そこにいるか

個人的な体験、その他の雑感

ニンジャスレイヤーを楽しむための、最初にして最大のハードル

(2015年5月14日23時34分追記:読み返したらコピペミスで文意不明の箇所などがあり、こまごま修正)


■長い前置き

このダイアリーでも何度か言及した英国のミステリ小説家で、『女には向かない職業』や、『トゥモロー・ワールド』の題で映画化された『人類の子供たち』の作者であるP.D.ジェイムズが昨年11月末に亡くなっていたことに、昨日気づいた。94歳であった*1

彼女の最後の作品となったのは『高慢と偏見、そして殺人』。タイトル通り*2ジェイン・オースティン作『高慢と偏見』の“続編”として書かれたもので、「高慢と偏見」本編の数年後に起こった殺人を描くという、作者91歳の二次創作だ。

高慢と偏見、そして殺人〔ハヤカワ・ミステリ1865〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

高慢と偏見、そして殺人〔ハヤカワ・ミステリ1865〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

高慢と偏見』――場合によっては『自負と偏見』『プライドと偏見』などになっていることもあるが、読んだかどうかはともかく、この書名は人口に膾炙していると思うし、イギリスのいいとこのお嬢さんたちが婚活でてんやわんや、というくらいの内容も知られているのではないだろうか。

その、いかにも名作然とした堂々たる題名に「そして殺人」と付けば、「おや、なんだろう」と興味を惹かれてしまうこともあるだろう。

ところが、P.D.ジェイムズ好きで、英米文学もわりと好きな僕はというと、残念ながらこのタイトルを最初に聞いたとき、実はまったく惹かれなかった。まさに二番煎じのお茶が出てきた気分であった。

すでにこんなものが出ていた。

高慢と偏見とゾンビ ((二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション))

高慢と偏見とゾンビ ((二見文庫 ザ・ミステリ・コレクション))

「ゾンビ」である。

「そして殺人」インパクトも、「ゾンビ」の前にはかたなしである*3

※誤解を招かないように付け加えておくが、ここでは文学的な評価でなく、ただインパクの話をしている*4。「そして殺人」の後に「ゾンビ」が登場するならまだ盛り上がりもあるが、「ゾンビ」が最初にくると「そして殺人」はあまりにも弱いと言わざるをえない。ゾンビは死体なのだから、それが殺人によるものであったとしても「ふーん、そうか」で終わってしまうではないか(そういう話ではない)。


■娘たち!死の五芒星だ!("Girls! Pentagram of Death!")

訳者あとがきによると、2008年ごろ、このゾンビ本のオースティンではない生きているほうの作者セス・グレアム=スミス――この人はTVや映画のプロデューサーや脚本を担当したり、ノンフィクションなどを書いてはいたそうだが、小説家ではなかった――のもとに、編集者のジェイスン・レクラーク*5から電話がかかってきて、『Pride and Prejudice and Zombiesというタイトルを思いついたのだが、と言われた』というのが発端だったそうな*6

「思いついたのだが」と言われて、ふつうなら困惑するしかないと思うが、オースティンではない生きている方の作者にはひらめくものがあったらしく編集者の丸投げを受け止めて期待(?)にみごとに応え、次のような書き出しではじまる文章をでっち上げた:

これは広く認められた真理であるが、人の脳を食したゾンビは、さらに多くの脳を求めずにいられないものである。この真理を生々しく見せつけられたのは、さきごろネザフィールド・パーク館が襲撃された時だった。18人の住人がひとり残らず、生ける屍の大群に食い尽くされてしまったのだ。
「ねえあなた、お聞きになった?」そんなある日、ベネット家の奥方が夫に尋ねた。「ネザフィールド・パークにまたどなたかお入りになるんですって」
ミスター・ベネットは聞いていないと答えて、せっせと朝の仕事を続けた。短剣を研ぎ、マスケット銃をみがく――忌まわしい化物の襲撃は週を追うごとにひんぱんになりまさり、うかうかしていられる状況ではないのだ。――『高慢と偏見ゾンビ』(安原和見訳、7ページ)

もう、この書き出しを見ただけで爆笑ものである。

そしてこの文章は本となり――こう言っても決して失礼にはならないと確信しているが、タイトルが素薔薇しかったからだろう――たちまちベストセラーになったそうな。


ちなみに、死んだ方の作者が200年ほど前に書いた文は、このような具合だ:

