「若冲 暁斎 古邨 一村 一明」

 昨日の毎日新聞「今週の本棚」、西上心太・選「夏樹静子 この3冊」で『天使が消えてゆく』が、 河合正朝「昨日読んだ文庫」で西村亨『王朝人の四季』が採り上げられていた。前者は講談社文庫で、 後者は講談社学術文庫でもっているのを確認。そのついでに夏目漱石草枕新潮文庫1988年86刷を 本棚から抜く。31頁を開く。

《 横を向く。床にかかっている若冲の鶴の図が目につく。これは商売柄だけに、部屋に這入った時、 既に逸品と認めた。若冲の絵は大抵精緻な彩色ものが多いが、この鶴は世間に気兼ねなしの一筆がきで、 一本足ですらりと立った上に、卵形(なり)の胴がふわっと乗っかかっている様子は、甚だ吾意を得て、 飄逸の趣は、長い嘴(はし)のさきまで籠っている。 》

 1906(明治39)年の発表。当時、伊藤若冲は当たり前に知られた画家だったと思われる。いつ頃から 忘れられたのだろう。河鍋暁斎は戦前は教科書に載るほど知られていたのに、戦後急速に忘れられた、 という関係者の記事を読んだ記憶がある。小原古邨(祥邨)は、昭和十年の美術雑誌の新年座談会では 海外ですごく人気ということが語られていた。彼も戦後に書かれた美術史から消えていた。こう見ると、 戦争をはさんで歴史がプッツリと変質してしまったような印象を受ける。どんな力が働いたのか。 価値観の変遷は興味深いというか、気になる。そして戦後、昭和後期、田中一村はNHKのテレビ放送で 一気に知られた。残るは北一明。彼の人柄故か、陶芸業界を敵に回したため、美術評論家は高く評価したが 業界は黙殺。生前は海外での名声のみ。K美術館を訪問した中国美術協会の十八人の、北一明作品への 興奮ぶりは忘れられない。中国での名声は本当だった。このままでは北一明の作品も伊藤若冲河鍋暁斎 のように将来、海外へ流出するかもしれない。今ヤフオクには数十点が出品されている。何年か前にどっと 出品した業者だ。ポツポツ入札がある。紹介欄の《 美術評価額  不明。 》が笑える。たしかにそうだ。
 http://web.thn.jp/kbi/tyou.htm

 数年前、K美術館に某テレビ局のお宝鑑定番組の制作会社から連絡があった。清水町での収録に何か出品を、 という。小原古邨を挙げたが、数日して電話がきた。某鑑定士が、今は値段が安いが、これから騰がるから 出品しないでくれ、と言われた、と。たしかに最近見ない。古邨を好きな知人女性も見ないと言っていた。
 http://web.thn.jp/kbi/koson.htm

 予約した城昌幸『ハダカ島探険  城昌幸少年少女作品集』盛林堂ミステリアス文庫2000円が届く。

 ネットの見聞。

《 東京都平和祈念館構想の活動母体となったのは1970年から活動を始めた「記録する会」。実現目前の突然の凍結に やむにやまれぬ思いで4000人超から民間募金を集め、戦禍のもっとも酷かった地で2003年に開いたのが 東京大空襲戦災資料センター。 》 椹木 野衣
   https://twitter.com/noieu/status/729433879883309056

《 中島 智『キセイノセイキ』「戦争の記録と報道のあり方について」司会:長谷川祐子
   Togetterまとめ http://togetter.com/li/972875
  「(時間がないので)この後にこの場で自由に話されてもかまいませんので、本ディスカッションは終わりとしたいと 思います。」長谷川祐子 》
 https://twitter.com/nakashima001/status/729379864894046208

《 君たち、安倍首相、自民党議員、よく聞きなさい!現代の偉人=中村医師の言葉を!! 》
 http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/9a0d1eca3a70233abc1b18dd2fa581fb

《 お前の娘を預かった
  すぐ返してほしければ1を
  身代金の金額を確認するには2を
  警察に連絡したらどうなるか知りたい場合は3を
  取引場所、時間の確認は4を
  娘の声を聞きたい場合は5を
  犯行動機を知りたい場合は6を
  もう一度確認したい時は9を押した後に♯を押せ 》 杉浦修
 https://twitter.com/sugiura_syu/status/728893880439988224

 ネットの見聞。

《 2016年、上級国民VS一般国民の内戦が始まる。
  後の「上級の乱」である。 》