ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

前田護郎主筆『聖書愛読』(8)

毎日似たようなお話で退屈されている向きもおありかと思いますが、もうしばらくお待ちくださいね。
今日も、一日中、本棚の整理に明け暮れていました。本ばかりではなく、いろいろの紙でできた物の整理というわけです。手狭になって、必要な資料がすぐに取り出せなくなったため、緊急の片づけです。今やっておかないと、後でもっと苦労しそうなので...。

そうこうするうちに、学部生時代に手紙のやり取りをしていたドレスデン旧ソ連のペンフレンドが、別に頼んだわけではなかったのに時々送ってくれた写真集やドレスデン紹介やヤルタ紹介の本が出てきました。懐かしいです。こうして見ると、あの共産圏時代のことが、さまざまな感慨をもって思い出されます。言論や思想の自由が制限されていた彼、彼女達にとって、極東に住む日本人の私との文通が一種の楽しみでもあり、同時に、自分達の住む国を紹介する義務感があったのだろうと思われます。私の方はと言えば、当時は、日本紹介といっても、あまり高級過ぎてもいけないし、いわゆるオリエンタリズムジャポニズムに乗ずることはしたくないし...というわけで、絵葉書や記念切手程度しか送れませんでした。資本主義国の情報や物品をあまり流してはいけないのではないか、と恐れていたからでもあります。

また、学生時代にホームスティしたロンドンの地図や、1999年8月に主人と訪れたプラド美術館のパンフレットなども出てきました。それから、奈良や京都の寺社巡りの切符やパンフレットも、近代文学の作家めぐりの旅記録なども、ごそごそと出てきて、今度の用件が済んだら、ぜひともじっくりと見直してみたいと思っています。
大学院の授業のプリントなども出てきました。自分では、たいしたレベルじゃないと思って卑下していましたが、今読み返すと、結構、おもしろい勉強をそれなりにしていたんだなあ、と思います。問題は、なぜ、(私の所属している場所はレベルが高くない)と感じていたかということです。

マレーシア滞在中の写真も次々出てきました。今の方が若々しく、生き生きと写っていると自分では思います。23-28歳ぐらいの私って、若かったはずなのに、表情が硬く険しいというのか、気を張っていて、今ひとつ明るさがなかったですね。なぜなのかしら?ともかく、結婚してからの方が心身共に元気になれたということは、主人に大感謝です。環境って本人の意識以上に大事なものですね。

前置きがすっかり長くなってしまいました。腰休めに上記を入力してみました。お待たせしました。では、前田先生の続きをどうぞ。

・第133号 1975年(昭和50年)1月


「救われる弱者の強さ」12月14日(日)東大クリスマス講演の補正(p.6-7)
わたくしはこの夏、会議のため西アフリカのガーナで約2週間を過ごしました。そこで政界その他の指導者にキリスト教徒が多く、自分たちの国を植民地化して搾取したヨーロッパ人に報復せずに彼らと協力し、きびしい大自然と戦いつつ資源を活用して新興国を盛り上げてゆく様子に接しました。そのような国に全世界から百数十名が集まって、分裂と困難に直面する教会と人類との一致について、とくに聖書的終末論を中心に希望について討論したのは意味深いことです。(中略)むしろ、キリスト教会の危機は西ヨーロッパにありといわれます。(後略)


「書斎だより」(p.15)
20数年前から溜まったたくさんの推薦状のコピーを見ながら、礼を尽くし、約束を守って地味な勉強をつづけた人がその後ものびているという生きた歴史を見た(11月11日)

・第136号 1975年(昭和50年)4月「アフリカ・ヨーロッパ通信 1974(Ⅸ)」(p.12)


わけのわからない人が何といおうとも、また根も葉もないことがひろがっても、真理がそれらに打ち勝ってきました。わたくしがどうというわけではけっしてなく、全能者と良識ある全世界の友の祈りのおかげです。

・第137号 1975年(昭和50年)5月「アフリカ・ヨーロッパ通信 1974(Ⅹ)」(p.6)


