賀川先生「卓上語録」(3) 田中芳三編


 予言
「先生は先年、講演で“四国は将来二つに割れる”とおっしゃいましたが・・・」
「君もよく知っているだろう! 大歩危小歩危のあの奇岩を! あれは吉野川を中にして東と西とに割れている姿だよ。今から何万年か後に東と西とに真っ二つに割れるね。」
「戦前、私は満洲に行った時、北満佳木其(チャムス)の或る日本人が『此の間賀川先生が見えて、満洲も今から千年もすれば日本の内地程の暖かさになる』と講演したと云っておりましたが・・・」
「君、地球はネ、23度傾いていて、(何やらむつかしい事をおっしゃったがみな忘れた)今から千年程したらそうなるんだ」(私の家で)

 朝鮮リンゴ
「先生、朝鮮リンゴはおいしいですね」
「朝鮮、殊に北鮮の鴨緑江地帯は世界でも一番地層の古い古生層地帯だ。そう云う処でとれる農作物は特別おいしいのヨ。朝鮮でも南鮮の大邱リンゴより北鮮の平壌リンゴや黄州リンゴの方がおいしい。米でも新義州の近くでとれたのが一番おいしい。大阪のすし屋でも昔おいしいお寿司の米は皆、北鮮から来ていた」(私の家で食事の時)

 オムツ教の教祖?
「先生は一生“オムツ教”を説いて廻られましたが、○○さんのように自分の宗教をこしらえておれば、信者が沢山でき、お金もタント出来たでしょうね」
「僕は今迄、今の金にして何億円、何十億年という金を貰った。“死線を越えて”なんか、あんな下手くそな小説が気狂いのように売れて、当時の金で毎月何万円と印税が入ってきた。でもお金を持っているとタカラレルので全部ひと様にあげてしまった」(私の家で朝の家庭礼拝の時)

 松屋町筋
「君、此の問屋街も日曜日休むようになったね。愉快なことだ!」(編者註=此の頃は未だ商店街は何処も週休制ではなかった)
「此の間、此の町で大変なことがあったのです。それは或る店員が、主人や奥さんの使用人を使う態度がいかんと云って、此の二人の他に、子供も残しておいては可哀想だと云って一家四人皆殺しをした事件があったのです。それが問題になって町全体が改善されました」
「昔、僕が新川に居たとき、植田与三五郎は実に面白いことを言った。トの字に一をひく所、上にひけば下となり、下にひけば上となる。日本では下女という嫌な言葉があるが、下女があるなら上女もあるのかね、上女とは奥さんだろうか?日本人はもっと下目下目について、弱い者を護ってやる気持ちがほしいネ」(私の家から天満教会の聖日礼拝に行くタクシーの中で)

 奉仕と伝道
「最近の教会は、其の地域社会に奉仕することを忘れてしまって、只伝道、伝道とのみ掛け声をかけているが、これでは教会は発展しないよ。ルカ伝7章に何とある。"盲人は見え、足なえは歩き、らい病はきよまり、耳しいは聞こえ、死人は生き返り、貧しい人々は福音を聞かされる"。此の所に六つの教えがある。そして前五つまでが愛の奉仕なんだ。後の一つも伝道も前の五つの奉仕があって初めて生きてくるんだよ」(天満教会から私の家へ帰るタクシー中で)

 イザヤ書
「先生はイザヤ書が好きだ、殊に下に○とから五のつく章が大好きだと昔よくおっしゃいましたが」
「たまらなく好きだよ、僕の小説や文章はみなイザヤ書から学んだ。いくら文章の下手菜者な者でもイザヤ書を読むとよい小説がかけるようになるね」(私の家で食事の時)

 イザヤ書11章の実現は
 昭和17年と云えば、日独伊が連戦連勝の時であった。其の時、先生は、軍部に追われ、西宮一麦寮に身を隠して静養していられた。
「先生、人間は何故殺し合いをせねばならないでしょうか。ヤコブ書には"汝らの体の中に宿る欲より来る"とありますが、何時になれば戦争が終わるのでしょうか」
「此の戦争は日本の負けだよ。僕は去年アメリカに行って電波探知機の発展を見て来た。日本では空襲警報のサイレンに電灯を消し、白壁に墨を塗っているが駄目だね。アメリカではレーダーが発達しているから何にもならん。僕は昨年アメリカから帰った時、此のことを日本の指導者に説いて廻ったが、誰も相手にしてくれない。○○○○○様は『日本には無敵海軍がある。賀川は生意気だ』と豪語していた。『然し、君ネ僕は言っておくよ』と云って3本の指を出し『イタリヤのムッソリーニのオッサンは来年の8月頃失脚するね」と云って、1本の指を折り『残ったドイツとニホンと、2本の指だ。ヒットラーのオッチョコチョイはそれから2年位先に駄目になるね。するとニホンが1ポン、全く駄目だねー、日本は敗戦すれば共産党が出てくる。僕は今から其のことを考えて準備しているんだよ」
「では先生、イザヤ書11章のような平和は何時来るのでしょうか」
「人間の骨はにかわでできているからね」
「それはどういう意味ですか」
「鉄は固いが、にかわは柔らかいよ」
 ムッソリーニヒットラーも日本も、亡びる年月まで先生の預言の通りになった。(1942年の暮、一麦寮二階の一室にて)

 獄中で
「ピリピリ書を読んでいると実際嬉しくなるよ。パウロが獄中で明日もしれない命だと言うのによくもあれだけ"獄中"で言えたもんだね。エペソ書も好きだヨ、"キリストを心の中に住まわせよ"と書いている。前向いて拝むのでなく"自分の心の中のキリスト"を拝むようでないと駄目だね。牧師さんの中には"神様々々"とやたら云う人があるけれど、キリストは只の一度も"神様"と言って祈りはしなかった。"天の父よ"と親しみをもって呼び掛けていられる。牧は獄中で一番読んだのはピリピ書をエペソ書だ」(私の家で)

(『神わが牧者 賀川豊彦の生涯と其の事業』田中芳三編から転載)