第59 さらば百間遺跡

内田百間が下宿した家

谷根千』最新号(其の77)が乱歩特集だということを南陀楼綾繁さんの日記(id:kawasusu)で知り、さっそく買い求めた。作家活動に入る前の一時期乱歩は千駄木団子坂上に弟たちと古本屋「三人書房」を営み、また「D坂の殺人事件」の「D坂」はこの団子坂を指すものであることなどは、いまさら言うまでもないことだろう。乱歩が団子坂に住んでいた大正時代のこの界隈の雰囲気と家並を聞書をもとに再現した楽しい企画である。内澤旬子さんによる喫茶店「乱歩」(歩の右肩に半濁点あり)のイラストも特集に花を添え、表紙を飾っている。
ところで『谷根千』最新号をめくっていて、実は特集以上に私の目を惹いた記事がひとつあった。巻末の読者からの投稿コーナーに、「残念」というタイトルで次のような文章が載っていたのである。

初夏の日、S字坂を上りかけたら、私が谷根千で特に気に入っている風景のひとつ、内田百間も住んだというあの“限りなく白に近いブルー”の家に覆いがかかり、取り壊されようとしているではありませんか。根津の貴重なランドマークの一つだったのに、残念です。(世田谷区大賀ひろしさんの投稿)
これを目にして心が騒ぎ、居ても立ってもいられなくなってしまった。明治末年に帝大生百間内田栄造青年が間借りしていた下宿がいまなお根津S字坂上に残っていることについては、これまで私も何度か触れてきた(旧読前読後2002/12/18、2003/10/28条)。
これらをもとに私とこの家の関わりをふりかえってみると、百間が書いた文章と付き合わせてその家が百間の住んだ下宿の実物であることに気づいたのが一昨年12月、その後『谷根千』の仰木ひろみさんからこの家について書かれた先行文献の存在を教えていただき、「百間遺跡問題」がすっきり解決した(実物であったことが確かめられた)のが昨年10月のことだった。
仰木さんから教わった文献とは多児貞子「内田百間が下宿した彌生町一番地の洋館」(『谷根千』第37号、1993年10月)である。このなかで多児さんは、「百間ゆかりの家で現存するのは、この「向ヶ丘彌生町一番地」の下宿しかない」とする。その家が取り壊されようとしている!
梅雨時以来の体調不良に加え、夏に入ってのこの暑さで、ここ数ヶ月通勤退勤のとき駅一つ分を歩くといった余裕がなかったのが災いした。その間こんな事態に立ち至っていようとは。慌てて通勤時いつも降りる根津のひとつ手前千駄木で地下鉄を下車し、根津神社境内をくぐりぬけてS字坂下におもむいた。
急な坂を見上げると、想像していた最悪の事態、S字坂上右側の突端にそびえていた白ペンキ塗り下見板張り二階建ての家(写真参照)は消え失せ、ぽっかりと青空が見えているではないか。いや本当のことを言えば、このことはすでに根津神社境内を歩いていたときからわかっていた。躑躅が植えられている境内の斜面を見上げるとすでに家はなく、土嚢が積まれていたのである。S字坂下から見上げてあらためて「百間遺跡」がないことを確かめ、肩を落したのだった。
坂を登り切って「百間遺跡」の前に立ち止まる。入口にはパイロンが立てられ進入禁止となっていたものの、それを越えて更地になってしまった跡地に踏み入れた。どの時期のものなのか、白磁の盃が完全な形のままころがっている。ペンキのかけらでも落ちていれば拾ってこようと思っていたが、見つからなかった。
この家の裏手から神社の躑躅の斜面へと降りる石段が設えられていた。いまでは崖上の家から神社の斜面へ直接降りることはできないと思われるのだが、かつてはそれもできたのだ。そこから境内を見下ろす眺めは絶品である。躑躅が咲く初夏の頃はさらに綺麗なのだろう。内田栄造青年はここから神社の境内に降りて散歩でもしていたのだろうか。
家の基礎か、あるいは塀の土台なのか、煉瓦の列が土中に埋もれそのまま残されていた。これは明治の名残に違いあるまい。
すでに住む人もいなかったようだから、こうなるのも時間の問題だとは覚悟していたけれど、実際なくなってみるとこんな悲しいことはない。次から次から吹き出してくる汗をタオルで何度もぬぐいながら、「百間遺跡」の喪失感を味わったのである。根津神社の池にはおびただしい亀たちが泳いだり甲羅干しをしていた。亀の寿命は長いと言われるけれど、彼らは百間遺跡の移り変わりをどの程度知っているのだろうか。

岡田茉莉子カワイー

「バナナ」(1960年、松竹大船)
監督渋谷実/原作獅子文六津川雅彦岡田茉莉子尾上松緑杉村春子宮口精二小沢栄太郎伊藤雄之助小池朝雄仲谷昇神山繁

獅子文六作品の映画化だが、原作は未読。裕福な華僑一家が中心。名目的な地位に就くだけでほとんど仕事をしないで暮らしている呉天童に(二代目)尾上松緑シャンソン鑑賞に夢中になる妻に杉村春子。その一人息子が若々しい津川雅彦。料理を道楽とした金持ちの鷹揚たる雰囲気が尾上松緑のニンにピタリとはまる。何たる貫禄のよさ。津川が神戸で羽振りよく商売を行なっている叔父(小沢栄太郎)からバナナ輸入の権利を譲られ、ガールフレンドの岡田茉莉子と金儲けをたくらむ。その理由は外車が欲しいというもの。
そこに青果仲買人の岡田の父宮口精二が絡む。江戸っ子頑固親爺の宮口精二がまた切れ味鋭く素晴らしい。宮口の出演シーンは場内から笑いが。杉村をパトロンにしようと誘うキザなシャンソン歌手役に仲谷昇、津川を悪の道に引きこむ華僑マフィア(?)の手先に小池朝雄。小池の学生服姿にインチキ臭さがただよう。
岡田はシャンソン歌手を目指すべく「紫シマ子」の芸名でリサイタルを開こうとする。伊藤雄之助はそのマネージャー兼シャンソン喫茶の支配人。お侠で活発な岡田茉莉子が素敵に可愛くて、すっかり惚れてしまった。リサイタルで岡田が唄うのが「青ぶくの歌」という。「青ぶく」とは、バナナ業界用語で、「皮は青いくせに、身が熟し過ぎて、ブクブク腐っている」バナナのこと。原作では、外面は純情的・処女的でも、一皮むけばその身は朽ちているという女性侮蔑の喩えにも使われている。
岡田が映画の中でギター片手に唄う「青ぶくの歌」とはこんな歌詞。こんな唄をツンととり澄まして唄う岡田がまた可愛い。

その皮は青けれど
身は朽ちて、けがれたり
その眼ざしは清けれど
心はさすらいの娼婦に似たり
ああ青ぶくのバナナ
バナナは黄なるこそよけれ
こんな歌詞をこともなげに作る獅子文六のユーモアセンスに脱帽である。また、尾上松緑の口から戦後日本(人)批判の言葉が幾度か吐かれた。華僑の口を借りるという趣向も巧み。映画ではバナナ業界、華僑社会の描写はさほどしつこくなかったのだけれども、獅子文六のことだから原作ではこのあたりもきちんと描き込まれているに違いない。原作の面白さが容易に推し量られ、原作を先に読んでおくのだったと悔やんでももう遅い。