独身の男性で財産にもめぐまれているというのであれば、どうしても妻がなければならぬ、というのは、世のすべてがみとめる真理である。
はじめて近所に来たばかりの人であってみれば、彼の気持ちや見解は、ほとんどわかっていないわけだけだけれども、周囲の家々の人の心には、この心理はかたく不動のものとなり、その人は当然、われわれの娘たちのうちのだれかひとりのものになるはず、と考えられるのであった。
「まあ、あなた」とある日ベネット夫人が夫に言った。「ネザフィールド荘園にとうとう借り手がついたってこと、お聞きになって?」
ベネット氏は、聞いていないと答えた。
――『高慢と偏見』(河出文庫 2006年新装版・阿部知二訳、7ページ)

この差異の妙が面白さであるので、『高慢と偏見』を読まずに『高慢と偏見とゾンビ』を楽しむことは難しいように思われる(全く楽しめないこともないだろうが)(また一方で、このようにオリジナルに敬意を欠いたようにみえる悪趣味が嫌いな人もいるであろう。僕の母なども英米文学専攻だが、この手の冗談はまったく解さないタイプである)。

大きくわけると、

  1. 高慢と偏見』を読んでいるが、ゾンビには我慢がならない
  2. 高慢と偏見』を読んでいて、かつゾンビに大喜びする
  3. 高慢と偏見』を読んでおらず、ゾンビがプラスされても興味がわかない
  4. 高慢と偏見』を読んでいないが、ゾンビをプラスすると関心を抱きはじめる

というグループがあり、

高慢と偏見ゾンビ』は「2」と「4」を狙って成功したのである。これを侮辱と感じたジェーン・オースティンがゾンビとして蘇り復讐に来ないことを祈りたい。


■ここでやっと本題

「差異の妙の面白さ」ということで、Web配信アニメ版(フロムアニメイシヨン)が賛否両論というかなんというか喧しい『ニンジャスレイヤー』という作品がある。

もともと【アメリカ人が書いた、間違った日本感満載の小説】の版権を取得して翻訳してTwitterで無料公開したら、その珍妙な文体(忍殺語)の物珍しさもあってたちまち評判となり、コミック化、さらにドラマCD化、ついにはアニメ化と、絵に描いたような成功を収めている……という作品である。配信中の『フロムアニメイシヨン』は動いてるようで動いてない一方で前触れもなく突然動く奇妙な出来に困惑する向きが多いようだが、ナレーターのゴブリンは最高だと思う。

ところで、世の中には自称神戸生まれのユダヤ人とか、元・現役中学生の歌手ユニットとか、イタリア生まれの社会学者(これは流れ弾)とかがいるが、ここでそういう話はしない。いいね?


アニメ配信中ゆえに『ニンジャスレイヤー』の話題は切れ目なく入ってくるので、ここしばらくぼんやり考えていたのだが、『ニンジャスレイヤーは、どうあがいても 日 本 で し か ウケないのではないか』という仮説というか懸念を、日本人と英語の関係性について多少なり鰭を突っ込んだブログであるので、『高慢と偏見とゾンビ』の件のついでに記しておく次第である。

※ちなみにこの懸念はすでに手遅れで、アニメ版は世界配信されている。



初期エピソードの短編『マシン・オブ・ヴェンジェンス』は、【Twitterでの日本語翻訳】は当然として、【脚本:田畑由秋・作画:余湖裕輝のコンビのコミカライズ】*7、【Web配信『ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン』第2話】(※現在は有料化)、そして【“原作”とされる英語版】もWebで公開されているため、比較しやすい一作である。

以下の引用は、日本語は翻訳チームのツイート、英語はWeb公開版に基づく: http://otakumode.com/sp/ninjaslayer/novel/mov/chapter1

Arson sinks into the rear seat and solemnly says, “Take me to the Tokorozawa Pillar.”
“My pleasure.” The driver mutters back with reserve and drives off.



「トコロザワ・ピラーに出せ」アーソンが後部座席に背中を沈め、厳かに言った。「ヨロコンデー」運転手は控えめに呟き、車を発進させた。*8

“Engage!” The captain orders his ninja behind him.

“Roger. My pleasure.” The Omura Ninja nimbly got to his feet and exited the engine room door with incredible speed.



『行けッ!』機長は後ろのニンジャに命令した。*9

『ハイヨロコンデー』オムラのニンジャは素早く立ち上がり、機関室ドアから足早に退出した。*10

“Recover the body,” Laomoto commanded with haughty arrogance. “How dare that vermin defy the Syndicate. Investigate his body with fine-toothed comb.”
“My pleasure. I’ll alert our company ninja now.”



