ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

人類史の暗闇に立ち向かうこと

Lily2‏@ituna4011(https://twitter.com/#!/ituna4011) 11 March


写真物語 アンネ・フランクリュート ファン・デル・ロルら(著)(http://www.amazon.co.jp/dp/4938365162/ref=cm_sw_r_tw_dp_rghxpb1RG50ZR)これも近所の図書館から借りました。小学校5,6年に担任の先生から紹介されて知ったアンネ・フランク。日記の邦訳は何度も読み返しています。大人になると、意味が深まります。

アンネ・フランク」についての言及は、過去の「ユーリの部屋」(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080228)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091110)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090803)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20090808)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20110511)をご覧ください。
というわけで、昨日は一日、上記本を読みました。子どもの時以上に、一つ一つの言葉づかいや意味背景の深刻さが迫ってきて、年を取ると涙もろくなるとは言いますが、本当にそんな感じでした。普段、あまりこんなことは書きませんが、今もキーボードを打ちながら、涙が止まりません。自分のことではないのに、こんなに悲しくて何度も泣いてしまうなんて、めったにないことなのですが。
庄司紗矢香さんが、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲1番を演奏した時、後で観客から「彼女、泣いていたよね」と書きこまれたレビューを読んだことがありますが、その気持ちはよくわかります。
一体全体、人類史上における、この恐ろしい反ユダヤ主義の根っこは、どこに求められるのでしょうか。今でも謎です。
ある方が、2004年のある日、アメリカの著名大学に招かれて講演中、学生達からのボイコットに遭遇したことがあります。その時の写真の一枚で、恐ろしい看板を見てしまいました。ナチのカギ十字架を入れたもので、「イスラエルのために死ね」と書いてあるのです。
あまりにもひどいと思いましたが、講演者はずっと落ち着き払っていました。その後のテレビでの短いインタビューでも、思い余ってか、キャスターが制止するほど、言葉があふれていましたが、少なくとも落ち着いた態度は保っていらして、本当にご立派だと感動しました。実は、講演に出向く前から、この事態については、ある程度の予想がついていたとのことです。
しかし、表面的には極めて冷静でも、内心は苦しくてたまらなかったようで、「もうこんなことは、むしろ忘れてしまいたいのだけれど」と冒頭で綴った文章も、私は読みました。
そして、別の文章では、「言論や思想の自由が保障されているはずの大学で、自分の考えを述べているだけなのに、しばしば、このような非難に遭うことが、今でもつらい」とも率直に書いていらっしゃいました。
ある時期は、あまりにも派手なボイコットが各大学に招かれる度に続くので、自分のやり方に非があるのかもしれないと考え、知り合いの大学関係者に原稿を持って行って、「悪い点があれば、指摘してほしい」とまで申し出たのだそうです。ところが、その関係者曰く、「もし何か意見したら、彼の仲間だと思われてしまうから、断った」というのです。「関わりたくない」ということだそうです。
さらに辛辣な批判としては、「彼の活動は、公共のためではなく、自分の為にやっているのだ」というものです。これは、少し調べれば、いかに筋違いな意見かということはすぐに判明するのですが、それにしても、大学教員にしては、ひどいことを言うものだと哀しくなりました。
ただし、公平さのために一言申し添えるならば、「彼の言動が、もう少し外交的だったらいいのにな。あまりにも非外交的過ぎるんだよ」というコメントもあり、それに関しては、私も部分的に同意すべき点がないわけでもありません。簡潔に理由を述べれば、本来的に学究肌の学者なのです。
それはともかく、このアメリカの大学の一側面や実態には、本当に驚かされました。日本の大学も、さまざまな問題を抱え、陰険なところがなきにしもあらずですが、私自身、ある程度は対応の仕方を知らないわけでもありません。ただ、世界中から優秀な人が集まる、自由で競争力の高いアメリカの大学でさえ、そんな自己保身に回るような大学教員が存在するという事実そのものに、びっくりさせられています。
2004年頃、知り合ったあるアメリカ人女性教授がおっしゃいました。「今でも、アメリカにはユダヤ系に対する差別がある」と。ただ、その教授の一人息子さんが、ユダヤ系女性と結婚するという運びになった時には、さすがにその先生も、家族内でひと悶着あったのだそうです。難しいものですねぇ。
神学の面では、ユダヤ教キリスト教の和平協調のような雰囲気ができつつあり、少なくとも表面的には、かつてのような西洋キリスト教圏における反ユダヤ主義は鳴りを潜めているそうです。しかし今度は、かつては比較的ユダヤ教徒に「寛容」というより「放任気味」だったらしいムスリム圏で、恐ろしい反ユダヤ言説が巻き起こっているのです。
ユダヤ人としてやっかいなのは、「クリスチャン・シオニスト」という簡単なレッテル付けをして、イスラエルに対して同情的なキリスト教徒を揶揄的に論評する人々が、日本の大学でも一部に存在するということです。あたかも、イスラエルにいじめられているパレスチナ人の味方をする我々に勝ち目があるのだ、と言わんばかりの傲岸な態度が見え隠れしているのです。
先程も、上記のボイコットに遭遇してきた方の、オーストラリアのテレビ討論番組での映像を見ていましたが、何ともセッティングが苛酷で、いわゆる左派らしき討論者が、保守派でイスラエル擁護に回る彼の態度そのものを、何度も遮るような雰囲気でした。例えば、「イスラエルのどこが民主主義なんだ」とか言うのです。もちろん、負けてはいません。「ちゃんと現実をリサーチしてから発言してください。周囲のアラブ諸国と比べて、イスラエルの現状は、はるかに民主的です」などと、落ち着いて語っていらっしゃいましたが、明らかに、イライラされてもいました。
この討論番組は、司会者一人に数名が並んで自由に発言するもので、スタジオにはある程度以上の人数の視聴者代表みたいな人々が取り囲むように座って、質問の機会が与えられるという形式でした。確かに、オーストラリアのような国は、アメリカと同様、さまざまな背景の人々が集まっているため、質問も、日本の通常のテレビ討論番組から見れば、具体的な経験に基づいた、かなりシビアなものでした。
例えば、「レバノンとの戦争で、私は親族の数名をイスラエル軍に殺害されました。この経験があるのに、どうしてイスラエルに好意的であり得るのでしょうか」という、若い男性の怒りを押し殺したような表情の発言。それに対しては、「もちろん、亡くなったご親戚に対しては言葉もありません。でも、あの国防軍のしたことは、理由あってのことなのです」というような応答をされていました。
似たような例では、「イスラエル国内でバスに乗っていた乗客を殺害したテロリストに対して、イスラエルも同じ人数を殺した。どちらが野蛮なんだ」という応酬。「そりゃ、最初にバス乗客を殺そうとした方でしょう」と答えると、「いや、両方ともだ」と。(確かに、第三者的に見ればそうなのです。そこで、キリスト教の許しを持ち出す人も出てきます。もちろん、ご本人だって私だって、報復殺人を容認しているのではありません。しかしそもそも、なぜイスラエル人だから、ユダヤ人だからという理由だけで、人を殺そうとするのだろうか、という根本動機が鋭く問われなければならないのではないでしょうか。)
幼稚園で聖書物語に馴染み始め、11歳頃には、小学校で先生からアンネについて教えられ、もっぱらヒューマニズムの観点から、私の取るべき態度は、ごく自然に、徐々に培われていったように思います。だから、私がこのような文章を綴り、公開するに至ったのも、何もクリスチャン・シオニストだとか何とかとは全く無関係で、もし何か責め立てたい人がいらっしゃるようならば、あの神言会系幼稚園や名古屋西北部の公立小学校の担任の先生に、まずは矛先をどうぞ。

