ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

リフレッシュ休暇

「上手に休むのも仕事のうち」と言います。
高校の時には、「寸暇を惜しんで勉強せよ」などと、せかされる毎日でしたから、つい最近まで、その後遺症が長く続いていました。やはり「人を見て法を説け」であって、私のように、小学校の低学年の頃から、夢中になって何かに取り組み、楽しく過ごしたという思い出がほとんどなく、周囲が押し付けた義務感だけで頑張らされ、何をやっても欠点ばかり責め続けられてきて、子どもらしくもなく毎日のように将来を不安に感じていたタイプにとっては、そのように急き立てる指導がまったくの逆効果だということです。今だって、毎日のように日課やら勉強やら読書やらに心していても、ではひとかどの人間になっているかといえば、結局は、単に平凡な主婦に過ぎないのですから。
何か、得意なところを思いっきり伸ばすとか、夢中になれることを大切にするとか、そんな観点はごっそり抜け落ちていたように思います。だから、自分が何に向いているのか、さっぱりわかりませんでした。今でも、よくわからないところがあります。いつも、あれがいけない、これがいけない、と注意ばかりされていて、注意されないように気を張る日々でしたので...。
例えば、本を読むのが好きならば、「目が悪くなるから読むな」「人づきあいが悪くなるからダメ」などと言われると、罪悪感を持ちながらの読書になります。音楽が好きでも、「お金がかかるからほどほどに」「スポーツで体を鍛えることも必要」などと注意されると、本当に、感覚がマヒしてくる上に、やる気が消えてしまいますよね。
先週末のミッフィーを見ていたら、アリスおばさんが、若い頃覚えたダンスをミッフィーと友達に教えようと思い立ち、土曜日ごとにレッスンを授けるお話が出てきました。「ダンスは簡単そうに見えるけれど、本当は難しいのよ。でも、できるようになったら、とっても楽しいんだから」とミッフィー達を励まし、最初は転んだりぶつかったり不器用だったうさぎちゃん達が、だんだん足並みを揃えてうまく踊れるようになってきます。
このように、森の中で工夫して楽しそうに暮らしている擬人化されたうさぎの様子は、単純なストーリーだけれども、いろいろ考えさせられるテーマを含んでいると思います。アリスおばさんは一人暮らしのようですが(もしかしてアギーのお母さんなのかも?)、時々おもしろいことを思いついては、子ども達を招いて楽しく過ごしているのです。にんじんパーティーとか仮装パーティーのように...。

ですから、冒頭の指導の根本的な間違いは、「何のためにそうするのか」という本質が抜け落ちていることなんです。また、相手の成長を心から願うというよりも、自分の基準で相手を縛り上げるから、問題になるわけです。環境が悪かったと私が繰り返すのは、そういう欠陥に気づいたためです。この取り返しには、莫大なエネルギーがかかるので、子育て中の方々や、学校教育で若い人々に接する仕事をしている方々は、よぉく心していただきたいものです。

というわけで、この二日間、主人とリフレッシュ休暇を楽しんできました。「楽しい」という感覚は、主人と結婚してから味わえるようになったものです。とはいっても、それほどお金もかかっていないし、あれこれ忙しく動き回っているわけでもありません。
今回は、主人の勤務先の保養所に宿泊しました。国内に何か所かあるのですが、近場でくつろげるところと言えば、やはり琵琶湖。普通は抽選なのだそうですが、幸いなことに、私達用の部屋だけ、ちょうど空いていたようで、待つことも外れることもなく、すんなり決まりました。
(会社の保養所なんて、大学のセミナーハウスよりもモサイんだろう)と思っていたところ、予想以上に現代的なデザインの立派な宿泊施設で驚きました。また、社員とその家族用の施設なので、応対も大変丁重で、清潔で安心でき、雰囲気が一定の節度を保っているように感じました。何もしていない私までこういう待遇を受けることができるなんて、これもそれも、主人の働きのおかげです。食堂でも、どの家族も円満そうで落ち着いた暮らしぶりのようで、いろいろと勉強になります。食事もたっぷりと懐石風にフルコースで出していただき、大満悦でした。近江米は、大津や琵琶湖に来ると必ず出されますが、ふくよかで独特の味わいがあり、本当においしいです。

改めて思うのは、いい職場とは、家族単位で社員を大切にするところなのだ、と。まじめにコツコツと働いている人には、それ相応の休暇を報酬として与えるところなのだ、と。(だから、先日の新聞一面に大きく掲載されていた、ある運送業の過酷な業務体制は、労働法違反という罪を犯している以上に、とりもなおさず雇い主自身が「うちは従業員を非人間扱いする悪い会社です」と自己宣言しているようなものなのです!)
以前、「大学教員はぁ企業勤務者よりもぉ社会的地位が高いからぁ」と見下ろすように言われて、何を意味しているのかわからず戸惑ったことがあります。主人の同僚には、大学に転職した人も何人かいるのに...。地位の高さ(というものが果たして存在するのかどうかはさておき)が単純に幸福感を決めるのではなくて、社会への貢献度や内的快適度や充実感が幸福かどうかを決定するのではないかと思います。それに、地位が上がれば上がるほど、下々に対する責任も増すわけですから、自分だけが「地位が高い」なんて威張っていた日には、先が思いやられます、よね。

