ブログ版『ユーリの部屋』

2007年6月から11年半綴ったダイアリーのブログ化です

再び母校の同窓会へ

昨年の今頃も書いたのだが(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)、昨日、同じ場所で開催された同じ同窓会に出席してきた。ご案内がアメリカ滞在中にあって、出席返信がきちんと届いていたかどうか不安だったが、会場に着くと杞憂だった。さすがに、二度目は慣れたもの。それに、ニューヨークのペンシルヴェニア倶楽部にも婦人共和党倶楽部にも入れていただいた身にとっては(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140509)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140510)、大正時代に作られ、GHQにも一時期利用され、昨年11月に100周年記念を迎えたという、イタリア風というのかスペイン風の「倶楽部」は、その風格に圧倒されることもなく、余裕しゃくしゃく。やはり、身分差や社会階層というよりも、慣れの問題だ。
日本にも、洋風の倶楽部が早々と建てられ、会員制社交を楽しんでいた優雅な時代が大正時代にあったことは、心して覚えておきたいもの。
今回の出席人数は、75名ほど。やはり圧倒的に男性優位で、女性は私を含めて4人ぐらい。農学、化学、機械などの理系が中心で、文学部の私など、微々たる存在だった。
ただ、お話は昨年よりも刺激あるもので、皆さん、しゃっきりと静かに熱心に耳を傾けていらした。私も、そんなに引け目に感じる必要性はどこにもなく、むしろ、堂々と胸を張って、「勇気ある人材」として「国内外で指導的役割を果たし得る人材」として、「人類の福祉と文化の発展ならびに産業に貢献」したく思う。「清新で自由闊達な学風」を誇りとしているのだから、遠慮する必要はないはずだ。亡父だって、旧制から新制に切り替わった時の法学部の出身だ。戦後の名古屋経済の発展に尽くした世代だ。父方の大叔父だって、東京帝国大学の医学部を出て、信州大学の学長を務めた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20080214)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20100726)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120120)。大正リベラリズムの薫陶を受けて、矮小かつ姑息な世渡り上手だけを産出する「共通一次試験(偏差値教育)などぶっ飛ばせ」と啖呵を切った大叔父だ(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20091223)。幾ばくかでもその血を引いているはずなのだから、また、男女差別など何ら感じずに育ったのだから、私こそもっと堂々とすべきである。
どうも私は長年、外側から押しつけられたコンプレックスというのか、うっとうしくて撥ね飛ばしたいよそからの違和感みたいなものが、つきまとっている。
さて、大学は「今すさまじいプレッシャーの下」にあるそうだ。グローバル化イノベーションの中、我が母校はトップを走っているらしい。東大を抜いた側面があったり、就職率ナンバー1だったり、昔のノーベル賞受賞者が4人も我が校から出ているという点が改めて強調されたりしていた。ただ、平成28年からは、国立大学は軒並み厳しくなるそうだ。
今の傾向としては、情報量の爆発と質の変化が挙げられ、フラット化、瞬時化、玉石混淆化から、情報を知識体系化する大学に機能不全が見られるとのこと。また、知性の結晶化のピークは70代だそうで、「まだのびしろしっかりあります」との励ましをいただいた。さらに、「小保方みたいなのは育てません」と断言(当たり前)。
「学問の前に皆平等」だから、「強靱な精神力を生む文化」を、とのことだった。
ただし、相変わらずオウム返しのように「若手、女性、外国人リーダーの養成」をおっしゃっていて、その点はうんざりした。
私は言いたい。本当に「若手」ならば皆が柔軟な思考だと言えるのか?勝手気ままに、過去を踏まえずに、土足で失礼なことをしていないか?「女性」とは言っても、私の時代には、それほど配慮がなかった。いや、配慮のなさを怒っているのではない。むしろ、男性陣の中に入っていくのだから、その意味を先輩女性の歩みから学び、自分なりに深く考えて、男性の社会論理を踏まえた上で、自分には女性として何ができるのか、どのように貢献したらよいのか(そこには当然、あえて「貢献」を試みないという、余白の美ならぬ無言の側面も含める)、男性の邪魔や迷惑にならない振る舞い方を模索する場だった。女性は人類創生の時から存在するのに、なぜ今頃になって殊更に「女性、女性」と言い出すようになったのか?それは男性差別ではないか?小保方事件の土壌は(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140326)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140331)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140401)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140402)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140403)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140404)、こういう甘さから来ていないか?「外国人リーダー」と言っても、彼らは恩義を感じずに、ただ通過点として利用するだけでは?卒業したら悪口を言っている外国人留学生も皆無ではない。
そんなことを売り物にするぐらいならば、いっそのこと、日本人の卒業生のケアにもっと力を注いでいただきたい。
それに、アジア、特に東南アジアに拠点のような分校を盛んにつくっているが、それならば、なぜ私が今までこんなに一人で苦労しなければならなかったのかの理由が見出し難い。指導できる教官も存在せず、まともな一次資料も揃っていなくて、最初の頃は「卒業生は図書館利用禁止」みたいな、恐ろしい閉鎖性がまかり通っていたのだ。それが今では、大学が下手に出て「サービス」する幼稚園みたいになっている。損をしたのは、私の世代だ。また、マレーシアにも支部設立を考えているそうだが、「そう簡単ではない」。私に言わせれば、「マレーシアなんて止めとき、止めとき」。
さて、昨年、関西で使うなんて恥ずかしいと書いた母校のクレジット・カード。これは、説明に拠れば「優良カード」で、踏み倒す人もなく、卒業生の収入が高いために、平均の二倍はお金を使ってもらえるらしい。それによって、ステータスも高く、海外でレストランに入れば、年会費の元が取れるらしい。
と、勢いだけは前向きなのだが、やはり「幼稚園」みたいな大学になり下がったなぁ、とがっかりしたのが、「ホームカミングデイ」なる報告のパンフレット("NUAL" Newsletter, No.21, 平成26(2014)年3月 p.2)。本当に驚いたのだが、諏訪内晶子さんをお招きして、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲の第二番を演奏したが、もっと「有名でメロディーのきれいな曲をと要請し」たとか、「初めてこの曲を聴く人が大半で、聴衆の反応は微妙で、拍手で1回だけ舞台に呼び戻しただけ」との報告。
呆れかえってしまった。え?ショスタコーヴィチのヴァイコン第二番(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20071005)を知らないだって?どういう狭い精神文化生活を?でも、大学側の所望にも動じず、諏訪内さんは「強い希望」を通したとか。随分、変な希望を大学は出したものですね。こういう点が、昨今、非常に嘆かわしく、イライラさせられる日本の大学である。でも、諏訪内さんは、さすがに強い。筋を通した。お目にかかった時の印象が甦ってきた(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20120422)。
お口直しに。充実していておもしろくて元気が出てきたのが、第二部の南海トラフ巨大地震についてのお話。これは、東京や大阪の耐震事情のお粗末さ、「おバカ」さ加減の痛烈な皮肉と同時に、名古屋の賢さ自慢のようなものだった。確かに、備えあれば憂いなし。名古屋人は結婚率も高く、「孫が欲しい人は名古屋に早く帰って来てください」とのお招きだった。そして、「研究力が落ちている」「競争している場合じゃない」「過去を学んだら先を読む」「戦前までは皆やっていた」「名古屋は三男坊なので、国からお金をもらえない。だから我々一人一人が頑張って、学内でかき集めた」など、勢いのある助言までいただいた。まとめとしては、多様性と連携と最近はやりの「レジリエンス」(精神回復力)がキーワードのようだった。