アフリカの人たちは、旧約聖書の中での部族tribeが族長の下に信仰的に動いたことが彼らによくわかること、終末論も聖書における素朴な裁きと救いの見方がたいせつであって欧米の神学的付加物はじゃまになることパウロが罪という力に苦しめられることも悪霊の実在がわかるアフリカ人にはわかる、等々示唆に富む発言をしてくれました。アフリカのことは旧約から新約への長い聖書の歴史の中のどこかに共通なことが見られるように思えますし、そこにアジア人としての親近感を覚えました。

・第139号 1975年(昭和50年)7月


「アフリカ・ヨーロッパ通信 1974(ⅩⅡ)」(p.6-8)
海抜300メートルで比較的気候がいいので、ここに勤めた宣教師や医師・看護婦には死亡率が少なかったと案内役のあるスイス人が語っていました。このことは、いかにアフリカ各地で伝道や医療に尽くして命を落とした人が多かったかを物語るものです。(中略)一生をアフリカで働きぬくというこうした献身的な人にはただ頭がさがります。(中略)日本のキリスト教界のことを心配してくれる学徒です。日本の若い学者にどう見ても異端的といわざるをえない人が出たことの原因について質問されました。自分だけの学問を狭く固めようとすると一方的になるから、広く聖書の背景を知ったうえでという方法がいちばんいい、ということには同感のようでした。(後略)


「父性との出会い」(“若駒”(駒場東邦PTA会報)49号所載)(pp.9-13)


ドイツで父親のきびしさはあたりまえであって、若いころドイツで勉強した父の生活や考え方がわかりはじめた。質素な毎日、早起き早寝の習慣、その他衛生への顧慮、使用人の優遇など、近代的な行き方もドイツ仕込みであった。とくに、ヨーロッパでは子どもは成人するまでは文字どおり子どもであって親への従順が当然とされ、成人するとしだいに親と互いに友人関係に近い感じを持ちはじめる。(中略)
学問はきびしく、研究室での教授たちの指導は古典語の一字一句をゆるがせにしない良心的なものが多かったが、個人的な交わりは温かさそのものであった。当時のドイツはナチスの時代であったけれども、古い伝統の美点は失われてはいなかった。大学にも、家庭にも根強い堅実さが見られたのである。(中略)
戦後しばらくしてイギリスに招かれたとき、ある教授から、“外国の大学から客員教授として有利な条件で招かれましたが、子どもの教育がたいせつですから断りました”といわれて、父性の強さに驚いたこともある。(中略)
まず、中世以来の長い歴史の重みである。東方民族の襲来、ヨーロッパ人どうしの争い、植民地の取得と放棄、産業革命思想の対決など、われわれが世界史で学ぶことがいわば試行錯誤として積み重なって現代のヨーロッパの土台をなしているのであり、複雑な社会の構成単位としての家庭の重要さが目に見えている。(中略)
父性が導く家庭と社会が健全なことは、政治にせよ、経済にせよ、教育にせよ、種々な点から論ずることができる。もとをたどれば性神中心の聖書思想にまでさかのぼりうる事柄である。(中略)戦後のヨーロッパの復興と進展は目ざましい。学会などで訪れるたびに驚くべき底力を目にする。(後略)


「書斎だより」(p.14)
創刊号から全部いただきまして、毎日たっぷり2〜3時間勉強させていただいております…聖書の箇所をまめに参照しております。楽しみもその中にあり、です。復員30歳のとき聖書を手にしてちょうど30年になりますが、いつも新しい未知の真理へ導かれるのが不思議です。また、10年前に書かれた御誌が今日の日本に結果となって現れております。やはり御言は預言の書と思います….(3月1日)

・第142号 1975年(昭和50年)10月「儀式よりは生活」(p.1)


世界の国々で、キリスト信仰の純粋な地方は他に比べて都市も家庭も清潔ですし、われらもそのようでありたく思います。

・第143号 1975年(昭和50年)11月「書斎だより」(p.8)


恒例の感謝昼食会。まず、わたくしは子ども会の成長をよろこぶとともに最近の聖書学が邪道に入る傾向について警告した。(7月13日)

・第144号 1975年(昭和50年)12月「この世で始まる救い」(p.1)


どんなに学問があっても、財産や体力があっても、義務感による生活にはうるおいがなく、いや気が積もれば仕事の能率も落ち、病気になって死への方向をたどります。無学であり、貧しくて弱い体でも、よろこびによって行動するとき、他の人をもよろこばせて皆が生命の方向に歩むことができます

(引用終)