や藝術(とりわけ映画)は、わたしたちに幻視・幻聴を体感させてくれるものだ。
厳しい現実が押し寄せてくればくるほど、それはよりイマジナリーになり、舞い上がる。


しかし、夢から醒めれば、現実は夢にとって一種の染みとなる。
完璧な夢などありえない。
いつか醒め、現実は「それは夢なのだ」と知らしめる。
それは暴力であり、強制でもある。
だが、それでも夢から醒めたくない(とくにそれがイマジナリーなものであればあるほど)、
と必死にもがくのも生命である。