永久革命あるいは様式史?
以下の文は内野さんのマッピングに触発され、6/30日にメモされていったものだが、あんまりまとまらないので、upしなかった。でもこのままだと、捨てるだけだし、そもこのブログはメモなんだから、やはり載せて、それからまた考えていこうということで。
公認を巡る争い
それにしても、ことは舞台に限る問題ではない。内野さんが注で引用されているリチャード・シェクナーのことばに、「ポストモダニズムが、かつてのモダニズム同様、完全に制度になったということです。モダニズムは破壊や新しさというものを基軸に成立しました。ポストモダニズムは再利用と再編成によって成立します」というのがある。
また、いま読んでいる本にあったパブロ・ピカソの言葉に、「芸術がひとたび公認され、誰にでも理解できるものになってしまうと、その時、新しいアカデミズムが生まれる」というのがあった。
このふたつの言葉=認識に表される事態について、である。
どこから攻めればよいか?
とりあえず、このあたりの領域内政治?みたいな話についていつも思うのは、正論であるがゆえに少々退屈にも感じられるブルデューのchamps場・界の理論である。(といってもブルデューのスタンスは「記述」にあるので、読み物としての「思想」ではないわけだから、「退屈」などといったってなんにもならない)
ある領域における承認を巡る争い。
公認=公式文化と、非公認=非公式文化の争い。
で。
ステレオタイプ、公式フレーム
いま読んでるピカソ本の対象は、1907年に描かれた「アヴァンギャルド」の記念碑といわれている「アヴィニヨンの娘たち」という裸婦群像画なのだが、その分析がじつに面白い。
ピカソって、それこそ、日本だと、とりわけ「公認」なもんで、これまで展覧会いっても、なんかもう分かったよ、みたいな気がして、それはやっぱり混雑のせいだったりするわけだが、でもことはブラック展でも同じで、つまりブラック展の方は別に混雑していなかったのだが、なんだろう、やっていることが、わかり安すぎて、あーあーと嘆息したことを思い出す。でもそれは、いま考えれば、こちらの認識フレームにおけるステレオタイプ=偏見=先入観の問題だったわけだ。
あーこのへん入り組んでいるので、ちょっといまは中断しよう。
(ステレオタイプ→公式のフレーム。つまり「教科書」というやつだ。評価軸…)
ステレオタイプについては、クロソフスキーが論じていた。あとはフローベールの紋切り型辞典。
で。
テクスチャー(織り物)、引用の政治学?
私がとりあえず面白いと思える水準の話は、カテゴリーの政治学でも、承認を巡る争いの話でもなくて、ピカソが、マティス「マグリットの肖像」の鼻の描写への、引用=言及していたことなどである。それは著者ヘルディングによれば、「からかい」であったという。(しかしここは分らないのだが、ピカソがやったことは、「からかい」ではなくて、「盗み」であったのではないか?それゆえマティスは怒ったのではないか?いずれにせよ、分らない。)
こうした「内実」というか、作家がその筆先をすすめるその時に、なにを行うかということ。そして、それが距離を置けば、ああこういうコンテクストがあったのかと納得=再認識するわけだが、その筆先における、幼児的と、いまはとりあえずいいたいような、ある盲目的な行為。
ひとことでいえば、トライアルアンドエラー。
つまり私は創造の現場について、その現場における実践について、言っているわけだが、これはようは、私もひよっこの作り手として、なにをどうすりゃいいんだという、学生的な興味関心を持っているということを、再認識してるにすぎない。いわゆる「表現」論。
(いやそれだけでなく、例えばピカソがなにをやったのかについていまだ認識できてないということもある。)
で。これも飛ばす。
モダニズム/ポストモダニズム、の様式概念
ピカソにおいても、エル・グレコやアングル、ゴーギャンなどの引用=再利用=再編成はあるわけだ。もちろんクールベだって。パロディ自体、引用先がないと、成立しない。
それで、冒頭のふたつのことばについて私が反応しようとしていることといえば、つまりはモダニズム/ポストモダニズムというけれど…ということ。
私がいつまでも思ってしまうのは、モダニズムとポストモダニズムとの区分への疑いだ。
いや、むろん時代の美学としては、というか、モードとしては、ポストモダニズムがあったろう。でもそれは…モダニズムのヴァリエーションについて、そのようにだれかがカテゴリ−というか名前を与えただけのこと…(しかしそれをいうなら「モダニズム」だって同じこと…)
…決定的な様式概念というのはあるのだろうか?たとえば「古典主義」というのがある。しかしそれは「ルネサンス」における古典復興だって古典主義ともいえるし、また、ジョイスはその技法の発明によってモダニズムの代表格とされるが、古英語なり神話の参照もしているところからすると、古典主義といえる…
たしかにどこに重点を置くか、なにを基礎概念とし何を指標とするかで、様式は定義されていくものなのだろうけれど。
このへんはまたにするか。
なにがいいたいって、新しいものって、組み合わせの問題な気がするし、…
なにを引用するか
なにを参照するか
どこに帰属するか
コンテクストをどこに取るか。
どこの文脈=コンテクストで、「テクスト」=作品を織り成すか。
コンテクスト:モダニズム
モダニズムの指標がどこにあるか?これはまあ、学術的なテーマですからねえ。でもアマチュアなりに、あるいは現場においてもこのへんモロ重要になるんで、つまり自分がなにをやってるかの確認=認識なんだが。
だいたい、モダニズムってなに?
