ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

シェラベア訳の聖書について

昨晩は、なぜか夢中になって、シェラベア訳の聖書に関する短い報告二本を和訳してみました。もっとも、数年前から入手してあり、参考文献表にも何度か入れ、もちろん読んでいました。が、和訳してみると、また新たな驚きがあります。我ながら意義を感じて、楽しかったです。
シェラベアの聖書翻訳に関して、マラヤではマレー人クリスチャンの教会が形成されず、語法も古くて使われないままとなりました。
しかし1990年代に入って、その版をインドネシアの西ジャワで、新たな目的のために少し手を入れて使うことになり、検討委員会で読み直したところ、かなりうれしい発見があったというのです。それは、最新で最高の聖書学知見と照らし合わせた場合、この1929年に出された新約の翻訳において、より長い終わり方をする主の祈りがその本文に入っていなかったこと(マタイ福音書6:13)、使徒行伝8:37の挿入が欠けていること、いわゆる三位一体の証拠となる本文(第一ヨハネ5:7-8)が含まれていなかったことが発見できたというのです。つまり、古い時代の翻訳ながら、シェラベアの翻訳は現代でも通用する訳し方をしていたという意味です。
しかしながら、マルコ福音書16:9-20のより長い終わり方をする方は、いまだ四角囲みなどのような指示なしで本文の一部となっていること、同様に、ヨハネ福音書7:53-8:11の節は、より古いギリシャ語写本における位階の指示なしに含まれていることが、改訂の対象となるそうです。
改宗者が出現せず、いたとしても非常に小さな集会が崩壊したために、その後はその聖書翻訳が用いられることがなくなっても、時代を経て、新たに手を加えて再使用される例の一つのテストケースだと報告されています。もちろん、翻訳の改訂作業の報告ですから、実際にどの程度使われるのか、また、どのような反応が出てくるのかは、未知数です。それもこれも、歴史が証明することだろう、と報告は結んでいます。
何より興味深かったのは、インドネシア語と当時のマラヤのマレー語の相違です。このような細かな違いは、案外、研究者でも知らない、あるいは、知る必要のない側面なのかもしれませんが、私は、そもそもそういう点を学びたくて、1990年からマレーシア版の定評あるマレー語聖書を探し求めてきたのでした。

例)
ギリシャ Griek → Yunani (インドネシアでは左の語は使われないので右の語に変更)
シリア  Syam → Siria (左の語は古い)
妻    bini → istri (左の語は口語的であまり丁寧ではない)
湖    tasik → danau (マレーシアでは左の語が普通だが、インドネシアでは右である)
印    alamat→ tanda (左の語は今日では「住所」の意味)
神の集会 sidang Allah → jemaah Allah (通常は法的な委員会を意味する)

