ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

国際聖書フォーラム2007 その3

初日には、新橋の第一ホテル東京で、6時半から2時間、レセプションがありました。今回は60人定員とのことで、去年の方が多かったような気もしますが、今年も勇気を出して申し込みました。

「勇気を出して」というのは、この種の会合につきまとう、気後れというものがあるからです。何事も慣れと経験ですが、昔は、若気の至りや怖いもの知らずで臆せずできたことでも、歳とともに、社会における相対的な自己の位置づけと役割を意識せざるを得ず、(何も世の中の役に立っていない私なんて)と慣れた場所に安住していたくなるのです。昨年も「講義だけ聴いて、さっさとホテルに帰って簡単なお総菜で済ます」と宣言していたのですが、主人が「せっかくだから出ておいで」と背中を押してくれました。結果は.....ありがたいことに、正解でした。イスラエル大使からの祝辞、美しい楽器演奏と歌、ロシア正教の賛美歌と祈り、などに触れることができたからです。引っ込んでいた方が気は楽なのですが、失うものも多い、のですね。

というわけで、今年も出席を決心。でも、同じテーブルには初対面のご年配の方達ばかりで、座っていてもやっぱり場違いな白い象の気分でいました。なぜ、同年代や若い方達が出て来ないんでしょう?そうしたら、もう少し気が楽なのに…。そこで一つ深呼吸して自分に言い聞かせたのは、大事なのは気分ではなく、出席した目的そのものだということです。今回は、古屋安雄先生のスピーチがレセプション目玉の一つでした。

2006年2月から今年の4月にかけて、古屋先生のご著書を5冊読みました。

・『キリスト教アメリカ−その現実と問題−新教出版社(1967)
・『激動するアメリカ教会ヨルダン社(1978)
・『日本の将来とキリスト教聖学院大学出版会(2001)
・『日本のキリスト教教文館(2003)
・『キリスト教アメリカ再訪新教出版社(2005)

その過程で、K家のS子さんのお兄さんとメールで議論を交わしたのです。彼は、古屋先生の無教会批判に対して「そうチクリチクリ言わなくてもと思う一方で、確かに指摘は当たっている。今の無教会は、知識人以外の人々を排除したやり方で研究しているので、明快な福音が謎解きのような福音となってしまい、これはエクレシアのあり方としては犯罪的ですらある」などと述べて、賛意を示していました。無教会でない私には、その意見に必ずしも同調できませんでしたが、ともかく、今回スピーチをしてくださるということで、お元気なうちに一度はご尊顔を拝し、謦咳に接しよう、と思ったのです。

結論から言えば、人は書かれたものだけで判断してはいけないということです。80代のご高齢にもかかわらず、実に堂々とはっきりしたお声で、通訳を介さずに、日本語で語られた後すぐにご自分で英訳を述べられる姿勢には、よい見本を示していただいたように思いました。(ちなみに、6月29日の日記で先述した総評では、池田裕先生も同様に、二言語で話されていました。それもユーモアたっぷりで、会場は何度も大きな笑いに包まれていました。謹厳そのものの学者だとばかり思っていたので、意外な一面を拝見した気分です。)というのも、これまで私の周囲では、ドイツやアメリカの留学で学位を取得された先生でも、本当はおできになるはずなのに、どういうわけか専門の通訳を使う会合にしばしば遭遇してきたので…。ともかく、ご著書に目を通しておいたためもありますが、長年のご経験に基づく具体的で率直なお話を、興味深くうかがうことができました。

例えば、日本のキリスト教は下級武士のインテリ階層から入っていったので、本来の「公会」が消滅して「教会」となったり、「宗教」と訳すなど、「教」という漢字を用いて、学校で勉強するもののようにキリスト教を受容したところに問題点がある、とのご指摘です。「学校の卒業のように、受洗後、ある程度わかったと思ったら、2,3年で教会をやめて行く」というお話でした。また、説教がつまらないとか、新約学の議論のせいで、教会には若い人が寄りつかないともおっしゃっていました。