ジョイスとかパウンドとかだよね。とりあえず。説明省いて、例証するとすれば。
じゃ、その連中、つまりいわゆる「モダニスト」がどこから来たか。
直接的にはボードレールなりクールベなりフローベール。19世紀フランスにおけるモデルニテの「発明」。
で、かのひとたちがなにをやったか。よくいわれることは「アカデミズム」への反逆。
つまり、反逆、反逆!
公認されたものを、つまらないと思うものが、それを茶化し、むにゃむにゃ考え、なにかを「発明」する。
そうして、その発明が、ある場合には、パラダイムの裂け目となり、それまでとは異なる領域を作って行く。
そしてまたその「新しい領域」はまたそのようなものとして、認知され、公認され、…新たな保守=メインストリームとなる。
で、私がある領域内のこうした力学=政治学が、あまりおもしろくないといったのは、それがそんなものだからだ。つまり、それはその領域(帰属先領域)を前提としている。(ちょっと指示代名詞が多すぎるか。でも説明、めんどくさい。あ、ここ重要。説明のめんどくささ。)
(ここ、トマス・クーン問題といえるかも。パラダイム変換論。)
たしかにこうなると、文脈の問題だ。→コンテクストをどこに取るか。
じゃ、なに?ってことだが、それはなにをやってるのかということ。行為。
で、そのなにをやってるかってことは、なにと闘ってるかということに、なる。
(行為→政治)
で、その闘いがなんであるかということ。ここで、また「承認をめぐる争い」に戻るかどうかは、これはやはり違う。
こう言い換えることができるかもしれない。
どこで闘うか。
なにと闘うか。
文脈との闘い。
(行為のコンテクスト)
時代のメインストリーム。「時代精神」への態度。
コンテクスト:ジャパン/アメリカ
また別の大きな問題がある。これについては、あえて触れないで、これまで来た。「あえて」といっても、むろん意図的という意味ではそうだが、かといって、それについてなにか特別な考えがあるわけでもない。
それは、現在の日本というコンテクスト。あるいは、<J>というのだろうか。
うーん。ジャパン。
日本がアメリカの属国であることは疑いえない。
あ、でもここ、まえどれかのエントリーで書いてたな。
ヨーロッパの鬼子あるいは私生児あるいは反逆児アメリカ。
それは18世紀に誕生しました。http://d.hatena.ne.jp/kairiw/20050518
1781年、イギリス軍が、アメリカに降伏したとき。
しかし、19世紀アメリカがどんな軌跡を描いたかについて、よく分かっていない。ポー、ホーソーン、メルヴィル、ディキンソンは好きなので、なおさら知りたい。
ものの本あるいは現在の印象でいうと、19世紀アメリカは、「ヨーロッパの田舎」というもの。そしてこれはおそらくそうだったのだろう。
19世紀ヨーロッパ、とりわけフランスにおいて、大量消費時代がすでに到来している。
パサージュ。アーケード。デパート。…それに比較して…
あるいはアメリカはそれからどのように社会を構成していったのか。
20世紀のパックス・アメリカーナを実現させた条件とは?