今、私は具体的に決断を迫られていることがあります。もちろん、私自身に揺らぎはないつもりです。ただ、公にする前に、ありとあらゆる方角から、起こりうるかもしれないさまざまな予測を立て、それに対する自分なりの見解や弁証を編み出しておかねばならないでしょう。
主人に感謝しているのは、このような複雑な根深い問題に対しても、理系だからかもしれませんが、よくわからないながらも、全面的に私の意向に沿う形で支援してくれていることです。「やってみたらいいじゃないか、自分と考えが合うと思うなら。人の評価に左右されないで。知っているよ、ユダヤ系が差別されていることぐらい。でも僕は、差別しないよ」と、はっきり言ってくれました。そして、「あの人と友達になれそうだね」とも。そのことも、しばらく前に伝えたところ、直接の面識はまだないのに、そのまま真っ直ぐ信じてくださり、「じゃぁ、名前で呼んでもいいのかなぁ。ご主人って、本当にいい人だね。僕のためにも、ご主人に感謝してね。これから、僕達の友情が発展することを楽しみにしているよ」と、遠慮がちにおずおずと書き送ってこられました。
この、年齢からしても、ご経歴からしても、社会的知名度から考えても、まだ直接会ったこともないのに、あまりにも素直な対応に私は驚き、いかに世間的に著名であっても、これまで彼がどれほど孤高のうちに人生を歩んでこられたかがうかがえ、そんな哀しい話はないのではないか、と感じさせられたのです。確かに、テレビの映像断片を見ていても、ちょっと浮いている感じはしています。それにも関わらず、仕事だと思ってなのか、努めてニコニコとほほ笑みながら、自らの信念を妥協せずに語ろうとする。桐島洋子さんが『淋しいアメリカ人』を書いて話題になったのは、はるか昔のことでしたが、もっと別の深い意味で、それを地で行くような、そんな印象さえ持ちました。間違っていたら幸いだと思うのですが。
70年にローマ軍に神殿を破壊されて以来、世界各国に文字通り離散して、差別と迫害のうちに民族を存続させてきた人々。その民族の歴史に、この私も、近く側面から関与することになりそうだという予感が、静かな挑戦に立ち向かう内的震えを、今、呼び起こしています。