Alternative Issue

個人的な思考実験の、更に下書き的な場所です。 自分自身で消化し切れていないことも書いています。 組織や職業上の立場を反映したものでは一切ありません。

言論の自由2

 正直つまらない場外プロレスには興味がなかったのでスルーしようかと思っていたが、再度言論の自由を考える上で面白いテーマであるように思えたので書いてみよう。もちろん、その話題と言えば百田氏と沖縄2紙のやりとりである。
 少し前に「言論の自由」というタイトルのエントリを書いた(http://d.hatena.ne.jp/job_joy/20150124/1422026827)。これはフランスの出版社銃撃に対するデモに関する内容である。しかし、今回は言論の自由が阻害されると主張しているのは沖縄タイムス琉球新報のの2社である。

報道圧力発言:表現の自由危うい…沖縄2紙編集局長が批判(http://mainichi.jp/select/news/20150703k0000m040096000c.htmlhttp://mainichi.jp/feature/news/20150702mog00m040022000c.html

 私が勝手にそのエッセンスを抜き出すとすれば、琉球新報の潮平芳和編集局長と沖縄タイムスの武富和彦編集局長の発言とされる「百田氏に表現の自由はあるが、米軍普天間飛行場についての発言は誤解が多い。発言を引き出した自民党の国会議員による『言論弾圧』は看過できない」という言葉に全てが凝縮されていると思う。
 要するに、百田氏の発言は許容する(現実にはそう見えないが発言上は認めている)が自民党議員の発言は言論弾圧に該当するという意見のようである。
 ちなみに蛇足ではあるが、民主党政権でもかなり露骨な言論弾圧があったと記憶している(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31976)が、その時には特に言論弾圧だと反論するような会見が開かれたという記憶がないことには黙っておこう。

 さて、実はメディアを賑わせている焦点は自民党の大西議員の発言(http://www.yomiuri.co.jp/politics/20150701-OYT1T50043.html)やその後の行動であろう。大西議員の行動に賛意を示すつもりも、今後彼が受けるであろう除名相当の処分に対して憐憫の情が湧いてくることもないが、感情は別として国会議員に課せられた言論の自由は何処まで認められるべきかということには多少興味がある。
 例えば大放言を続けるぽっぽ(鳩山元首相)の場合には、とんでもないことを言ったとしても今となっては誰もマスコミはクレームを付けていないように見えるがどうなのだろうか?もちろん現在は国会議員ではないので影響力がないと言えなくもないが、それでも味噌でも糞でも元総理である。一回の国会議員とどちらが影響力があると言えるかは大きな差があるのではないだろうか。
 民主党時代の松本龍復興担当大臣の「マスコミ終わり宣言」(http://www.sankei.com/politics/news/150630/plt1506300004-n1.html)の時には地方紙がすっぱ抜いたが、それがなければマスコミが反発することも無かったであろうと言われている。

 別に、どっちもどっちと言いたい訳ではない。マスコミのダブルスタンダードなんて嫌と言うほど見てきたし、発言の切り貼りも仕事においてさえ経験したこともある(これは毎日新聞)。そもそも若造の新聞記者(ちなみにその時は朝日新聞)が横柄な態度で企業幹部に接してきたのも知っている。そうした現場を見たならばマスコミが報道することなど全てを信じられるはずもない(読売と産経も信じられるとは思わない)。
 ただ、だからと言って政治家が思ったことを好きに言って良いとは限らない。だから、私は大西議員を擁護する気は全くない。自業自得である。政治家は自分の考えをきちんと伝えることも大きな仕事の一つであり、誤解を招くことが十分以上に予測されているのにも関わらず対処できないのは話にならないだろう。厳し言い方をすれば、自分自身の置かれた状況を把握する能力を含めて政治家としての資質は無いに等しい。

 さて、国会議員に対しては免責特権(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%8D%E8%B2%AC%E7%89%B9%E6%A8%A9)が認められている。これは、憲法に定められた議院で行った演説・討論・表決について、院外で責任を問われないという特権のことである。逆に言えば、議院内ですら全ての発言の自由が憲法で保障されているのだから、それ以外の場所においても同様だと考えるのはおかしいのだろうか。
 これが政府の一員となれば、マスコミの許認可を左右する権力を有しているため、その乱用として大きく咎められることはまず間違いない。同じ国会議員だとしても、立法機関側に属するのか政府側に属するのかによって立場は大きく異なる(繰り返すが、だからと言って擁護されるべきとは全く思わない)。この意味において、民主党時代の松本龍復興担当大臣の言動は、今回の問題以上に深刻であったと言えるだろう。
 さて、自民党は大西議員に対して何らかの処分を下すと予想されているようであるが、党籍剥奪や除名という話はあるかも知れないが、野党が要求しても建前上議員の身分を奪われることはない。国会議員の適性は基本的に選挙で信任を受けるのみである。

 言論の自由は当然マスコミに認められるものであるが、それと同等に日本国民にも認められている。むしろ、マスコミはその公益的性質により一般国民よりも厳しい制限(倫理観)が課せられるべきでもある。それを満たしているのかどうかについては、実のところ十分な検証が行われているとは言いがたい(BPOにかかるのは相当悪質で明確な場合のみ)。既に何度も著名なキャスター達が頭を下げてきたが、状況が改善したと言う印象は全くと言って良いほど感じられないでいる。
 むしろ、多くの人が指摘しているようにクロスオーナーシップ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97_%28%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%29)により利権確保の黒い噂が消え去らず、それに関する報道は一切為されないという身内擁護の状況は警察などと双璧ではないだろうか。

 言論の自由は国民にとっての重要な権利の一つである。ただし、それは一方向的ではなく双方向のものである。発信に慣れすぎたメディア関係者はそれを忘れがちになるようだ。少なくとも、メディアが訴える身内に対する擁護論や被害者面だけは、しっかりと中身を見てから判断することにしたい。