全体として、昨年も感じたことだが、昨今の日本の諸大学が前代未聞の混乱と大変動に直面して、生き残りを懸けて必死なのはわかるものの、やはり根本的な問題性を痛感させられた。
(1)パワーポイントを活用して、キーワードを挙げて、一見論理的にビジネスライクに、大胆な構想を掲げて話を進めているように見えるが、自分の実体験から具体的に照らし合わせて考えると、どうも戦略的に一貫性がないというのか、無駄の多い力走というのか、今更何をという落胆を感じさせるなど、いろいろと錯綜している。
(2)人口減少問題が、女性の社会‘活用’(まるで道具扱いだ)と出産育児手当ての両立という、相反するベクトルを引っ張り合うかのような無理無茶が共存するところにある、ということに、なぜ気づかないか?もともと、優秀な女性で公私ともに生産力抜群な人は、いつの時代にも存在したが、そういう人の割合は、実は限られている。他国からおせっかいにも「日本は女性の社会的地位がまだ低い」と、表面上の数値だけを見て提言してくる傾向については、「我が国では、夫が妻の女性らしさや母性を大切に保護しておりますので」「日本では、女性の生き方が自由多様ですから」「これ以上、離婚率を上げたくありませんから」と、すました顔で返事をしておけばいい。『孫子』(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130605)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130606)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130608)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130625)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20131121)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140226)を読み直して、もう一度、戦略を練り直すのだ。
(3)横並びに焦るのは賢明とは言えない。ここは裏をかいて、人の流れの逆を行くのだ。繰り返しになるが、入試を徹底して狭き門にして、少数精鋭で厳しく高度に訓練し、育てること(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20130519)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140315)(http://d.hatena.ne.jp/itunalily/20140402)。そして、日本人卒業生へのきめ細やかで手厚いケアだ。人がうらやましがるほど。そうすれば、よい人材が集まって、名声も高まり、後世への評価も固まってくる可能性が見えてくる。