k-takahashi's blog

個人雑記用

金谷ホテル

今回宿泊したのは、日光の金谷ホテル
ホテル側によれば、明治6年1873年)に創業者の金谷善一郎が自宅に「金谷・カッテージイン」を開いたのが最初で、20年後の1893年に現在地にホテルを建てたとのこと。
建物のあちこちに古い部分が残っており、いわゆる高級ホテルとも、老舗の旅館とも違うレトロモダンな雰囲気を出している。現存する日本最古のリゾートクラシックホテルとして有形文化財としても登録されている。


言ってみれば、このホテル自体が観光施設みたいなもの。


平日ということで比較的安めのプランがあったので、選んでみた。

一番安い部屋なんですが。(写っている範囲が、部屋の三分の一くらい)



宿泊する外国人のために用意されていた洋書の一部がインテリアとして飾ってあった。



川縁までがホテルの敷地内。川縁から神橋を見上げる角度になる。


 
プールとアイススケートリンク。どちらもホテルの設備。スケートリンクは天然なので真冬のみ。


ホテル自体のページを見ると色々とクラシカルな雰囲気の写真があるけれど、本当にあんな感じ。
最新高級ホテルみたいな感じにはいかない部分もあるけれど、それも一つのネタと割り切るとこれほど興味深いホテルは多くない。


陽明門の修理が終わったらもう一度日光に来たいと思っているけれど、チャンスがあればその時も金谷を選択肢に入れたいと思う。

二荒山神社

昨日の続きで、まずは二荒山神社
中善寺湖畔に中宮男体山山頂に奥宮があるが、実はここの本社から日光三山全部が境内という扱いで、その広さ3400ヘクタール。伊勢神宮の次に広いそうだ。


入り口付近。この写真の右側に夫婦杉があります。



縁結びということで、絵馬(?)もこんな感じ。



化け灯籠として知られる唐銅灯籠。鎌倉時代のもの。

灯籠を灯すと、周りのものが2重に見えたり、灯籠そのものが様々な姿に変化したともいわれる。警固の武士たちはこれを怪しみ、毎晩のように刀で斬りつけた末、灯籠は通常通り機能するようになったという。このために現在でも、この灯籠の受け皿には無数の刀傷が残されている

化灯籠 - Wikipedia



霊泉。軽く飲んできました。(酒は要らないけどな)

田母沢御用邸記念公園

明治期に作られた御用邸のうち、ほぼ全体が残っているものとしては唯一のもの。
大正天皇の静養のために作られたものだが、全てを新規に作ったものではなく、紀州徳川家江戸中屋敷の一部を持ち込んだ部分もあるし、明治期に作った部分、大正期に作った部分、などが混在している。また、天皇が公務に用いた部屋もあれば、私邸として使った部屋、皇后陛下が使った部屋、などもそれぞれ趣が異なっている面白い建物。



避暑用の建物と言うことで風通しとかもよく、正直寒いです。なので、こんなサービスも。


 
大正天皇の謁見所と剣璽の間(長期滞在となる場合、ここに剣と勾玉を置く)。


 
庭。綺麗です。



昭和19年今上天皇(当時皇太子)が疎開してきたのがこの御用邸防空壕の跡も残っている。

帰宅

帰りも東武線の快速で、と思って駅で時間調整していたのだが、「もう来ているのでは?」と妻が言い出したので見にいったら、発車の30分前だったのに本当にもうホームに電車が待っていた。


単線で特急優先運行をしているから、他の便はかなり窮屈な運用をされているんだな。


意外なことに、発車する頃には満席で立って乗る人もいたくらい。平日だと思って油断して発車時刻ぎりぎりに来たらえらいことになるところだった。
めいっぱい遊ぶつもりなら、素直にお金を払って特急券(予約)を買う方が無難ですね。

東照宮宝物館

刀剣や絵巻物、神輿が展示してある博物館。残念ながら撮影禁止。部屋は3つ。
20分の1の東照宮の模型(海外展示のために作られた)もなかなかの迫力。
一番、「おお」と思ったのが

当宮宝物館では、『天地明察』の主人公、安井算哲(渋川春海)が製作させた渾天儀(天動説に基づく天体模型)を展示公開しています。算哲はいくつかの渾天儀を作っていますが、富山市科学博物館の渾天儀所在調査によれば、現存するのは当宮の資料一点のみです。

http://toshogu.jp/blog/2012/10/post_1.html

写真撮りたかった。