「死体を回収せよ」ラオモトは尊大に言った。「シンジケートに楯突く害虫だ。全て調べ上げる」『ヨロコンデー!ザザッ……我が社のニンジャに今……ザッ……』*11

【行き先を指示された運転手】、【敵を殺すように指示されたニンジャ】、【殺した相手の死体を探すよう命じられた指揮官】が、みな"My pleasure"と言っている。「了解」の意味をもつ丁寧めいた言い回しで、ハリウッド映画あたりでも似たようなシチュエーションでこのようなセリフが実際出てくる。英語ネイティブからすれば、特になにもおかしなところはないだろう。

これを僕が訳すなら、最初は「かしこまりました」、次は「お任せあれ」、最後は「はっ、ただちに!」とでもしてしまうところだ。これが全部「かしこまりました」では、あまりに工夫がない。

ところが、[ほんやくチーム]はこの"My pleasure"を、すべて「ヨロコンデー」にしやがった。突っ切っている。そして実際読んでみて、この“差異”が我々日本語話者(の一部)にとって「面白い」のである。

なぜそれが面白いのかというと……それは結局、理屈ではない。自分が日本人・日本語話者・日本文化ネイティブだから(他方、英語国民からすると「なんでこいつら“My pleasure.”でこんなに喜んでるんだ??」という話になってしまう)。


おいこれ日本語書いてから英語にしてないか?

ニンジャスレイヤーは、普通に訳したら、あんがい凡庸ともいえる物語になる。僕自身、英語版を読んで実際まっさきに浮かんだ感想は「なんか普通だな」だった。

妻子の復讐に燃えるダークヒーロー、虚化――じゃなかったナラク化、次々襲い来る奇妙な技を持つヴィラン(悪役)、グラマーな美女……



だが*12

https://pbs.twimg.com/media/BREP6gtCAAAmQ67.jpg
https://twitter.com/njslyr_ukiyoe/status/365090542675165185

https://pbs.twimg.com/media/BRERkqrCUAAh5w2.jpg
https://twitter.com/njslyr_ukiyoe/status/365092366417285120

この流れで「古事記」を持ってくる(ことができる)から面白いのである。我々は古事記にそんな記述はないことを知っている*13

しかしこれがもし万が一“十七条憲法”だったら*14「群卿百寮、礼をもって本となせ」とかがあるから「あれ?」ということになってしまうわけで。

そういう「引っ掛かり」のないように配慮し、逆算したかのように組み立てられていると、英語版“原作”に目を通してなお、そう感じるのである。このこだわりが向けられている先は、果たしてどこなのだろうか? ゆえにアメリカ人が書いたというのはいよいよ疑わしいアメリカでは成功しなかったし、これからもしないであろう、というような印象があるのだ。まあどんなコミュニティにも、ちょっとズレた感性の持ち主はいるものです。多様性!


高慢と偏見ゾンビ』が狙った、

  1. 高慢と偏見』を読んでいるが、ゾンビには我慢がならない
  2. 高慢と偏見』を読んでいて、かつゾンビに大喜びする
  3. 高慢と偏見』を読んでおらず、ゾンビがプラスされても興味がわかない
  4. 高慢と偏見』を読んでいないが、ゾンビをプラスすると関心を抱きはじめる

の、「2」・「4」と同じように、


『ニンジャスレイヤー』は、

  1. 日本語と日本の文化に精通しているが、ニンジャサイバーパンクには我慢がならない
  2. 日本語と日本の文化に精通していて、ニンジャサイバーパンクに大喜びする
  3. 日本語と日本の文化のことはよく知らず、ニンジャサイバーパンクにも関心がない
  4. 日本語と日本の文化のことはあまり知らないが、ニンジャサイバーパンクに関心がある

の、「2」・「4」を狙い、その大部分のゾーンを占める「日本人」の文化圏でひとまず成功した。しかしそれは「2」だ。


――もしかしたら、アメリカの「4」の層も、

“Yeeart!”
“Aaaargh!”
“Yeeart!”
“Aaaargh!”
“Yeeart!”
“Aaaargh!”
(注:戦闘描写)

としつこく書かれていたらクスリとするのかもしれない。チャップリンの映画にもそういうシチュエーションはあった。

しかし、サイバーパンクニンジャ小説を読んで笑えるアメリカ人というのは、たとえアメリカの人口が日本の3倍いるにせよ、

「イヤー!」
「グワー!!」
「イヤー!」
「グワー!!」
「イヤー!」
「グワー!!」
(注:戦闘描写)

にウケる、それほど多数でもない日本人より、なお少ないのではないだろうか。

日本人のニッチをとりあえず狙い、成功し、それを頼りにさらに広く世界市場を狙う――。必勝の手のようでいて、目指す新しい開拓地「4」というのは(ほとんど)存在しないのではないか。