で、日本に戻ると、江戸時代より出島という「穴」から入ってくる西洋の知識(ってなんだかもう…w)から、日本は鎖国体制(これは日本独自の絶対主義ともいえる?)よりの脱皮を準備する。ペリーはまあたまたまだw
…それから、二葉亭四迷らによる近代日本語の創造。決定的だったのは、やはり夏目漱石と高村光太郎だろう。
でこれも飛ばして。以降、西洋の古典と同時代の文献紹介が怒濤のように輸入される。
で、第二次世界大戦後、さらに輪を掛けて怒濤輸入の反復。
経済システムの安定化と高度成長とともに、さらに怒濤輸入は続く。
1970年代は、まさにこの頂点だったろう。
1980年代。さらに続く。ヴァリエーション。
で、やっとバブル崩壊で、一気に成長収束。それと同時に安定化。これが1990年代。
そうだ。90年代は古書業界で働いていたもので、一時はもう、出版界軒並み消失という終末論的なことがまじめに語られたものだった。そうだ。その終末論で私も黙示録的になっていって、破裂したのだった。
で、なにがいいたいかというとこの日本のモダニズム=近代化=怒濤の輸入が終わると同時に、今日いう<J>という場所が形成され、現在にいたっているということ。
「サブカルチャー」、芸術の一般史より
で、その<J>の内実とやらが、これまたメンドクサイ問題であるが、「サブカルチャー」だったりするようだ。
マンガ、アニメ、ゲーム、とりあえずこの三位一体。
でもちろん、私もそれらは好きだったし、いまでも好き(といってもその絶対量は平均値以下だろうけど。といっても、以外と、こうした「サブカル」にまったくそまってない・はまっていないひとも、けっこういる。)なわけだが、ここもどうなんだ?
実定的に実在してきた「サブカルチャー」。
…幼年期あるいは幼児的な状態への回帰、固着。内へ。さらなる内へ。
幾層にも織り成された内在平面の探究?
プルースト主義?
「記憶」。
たんねんに、その襞を追い掛けて行く作業。
そして。つまり私がいいたいのは、これまたモダニズムのヴァリエーションだろうと。あるいはロマン主義。
ロマン主義とモダニズムとの関係も不明。
「サブカルチャー」があるのではなく、むしろそれらはすべてモダンのヴァリエーションであるということ。
たとえば、映画との比較対照。
ルメートルやバザン、ロメール、ゴダールらのみが指摘したわけではないが、映画が、それまでの芸術の歴史のなかに帰属するということ。
そして、映画が、「過去」の芸術の頂点であるのかもしれないが、しかし映画に芸術史を還元することはやはり認識としては間違っているということ。
「サブカルチャー」の問題はその相似形である。アニメはもとよりマンガも、明らかに、芸術の歴史に帰属している。絵画はむろん、映画も、つねに参照されている。
「ドラゴンボール」の魔人ブー編のタッチを当時見ていて思ったのは、これはもう絵コンテのようだ、ということ。まああれはテレビ放映版アニメともろ連動して、というかそういう戦略として、売られていたと思われる。
個別の領域とでもいえばよいか、下位領域としてのジャンルは、たしかに独自に集中し、独自にその歴史の軌跡を描いて行く。それはたしかにたいへん面白いものだ。
だが、私はそこに状況的ではないある普遍的な尺度をどうしても持ち込んでしまう。より精確にいうなら、歴史的な尺度、もっというと、人類学的な尺度とでもいえばよいか。
手塚治虫に、私はたとえばロッセリーニの共振を見る。というか、どう考えても、手塚先生は、ネオリアリズムの嫡子である。むろん、それより前にはディズニーだが。
…例を出すときりがない。
一般史と個別領域のことをいいたいのだろうか。
上演芸術に戻れば、それは時間(音楽→シーケンス、ドラマトゥルギー)、空間(平面芸術、立体芸術ともに含む)、言語(戯曲、文学-思想、身体言語-舞踊)を統合するようなものである。つまり綜合芸術ということ。
ここ、また映画と比較すると、複製芸術と上演性=ライブ性の問題もあり、あるいはそれは空間の次元が異なる。とりあえず映画は、平面である。時間と「言葉」(コンテンツ)は、まあ同じように要素としてある。
上記、また問いを差し換えれば、舞台芸術に固有の問題とはなにかということ。そこで「生」や「身体」とかの問題を避けて通ることはできないのだが、短絡はさけたいところ。
といいながら、問題を羅列するだけで、十分短絡なんだが。