こんな風に、自分にとってもなじみのある表現について、マレー語では何といい、インドネシア語ではどうなのか、語の意味変化はどうか、などなど、聖書翻訳から学べるのではないかと、最初は期待していました。ところが、やり始めてみると、このざまです。また、あまりに細かいと、「こっちには関係ないこと」「それがどうしたんですか」と言われそうで、困ってしまいます。
しかし、しかし、です。日本でも、文語訳が依然として根強い人気を誇っているように、きちんとした訳であれば、古くても、手を入れて新たに蘇る可能性もゼロではない、という一つの事例になるのではないでしょうか。そういう、歴史に残る仕事をした人生は、例え表面的には「失敗」のように見えても、私には貴重な励ましのように思えます。
何を言いたいかというと、植民地時代に、マレー人に対してキリスト教改宗活動をしたかどうかを、残された聖書翻訳や印刷物だけで判断すると、いかにも盛んにしていたように見えるのですが、私が今まで調べた範囲でわかったこととしては、実際には、ほとんどの宣教師達がマレー人伝道を志すようなことはしなかったこと、ただ、そのことにジレンマを感じていた一部の有志が、遠隔から祈祷会を持つのが精一杯だったこと、マレー人でキリスト教に関心を持つ人がいたとしてもごくわずかで、ハラスメントを受けたり、イスラームに再改宗したり、ババ・マレーのクリスチャン家庭の養子としてひっそり暮らしたり、国外追放されたりしたこと、です。と同時に、そのことが事前に予期されていたにも関わらず、危険性を承知の上で、我が人生を「見捨てられた」マレー人のために献げようと決意し、文学研究や言語研究をコツコツと孤独感を覚えながらも進め、時には偏狭者だと誤解されることさえ恐れながらも、聖書翻訳を完遂したこと、です。しかも、苦労した挙げ句、その翻訳を用いるマレー人教会は、当時は実現しなかったわけです。
世俗的価値観から言えば、こんな「失敗」ほど無意味なことはないでしょう。しかしシェラベアは、その後移住したアメリカのドリュー大学とハートフォード神学校で、非常に尊敬されたイスラーム学の教授として教鞭をとり、マラヤでの作業の継続をし、長い一生を閉じました。追悼礼拝では、シェラベアが訳したマレー語のメソディスト賛美歌が歌われたそうです。
つまり、マレーシアのイスラーム文脈では期待通りには実現しなかった彼の仕事が、アメリカのキリスト教文脈では高く評価されたということです。これをどう判断するか。
マレー人から見れば、「マレー語の文学や言語の研究という仕事そのものは、尊敬します」ということらしいです。事実、シェラベアのマレー語学習や聖書翻訳を手伝ったマレー人が常に何人かいたわけですから、決して敵対的な関係ではあり得ませんでした。そこが重要な点なのです。マレー人から言葉や物の考え方などを教わる過程で、新たな事実をシェラベアは発見し、学んでいきました。ただ、改宗行為にまで至るかどうかという点では、実を結ぶことはありませんでした。
この話をすると、おもしろくなさそうな顔をされるのは、ムスリムではなく、日本でキリスト教の思想などを研究されている方の一部です。確かに、ここには深淵で高邁な思想もなく、ただただ現地と遠隔での真摯な実践あるのみ。「わかりきった話をなぜ?」というのが正直なところかもしれません。聖書翻訳にしても、その言語に興味がなければ、「あ、そうですか」で終わり。しかし、この時代に試みたことと、その「無駄な」結果がきちんと膨大な資料として残されているがために、新たに見えてきたことがあり、従って、現在のムスリム・クリスチャンの理解促進のための対話路線が開かれたわけで、もし何もしていなかったら、無駄もなかった代わりに、新たな理解模索への道もありえなかったかもしれないのです。
また、この時期の一つの経験を現代において改めて掘り起こすことの意義は何か、と言えば、1980年代以降、現在に至るまで、マレーシアのキリスト教内でのマレー語使用を巡って、マレー当局との間で、繰り返し同じ問題が発生しているために、その深刻さを解明するためにも、マレー人指導者側の主張の真偽を確認する作業が必要なのではないかと思われるのです。

話は逸れますが、日本ではなぜ、キリシタン文献の研究が、いまだに盛んなのでしょうか。キリシタンは、殉教したり、迫害を恐れて隠れたりしました。しかも、古い時代の話で、「それがどうしたんですか。ここは日本だし、あの人達は...」と言い放ってもおかしくはないのかもしれません。しかしながら、日本史の一側面であることは事実であり、資料から当時の語法がわかる上、貴重な日本語史の一端を担っているから研究の意義があるのではないでしょうか。キリシタンの信仰に学ぶというキリスト教的側面を別としても。また、当時の宣教師とキリシタン達が、病める人まずしい人々の救済にあたろうとしたことなど、思想面でも意義深いものが大きいと思うのです。実際、最近になって福者として祝福にあずかるほどなのですから。

という観点を参考に支えにしながら、自分なりにもっと事情を明らかにしていきたいのですが、果たしてどうなることやら...。
「書かないとこちらにもわからないでしょう?」と言われましたが、それ以前に、書く意義が果たしてあるのかどうか、新たな意味は何なのか、資料がある程度まとまり、時間をかけて読み込まないと、正確なところは何も言えないし、ましてや書けない、と思い詰めていました。かといって、黙っていたら誰にも伝わらないし、だから中途半端でも未完成でも恥をしのんで出て行くしかない、といった感じでした。「それで?」と言われればそれまでです。でも、興味のない人に押しつけるつもりはなくとも、少なくともムスリムの人達には、この時期のシェラベアの意図と実際をできればわかっていただきたいし、恐らくはある程度の理解があることでしょう。そして、現代のクリスチャン達にも、この経験あってこその今があるのだ、と知ってもらいたいです。「それだけじゃあ、論文になりません。こちらには関係のない話です」と言われてしまえば、もう長年集めた資料の山を全部、燃やしたい気分です。一生を棒に振るとは、このことでしょう。何度もそういう無価値感に陥りながら、少しでも空白部分の埋め合わせをしたいと願って、がんばって起き上がる、これの繰り返しです。
Jane Idleman Smith,"Muslims, Christians, and the Challenge of Interfaith Dialogue", Oxford Univeristy Press, 2007を読みながら(参照:2008年10月25日付「ユーリの部屋」)、自分の心境をなぞる気分になり、アメリカの偉い先生方でもこんな思いをされているのに、と反省しました。読書から励ましを得て、またがんばりましょう。