今回の判決で評価していることは何か

 今回の東京地裁の判決について私が評価をしているのは、東京都教育委員会の通達や一連の行為が教育基本法第十条に違反するという認定を行ったことだ。
 教育基本法第十条については、いわゆる学テ裁判の最高裁判決以来、教育行政の側に大きな裁量権を認め、教員などの裁量権は大きく制限されるような解釈がなされてきた。また、教育行政は法律に基づくということで、ほとんどの行為が教育基本法第十条違反には問われないという解釈もなされてきた。それは、教育基本法第十条の存在意義自体を否定するようなものだ。
 今回の判決は、そういう流れをせき止め、流れを元に戻すような判断を示した。それは、教育基本法第十条の存在意義を改めて示し、教育行政の裁量権にも限界があることを改めて示した。そこを評価している。
 一般的には、今回の判決について憲法の保障する思想・良心の自由に反するという点のみが大きく取りあげられ、議論されている。たしかに、今回の裁判は思想・良心の自由の問題を中心として争われてきたのだし、判決もそこを中心にしている。
 だが、そこを中心として争っても、教育基本法第十条が教育行政に歯止めをかけるような本来の解釈を導かなければ、通達や処分は止められないし、今回の問題もこれまでと同様に、思想・良心の自由といった途端に個人の問題へと矮小化されることになる。
 今回の裁判は、教育基本法第十条に違反するかどうかを中心に争われるべきだったと私は考えている。それは、教員にとって重要な意味を持つものであり、それは子どもにとっても重要な意味を持つものだと考えるからだ。教育基本法第十条は、日教組が悪用した。だから削除すべきという短絡的な主張を退けるためにも必要なことだ。また、教育基本法第十条について争うことで、教育を個人の問題へとすり替えるという危険性を排除することになる。
 私は、今回の判決は教育基本法第十条という視点から見ることが必要だと考えている。その場合、日の丸・君が代に対する価値観や歴史観に大きく縛られる必要はないと考えている。それは、日の丸・君が代の問題だから教育基本法第十条違反になるというものではないからだ。
 色々と書いてきたが、今回のエントリーでは何を言いたいのか自分で読んでいても分からない。だから、今回は独り言のようなもの。今回の判決については、教育基本法第十条を視点の中心に据えて、それ以外のものとの関係も見ながら、もう少しきちんと整理して、まともな論が展開できるようにして自分の考え方を書いていきたい。(おそらく、そういう能力は無いので中途半端に終わる可能性が高いけど)教育基本法第十条にばかりこだわっていて、もう飽きたよと言われそうですが、色々と批判やアドバイスをいただけたら嬉しいです。