ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

マレーシアの総選挙とクリスチャン

昨日付の英語版ブログ“Lily’s Room”(http://d.hatena.ne.jp/itunalily2)では、3月8日にマレーシアで行われる総選挙に対する、キリスト教指導者層からの啓蒙的呼びかけや牧会書簡などを、まとめて掲載いたしました。ご興味のある方は、どうぞご覧ください。

何も知らずに日本的な文脈だけでこれを読むと、何だか非常に宗教がかったようにも見えますが、マレーシア文脈では、さして珍しい文面でもありません。1980年代にも同様の回書があったのを、私はマレーシア神学院で見ました。それほど、選挙に対する一般市民の意識に幅があること、選挙結果如何で国の動向(マレー・イスラーム化)がより決定づけられてしまう懸念があること、現況に対する種々の危機意識が指導者層ほど強いこと、などが挙げられるかと思います。そもそも、日本とは状況が違うので、一概に比較することはできません。

また、本日付の英語版ブログ“Lily’s Room”では、マレーシアの非ムスリムに対する宗教上の差別に関するニュース記事2件と、あるクリスチャン指導者の政党活動にまつわる批判的意見文を、合わせて掲載いたしました。

いずれも私にとっては旧知の内容ですが、特に、政治活動が‘失敗視’されているGoh Keat Peng氏については、1994年10月14日に、プタリン・ジャヤにあったスリランカ系のメソディスト司教(当時)Rt.Rev. Datuk Dr. Denis Charles Duttonのご自宅で、「マレーシアの教育」と題するテーマのお話をうかがったことがあります。直後にGoh氏から、「来てくれてありがとう。マレーシアの現状をどう思いますか」などと声をかけられたこともあるだけに、痛々しい思いがします。氏は、1980年代には文筆活動もされていました。有能で前向きなクリスチャンだという印象を受けましたが、マレーシアでは、一歩間違うと人生が大幅に変わってしまうので(日本もですけれども、振幅の激しさはマレーシアの方が大きいと思います)、今回、私の友人が、立候補しながらも、かなり躊躇しているのはよくわかります。友人の名は、おとといのNew Straits Timesの記事に掲載されていました。マレーシア教会協議会の総幹事からも、「我々の選挙のことを覚えていてください」とわざわざメールがきました。

それはともかく、昨日のニュースによれば、日銀総裁が、イスラーム金融も多様性の一つとして受容すべきである旨、発言されたそうです。詳細についてはよくわかりませんので、これ以上の言及は控えさせていただきます。産油国の経常黒字と先進国(アメリカ)の赤字状況のアンバランスを考えると、オイルマネーイスラーム金融を理解することが大事なのだそうですが、もしそれだけの話ならば、私だって1973年のオイル・ショックの時から気づいていることです。マレーシアで起こっている、民族や宗教による不均衡性のことを、日銀総裁はどのようにお考えなのでしょうか。
というわけで、今日は珍しく、「メムリ」からアラブ系クリスチャンのニュースを複写して、締めとさせていただきます。アラブのクリスチャンその他については、次の書籍から大枠を学びました。

・中東教会協議会(編)村山盛忠・小田原緑(訳)『中東キリスト教の歴史日本基督教団出版局(1993年)
・Kenneth Cragg, “The Arab Christian: A History in the Middle EastWestminster/John Knox Press, Louisville, Kentucky, 1991.
・Betty Jane Bailey& J. Martin Bailey, “Who Are the Christians in the Middle East?”William B. Eerdmans Publishing Company, Grand Rapids, Michigan/Cambridge, U.K., 2003.
・Joshua Hammer, “Unholy War in a Sacred Place: A Season in Bethlehem” Free Press, New York/London/Toronto/Sydney/Singapore, 2003.
・Robert Satloff, “Among the Righteous: Lost Stories from the Holocaust’s Long Reach into Arab Lands” Public Affairs, New York, 2006.

