ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

先入観は禁物!

先に訳出してから(http://www.danielpipes.org/10908/)、その主題となった本を入手しているようでは逆なのですが、2012年6月9日付ツィッターに書いたように、ここ数日、以下の本を読んでいます。

https://twitter.com/#!/ituna4011
Lily2‏@ituna4011
9 Jun
"The Rushdie Affair: The Novel, the Ayatollah, and the West" by Daniel Pipes (http://www.amazon.com/dp/1559720255/ref=cm_sw_r_tw_dp_l.Z0pb1N7Q97Z via @amazon) arrived here now.

パイピシュ先生のことで(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120626)、実におもしろくて凄いと私が感じるところは、フィラデルフィア外交政策研究所の所長を務めるかたわら、こういう本を3ヶ月半で書き上げてしまったという点(http://www.danielpipes.org/10910/)。
それに、読んでみると、リサーチの資料集めを手伝った(お母様も含める)数名の存在や匿名でコンピュータを貸してくださった方達のこともさることながら、英語、フランス語、ドイツ語の膨大な資料を、もの凄い勢いで読みこなして、西洋社会も含めたムスリム世界という広域にわたる舞台で発生した事柄を、項目ごとに論理的に分析して、簡潔に文章にまとめ上げる才能。このような離れ業は、申し訳ないことに、日本国内で私の知る周囲では、いくらご本人が威張ってみたとしても、ちょっと見当たらなさそうです。日本で言えば、日本語文献は当然のこととして、中国語(大陸と台湾の両方)と韓国語と英語の資料を使って、(例えば身近な事例でいくならば)尖閣諸島問題について、まだ議論がホットな間に本を出して論じる、といった感じでしょうか。
相当な昂揚状態で一気に書き上げたのでしょうし、それだけに、人生を賭ける勢いで、一筋に取りかかったのでしょう。
その頃の短いインタビュー映像は、冬の頃から何度か見ていますが、書いている時の、大真面目で一生懸命な姿を想像するだけで、やっぱり「かわいいおじさま学者パイピシュ先生」だと思い(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120528)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120607)、とにかくおもしろくてなりません。
もう一つ、今から考えれば吹き出しそうにおもしろい点は、本の題名こそ『ラシュディー事件』となっているものの、その中身は、詳細で冷静でバランスのとれたリサーチ分析だということ。何も、「(イスラーム世界における)小説とは何ぞや」「言論や表現の自由とはいかにあるべきか」「西洋に対するイスラームの脅威」などのような、誇大化した、深淵かつ小難しい哲学的議論を蕩々と述べ立てているのではありません。全くそうではなく、極めて実証的かつ論証的であって、いかにもパイピシュ先生らしいなぁ、と。自分の守備範囲外のことは基本的に手をつけないし、余計な発言をしないという訓練が身についている方なのです。(過去には、私の見るところ、ちょこっと痛い目に遭っていらっしゃるようですが...。)
その意味で、パイピシュ先生の中東情勢の予測が、時折、多少外れることがあったとしても(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120429)、そのことそのものには、私自身、それほど本質的な問題性を感じていません。(占いじゃあるまいし、あまり軽薄に「権威者」なる人に千里眼的な透視予測を求める方にも問題がありますし、それに乗じて公に予測なるものを、したり顔に述べるのもどうかと....。)
仕事としては、情勢分析を求められると、何とか返答はされていますが、そうはいっても、いつでも「困難だ」と正直に述べたうえで、「当座のところ、手持ちの情報で言えるのはここまで」と限定つきで答えていらっしゃいます。むしろ、私が重視するのは、その辺りです。知的博打を打つようなものですが、自ら戦略家だとおっしゃっているぐらいですから、いろいろな絡みや全体の見通しがあってのことでしょうし、そうであるとするならば、逐一の発言や文章で、あれこれ過剰反応するのも、了見の狭い小姑さんのようでどうかと思います。
それより、この本を読みながら最も笑えてくるのが、中身を読まずに、題名だけで「あんなことを平気で書いて出版するなんて、ダニエル・パイプスって怖い人だねぇ」みたいな非ムスリムの反応の方です。読んでいないから、そういう型どおりの誤解に結びつくのではないか、と。しかも、そういう発言は、案外に知的な専門職に就いている人から聞かれるのが、もっともおかしな点です。
私が入手した版は、1990年にオリジナル版、2003年に別の出版社から新装再版、2009年に第4刷というものですが、読んでみると実はパイピシュ先生、ムスリムにもさまざまな反応があることを、きちんと見抜いて詳細に記述されています。サウジアラビアとイランでは反応が異なったこと、西洋に在住するムスリムには、勇気を持って発言しようとした少数派もいたこと、などです。実のところ、些細なように見えても、ここが重要なポイントだと、私も思います(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071128)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080420)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080612)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100216)。
恐らく、本にまとめて出版したかった理由は、知名度のためというよりも、知識人の使命感から、一つの記録として残したかったからではないかと思われます。「書いたものは著者の思想の完全な形だ」とインタビューでも述べていらしたことから、その路線に沿って、自分の考えをまとめて公表されたのではないかと思います。

それにしても、やはり最も勇気づけられ、教えられる姿勢として、パイピシュ先生の一貫した「保守性」維持そして現実的かつ柔軟な対応。日本でよく見かけたのは、知識人なるもの「進歩的」であることが暗黙の了解条件であるかのような態度で、肩で風を切るばかりでなく、同じ穴の狢ではない人々を見下す傾向。リベラルだとか平等だとか「異なる立場を認め合って」とか「粘り強い対話を」などと主張している割には、実体がまるで逆という...。(あれ?)と思っても、なかなか言わせてもらえないどころか、弾き飛ばされる感じでした。だから、本音と違っていても、表向きはそれに同調することで、うまく世渡りしているつもりになっている人々だっていたはずです。
しかし、パイピシュ先生は、叩かれようが孤立しようが、(気にはされているでしょうが)自分がこれと信じた道をまっすぐ行くという潔さというのか、大胆さというのか自信というのか....。これはユダヤ系のしたたかさから来るものなのかどうか、私にはわかりませんが、相当な勇気。訳業を依頼されて、最も自分のためにもなり、一番勉強になるのが、この点だと思ったので、お受けした次第です。
さて、ではまた、たまっている25本以上、見直し作業にかかりますか。