琵琶湖は何度来てもよいところです。静かに波打つ岸辺と広々としたみずうみの水面。薄黄緑色がかって整然としたたたずまいの青々とした田畑。眺めているだけで安らぐ思いです。原点に戻った気がします。後ろを振り返れば、どっしりと落ち着いて連なる山々。5月の木曾の山、琵琶湖を囲む山、そして我が家の裏手にある山、それぞれに趣が異なります。生えている木と土壌が違うからですが、当然のことながら、気候も影響しているのでしょう。そういう違いを大切に思えるようになった自分が何だかうれしいです。
びわ湖バレイのロープウェイは、今年2月に120人乗りの大型に転換されたそうで、以前にも乗ったすぐ隣のゴンドラが何だか貧弱に見えました。今、取り壊し作業中だそうです。空気がヒンヤリとしているので、蓬莱山のてっぺんまで歩いて登って行きました。距離の割には疲れないところが、空気のよさですね。都会では、車の排気ガスとビル群の熱気で疲れやすいのですが、年のせいかと思っていたらそうでもないことが判明しました。子ども達が遊べる自然の器具がたくさんあり、歓声を上げて走り回っていました。ついでに、犬まで、何匹も喜んであちらこちらを飛び回っていました。
二日目に訪れたのは、石山寺です。源氏物語の生誕1000年記念のために、今年は各地でさまざまな催しものがあるようですが、源氏を一応は読み通した国文学科出身者として、名前だけは知っているというのでは恥ずかしい石山寺ですから。
戦時中に、源氏物語を心の支えにして生き延びたという方の記事を、つい最近の新聞夕刊で読みました。確かに、これほどの長編小説が平安期の日本で女性の手によって書かれたということ自体、極めて驚くべきことながら、長らく大勢の人々に読み継がれてきたという事実は、日本が誇るべき文化遺産であると思います。源氏は、20代の小娘がいくら講義を聞いて演習で読んだとしても、どこかわかりにくいところがありますが、この歳ぐらいになると、だんだん、(ああ、こういう描き方がおもしろさとなって人々を惹きつけるんだなあ)と思えるようになってきます。京都御所にいつでも行ける距離に住んでいるということも、大きく幸いしていると思います。
紫式部は、源氏の完成を祈願して石山寺にひととき籠ったとか。そういう部屋らしき空間が残されています。実際のことの真偽は別としても、何かを成し遂げる際には、事前に神仏に祈願したという謙虚さは、執筆がそれほどの決心であったという背景を物語るものでしょうか。また、松尾芭蕉島崎藤村も、ここに庵を構えたのだそうです。
源氏に関する展示は、奥の方にあった絵屏風や貝合わせや写本の方が断然おもしろく、ロボット展示は場違いのように思えました。「千年前の作品がこうして今に伝わっているのだから、今の私たちが千年後に何を残せるのか」という視点からロボットになったのだそうですが、なんとなくピント外れではないでしょうか。確かにロボットは、コンピューターと同様、ある分野では非常に重要な働きをしていますが、果たして紫式部が「千年後も残す作品を」と勢い込んでいたのかどうかは大いに疑問です。
田辺聖子氏の展示もありました。氏が現代語訳した源氏の作品があるからですが、同じことなら、瀬戸内寂聴与謝野晶子谷崎潤一郎円地文子など、それぞれの作家の訳を並べてみるともっとおもしろいのではないかと感じました。私自身は、このような現代語訳の存在はもちろん知ってはいても、源氏を読んだのは原文で、です。そういう講義や演習を履修していたからでもありますが、つまるところ翻訳というのは解釈なので、若い時には、できるだけ色をつけない方が賢明ではないかと考えたからです。とはいっても、今でも登場人物がこんがらがっている個所がなきにしもあらず。
田辺聖子氏については、一冊も読んだことがありませんけれども、新聞のコラムやラジオのインタビューを通して、本当に賢い女性だなあという印象を持っています。学歴とか出身校や家柄のことではなく、広く人々の共感を呼ぶような、しかも関西のよさをうまく文章に織り交ぜる能力に長けた、真に知恵ある女性だと思うのです。愛嬌のある顔立ちで、庶民的なおばちゃん風なのに、人生の機微をよくつかんで、しかも「楽しく生きな、ソンソン」みたいな調子で、下品になったり人を傷つけるようなことは、決して書かないからです。愚痴ろうと思えば愚痴れなくもない環境であったのに、いつでもにこにことほがらかそうに振舞い、生き上手だなあと思います。
展示では、直筆の原稿用紙とちびた鉛筆が数本ありました。達筆の部類に入るのではないでしょうか。また、最後まで大切に鉛筆を使う精神がありありとうかがえました。お父様に愛されて育ったということと、好きな古典を少女時代から読みふけっていたという環境が、このような方を生んだのでしょう。かもかのおっちゃんと楽しく仲良く暮らしていた背景を感じさせられます。
帰宅すると、源氏物語の写本が新しく発見されたという報道がありました。保存状態が極めてよく、従来の写本とは異なる解釈もあるとか。こういうところが、古典の魅力ですよね。それしにしても、私にとってはタイミングが絶妙でした。