メムリ」(http://memri.jp


Special Dispatch Series No 1850 Feb/21/2008


アラブ諸国から追放されるキリスト教徒」


近年アラブ諸国からキリスト教徒の流出が続いている。サウジのコラムニストであるシュバクシ(Hussein Shubaksi)は、ロンドン発行アラブ紙Al-Sharq Al-Awsatでこの流出現象について論じ、この現象に対する無視傾向を批判すると共に、流出が深刻な問題を内包していることも指摘。将来アラブ社会に重大な結果をもたらす、と警告した。以下その記事内容である※1。

手始めはユダヤ人追放―寛容と共存のアラブ・イスラムモデルの破綻

 アラブ東方世界は、(かつて)さまざまな宗教が平和裡に共存する社会の模範といわれた。その模範例なら、学問、通商、文化交流等々の分野でいくらでもある。この状況は、ユダヤ人をアラブ諸国から追い出すまで続いた。シオニスト国家の独立宣言に伴なって、ユダヤ人を叩きだしたのが、そもそもの端緒である。(この独立宣言に対する)アラブ諸政府治安機関の対応は愚かであった。ユダヤ人社会をうさん臭い目でこづきまわし、いろいろな手段で苦しめて、力づくで追いだしたのである。シオニスト組織の見苦しい行動も見逃してはならない。(ユダヤ人)社会がふるえあがって逃げ出すように、恐怖心を煽ったのである。
 (アラブ諸国からユダヤ人が流出したことは)、アラブ世界の物質的繁栄、経済活動の多様性に、極めてネガティブな結果をもたらした。宗教的寛容、共存、“他者の存在の是認”はアラブ諸国では当り前のことであったが、これもなくなった。

次はキリスト教徒の追い出し―パレスチナキリスト教徒の行き先はチリ

 今日、別種の流出が続いている。今やアラブ世界からキリスト教徒が居なくなりつつあるのだ。レバノン、ヨルダン、エジプト、パレスチナスーダンそしてシリアからキリスト教徒が逃げ出しており、その流出率は驚く程のレベルに達している。特にパレスチナでは、しっかりと根の張ったキリスト教徒社会がかつて存在していたのに、今や根こそぎ状態になりつつある。パレスチナキリスト教徒は主にチリへ移住している。特に首都のサンティアゴに集中し、同市のパレスチナキリスト教徒社会は人口7万になった。一方アラブ諸国キリスト教徒は、ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ及びカナダへ移住する過程にある。
 他者との共存は、預言者ムハンマド御自身)によって実践されたのであるが、アラブ世界ではこの基本理念が失われ、過激主義がのさばり返り、拡散しつつある。宗教界を過激思想が支配しているのは、驚くにあたらない。今やこれが当世風になった。キリスト教徒を彼等の生まれ育ったアラブの大地から駆逐する。その最も強力な武器が、(共存を拒絶する)この過激主義である。

他者の存在を拒絶するイスラム過激主義が元凶

 この強制追放は、他者の存在を認めず、寛容な心を失った証拠である。流出現象がその間の事情を雄弁に物語っている。キリスト教徒アラブ人が、(アラブ諸国で)安心して暮していけないと感じていることは、実に重大な問題なのである。可及的速やかに対策を講じなければならない。解決しなければ流出が続き、とんでもない事態をひき起こしてしまう。その損害は測り知れない。ムスリム自身も含めてすべての者がその代償を背負わざるを得なくなる。

 この流出現象に沈黙し、(アラブ諸国を)見捨てるキリスト教徒の数がどんどん増えても、自分には関係ないと無視するのは、まことに理解し難いことである。かつてアラブ世界は、諸文明が集まる中心地であった。さまざまな宗教集団が共存し、さまざまな文化が融合していく世界であった…
アラブ社会の機能不全も一因、流出を放置すれば将来に禍根を残す

 今日、このような憂慮すべき現象がみられる状況下にあって、我々はいつまでも目をそらしているわけにはいかなくなった。状況はそれだけ深刻なのである。キリスト教徒は、数十、数百の単位でいなくなっているのではない。こそこそと夜陰にまぎれて逃げるのではなく、数千の単位で集団となり、白昼堂々と流出しているのである。

 (キリスト教徒がアラブ諸国から流出する)理由は明白である。彼等は恐怖心を抱いているのだ。社会の機能不全に由来する問題もある。この(ユダヤ人に続く)第二次流出は、重大な破綻現象であり、放っておくわけにはいかない。一番手痛い目にあうのは、この地域だからである。

※1 2008年2月2日付 Al-Sharq Al-Awsat(ロンドン)

    http://www.memri.org/bin/latestnews.cgi?ID=SD185008

ユーリ注:上記のロンドン発の新聞はアラビア語なので、正しく訳出されているかどうか私には判断できませんことを、予めご了承願います。