教会離れの理由として、説教のまずさや、細分化・先鋭化した新約学の議論を挙げる点には、確かに頷けるところがありますが、私見では、プロテスタントに限れば別のところに問題が潜んでいるのかも、と思います。例えば主日礼拝が午前10時半から一度しかなくて平日は閉まっている教会が多いとか(カトリックのミサは毎朝あり、御聖堂も昼間は開いています!)、教団紛争のあおりで牧師同士の反目が残っているとか(本当に迷惑です!!)、神学の学閥とか(これも専門外の者には困ります!!)、優秀な牧師は東京に引き抜かれてしまうとか、経済不況で教会維持が困難だとか、政治的な説教とか、代々キリスト教の家系ならいいけど一代目だと牧師でも信徒でも肩身が狭いとか、心安らぐというより気疲れに行くような教会活動とか、まぁいろいろあります。「人を見るのではく、神を見上げるように」「神様が建てられた教会であり、神様が送られた牧師先生なのだから、批判してはいけません。どんな教会でもどんな牧師でも受け入れていかないと」という注意を聞いたこともありますが…。

私もこの際なので頑張って書きにくい胸の内をあえて書きましたけれども、それにしても古屋先生、公の場で言いにくいことを随分はっきりおっしゃるんだなあ、と参考にはなりました。さすがは大陸的なスケールの大きい方でいらっしゃる、とお見受けしました。

さて、話を開始前に戻しますと、相変わらず白い象になっていた私に、隣からお声をかけてくださったのが、レセプションでヴァイオリン演奏を披露してくださった小澤真智子さんのお母様でした。とても楽しくお話が弾み、思いがけない席次に感謝した次第です。

というのも、結婚してから急にヴァイオリンの音色に魅了されるようになり、聴くレパートリーが広がったからです。3歳からピアノを始め、5歳から大学院1年まで音楽学校に通い、マレーシア帰国後も、芸大の名誉教授にピアノのグループレッスンを受けていたものの、もちろん初めから親に「音楽の世界は厳しいから、あくまで趣味にとどめるように」と申し渡されており、言われるまでもなく自分でもそのつもりでいました。3歳下の妹はヴァイオリンを習っていましたが、その下手なこと下手なこと。弦の音が嫌いだったのは、妹のあの弾き方のせいだと思います!!ところが、どういうわけか、実家から離れて気分が解放されたのか、突如、ヴァイオリンって本当に歌う楽器なんだな、と感じられるようになったのです。

それからは、毎週N響アワーと芸術劇場を見、夕方には毎日NHK-FMでクラシックを聴き、日曜日のラジオ番組にたびたびリクエスト曲を葉書に書いて送り、お気に入りの演奏家のホームページを読んだり、演奏会の感想を書き込んだり、CDを借りたり買ったり、名古屋以上によいホールと演奏会の多い関西で、折をみては足を運んだりするようになりました。

そんな暇なことやってないで、論文でも書いたら、と叱られそうですが、専門以外の好きなものにかけるエネルギーってとても大切だと思います。世界が格段に広がり、人生を肯定的に考えられるようになるからです。

今回のお母様とのお話でも、ジュリアードとの関連で、いろいろと貴重なお話をお聞きすることができたのですが、単なる受け身の社交会話にならないためにも、普段から演奏会に行き、その方面の本を読んでおいて良かったと思いました。五嶋みどりさん、龍さん、そのお母様の節先生、ギル・シャハムさん、チョウリャン・リン氏、名教師の故ドロシー・ディレイに関する本を訳された米谷彩子さん、サラ・チャンさん、ピアニストの江口玲さんとその奥様、メキシコの黒沼ユリ子さんなど、それぞれの演奏や、リサイタル会場で各演奏家からサインをいただいた時の印象やエピソードも含めて、楽しくお話しさせていただいたことを、誠に身に余る光栄だと感謝しています。