SF小説『銀河ヒッチハイクガイド』――ちなみに河出版の訳者は『高慢と偏見とゾンビ』の訳者と同じ人である――には「スラーティーバートファースト」という名前のキャラクターが登場する。彼はなかなか名前を言いたがらない。そしてようやく名前を聞いて主人公は笑ってしまう、というようなシーンがある。日本人である我々からすると何がおかしいのかわからないが、あまり上品ではない類の言葉のもじりであるらしい。

スラーティバートファーストに込められた品のないギャグがわからなくても、『銀河ヒッチハイクガイド』は十分面白い作品であり、この先も日本で日本語訳が読まれていくと思う(ただし、日本人がその面白さを十全に味わえているかどうかということはいえないけれども)。

はたして日本語ネイティブの欲目を取っ払って――というか「ヨロコンデー!」「アイエエエエ!!」「イヤー!」「グワー!」「爆発四散」を取っ払って作品を鑑賞したとき、『ニンジャスレイヤー』はどうなるであろうか? そりゃもちろん僕もヤモト=サンは好きですがね。


ニンジャスレイヤーを楽しむための最初にして最大のハードルは、日本人には見えない。なぜなら難なく越えているから。では他の71億人は?


……それは、多くの日本人がふだん英語作品に関連してつまずくハードルと逆の相似をなしているんじゃないですかね、というお話でした。





とまあ長々書いたが、もし仮に『ニンジャスレイヤー』が“全米逆輸入大ヒット”なんてことになったとしても、僕が責任をとって切腹とかはない。アシカラズー



ニンジャスレイヤー (2)~ラスト・ガール・スタンディング (イチ)~ (カドカワコミックス・エース)

ニンジャスレイヤー (2)~ラスト・ガール・スタンディング (イチ)~ (カドカワコミックス・エース)

ヤモト=サン登場回その1。その前座エピソードオー「キルゾーン・スモトリ」のカチグミ・サラリマンの傲慢と転落も実際よい。

ニンジャスレイヤー (3) ~ラスト・ガール・スタンディング (二)~ (カドカワコミックス・エース)

ニンジャスレイヤー (3) ~ラスト・ガール・スタンディング (二)~ (カドカワコミックス・エース)

ヤモト=サン登場回その2。前座に出てきたカチグミ・サラリマンの上っ面めいた「ユウジョウ!」の後、最後の最後にヤモト=サンとアサリ=サンの「ユウジョウ!」を見せるという構成のワザマエがきらめいている。

「ラスト・ガール・スタンディング」は、この田畑・余湖節があまりにも高いハードルになってアニメイシヨン版の前に立ちはだかった印象。しかもWebで読める: http://togetter.com/li/626609 読んで面白かったらぜひ買おう。


*15

*16

*1:以前、はてなキーワードで表記ゆれ項目を修正したことがあったので確認したところ、情報がアップデートされていなかった。じゃあ修正を…と思ったのだが、長らく「はてな市民」(ダイアリー、ハイク、フォトライフ)としての活動をしていなかったため、編集権限が剥奪されていた。というわけでこの記事を書いている

*2:ただしこれは邦題である(原題は"Death Comes to Pemberley")

*3:原題の『ペンバリー(ダーシーの館)に来たる死』では意味が通じないとはいえ、ハヤカワ編集部の工夫が足りなかった。

*4:前者はゼロからの創作、後者はオリジナルの文章の使いまわし。

*5:Jason Rekulak https://twitter.com/jasonrekulak

*6:訳者・安原和見によるあとがき、507ページ

*7:※コミカライズ版は英語版も公開されている: http://otakumode.com/sp/ninjaslayer/manga

*8: https://twitter.com/NJSLYR/status/132768375616184320

*9: https://twitter.com/NJSLYR/status/133231996892741632

*10: https://twitter.com/NJSLYR/status/133232778220285952

*11: https://twitter.com/NJSLYR/status/133411818638024704

*12:以下の画像は田畑由秋 https://twitter.com/tabazou と、余湖裕輝 https://twitter.com/YOGOYUKI によるコミカライズ。角川書店コンプティークコンプエースがWeb公開している https://twitter.com/njslyr_ukiyoe

*13:と思うのだが。岩波文庫古事記をざっと読んだかぎり……

*14:ひねりすぎだろうか?

*15:追記:個人的には、これは「作品鑑賞」というより、「鑑賞体験」を楽しむタイプの作品なのだろう、という気がしている。であれば、そうした作品の末路がどうであるかと考えると…

*16:本文中に入れることができなかった豆知識:『高慢と偏見とゾンビ』にも(日本から連れてこられた)ニンジャが出てくるが、少林寺で修行を積んだヒロインのエリザベス・ベネットにことごとく殺される。ゾンビと同列のやられ役である。