復活!福島美術館─震災を乗り越えて


                        (仙台・福島美術館にて)
東日本大震災で大きな被害を受け、休館していた福島美術館(仙台市若林区土樋)が全国の支援を受けて19日、約1年9カ月ぶりに再開館いたしました。
企画第1弾として、縁起物にちなんだ掛け軸などを集めた「震災復興『めでた掛け〜再会』−感謝と祈りをこめて」を開催しています(来年3月3日まで)。
支援のお願い

                                         (外観)
 「「めでた掛け」は同美術館の新春恒例の企画展で、今回は掛け軸や工芸品など約60点を展示。募金をした人に贈った「七福絵はがき」に使われた掛け軸が中心で、折り鶴を折る子どもを描いた絵などが来場者を和ませている。常設展では伊達政宗の書状や高村光雲の仏像などが飾られている。
 再開に合わせ、収蔵品の中から「福」の意味を持つ昆虫や鳥の図柄を選んで作ったしおり、シールなどの「七福グッズ」も販売している。期間中は座談会や茶会、紙切り遊びなどの催しも行う。」(河北新報12.20より)

「美術館は当初、修繕費の約1300万円を調達するめどが立たなかったが、全国から約765万円の募金が寄せられ再開にこぎつけた。12月19日は1年前に初めて募金が寄せられた日という。
 学芸員の尾暮まゆみさんは「募金を頂いた全国の方には感謝の言葉しかない。今後、大地震が起きて私たちのような小さい美術館が被害を受けたら、支援していきたい」と話した。
 入館料は一般300円、学生200円。高校生以下、70歳以上、障害者は無料。連絡先は同美術館022(266)1535。」(河北新報12.20より)
社会福祉法人 共生福祉会 福島美術館/東日本大震災と復興
以上は新聞の引用。あまり知られていない美術館だが震災の大打撃から,有志の呼びかけが全国に広まり、その支援を受けてこのたびめでたく復活。心からお祝いしたい。
02 福島美術館(1)|レポート|MUSEUM ACTION|インターネットミュージアム
http://www.kahoku.co.jp/spe/spe_sys1062/20121012_10.htm


(「弁財天・牡丹図<三幅対>」の弁財天(伊達綱宗筆・江戸時代前期・仙台藩伊達家旧蔵資料)
作者は仙台藩3代藩主伊達綱宗(1640〜1711)。「21歳で幕命により逼塞隠居となり、亡くなる72歳までは芸道の隠居生活を送ったことで有名です。画は狩野探幽に学び、絵画を善くした藩主として知られています。」(福島美術館HP社会福祉法人 共生福祉会 福島美術館

(※展示品の写真は館より撮影許可をいただいています)
お祝いに駆けつけて、伊達美術など、やすらぎに満ちた展示に心が喜んでおりました。地下鉄愛宕橋駅近くの小さな美術館に皆様もぜひお出かけください。

近くには『三太郎の日記』で有名な阿部次郎旧居跡があります。
阿部次郎 - Wikipedia
そして誓願寺通りと呼ばれた広瀬川の渡し場に続く由緒ある地です。
広瀬川の渡し等


【予定】(館HPより)
「◆再開記念座談会「あの時から再開まで」
12 月22 日(土)
13:30〜14:00 講師:井上研一郎氏(要観覧券、事前申込み、定員50 名)
14:00〜14:50 座談会「テーマ:あの時から再開まで」(井上氏、学芸員、コーディネーター)
15:00〜15:30 座談会part2 フリートーク
◆新春企画「再開キーワード」をみつけて「福」をもらおう!
(平成25 年1 月5 日開始、先着50 名)
入館券をお求めの方にスタンプラリーカードをお渡しします。
ふるってご参加ください。
◆ギャラリートークスイーツの日
(1)1月13 日(日)(2)2 月15 日(金)
14:00〜14:50 当館学芸員による展覧会案内と解説(参加自由、要観覧券)
15:00〜15:30 お茶の時間(定員25 名、事前申込み、お茶・菓子代300 円)
◆「ここde 再会〜なつかしの学芸員と」記念トーク
1 月20 日(日)13:30〜15:30(要観覧券、定員50 名)
協力:黒川古文化研究所兵庫県)、三渓園(横浜)、奈良国立博物館仙台市博物館学芸員の方々
かつて福島美術館の非常勤学芸員だったメンバーが「再会」。当時担当した「めでた掛け展」の思い出の一品と再会、解説をいたします。予定者は都合により変更する場合があります。」


【参考】
福島美術館の歴史(HPより)
「濱田直嗣 (前仙台市博物館長)
■福島禎蔵翁をめぐる美術品と美術館建設
時には冷徹な判断と行動を求められる実業家の、仙台を代表する一人として青年期、壮年期をおくった福島禎蔵翁が、こころを開き眼を和ませる対象にしていたものに、美術鑑賞と収集がありました。

良く知られるように、福島家では翁の祖父で近代仙台の画家・佐久間晴嶽、得楼たちと親しかった運蔵翁と、これを継いだ父・與惣五郎翁の代から美術への関心は高く、作品を入手する機会も多かったようです。そのコレクションを基礎に、禎蔵翁を取り巻く美術の世界が、次第に輪を広げていったことになります。

コレクションを量・質共に充実させた原因には、主に次の2つがあるものと、私は考えています。

一つ目は仙台藩主だった伊達家との交流です。62万石の大大名を誇った仙台伊達家も、明治維新後の社会の推移にあって、伯爵家を確保してはいたものの次第に勢力を薄めていき、特に昭和20年の敗戦以降には、爵位華族籍を失い、衰微を余儀なくしてしまいます。尾張徳川家や加賀前田家などでは旧家臣や関係者による、しっかりしたバックアプ体制が確保されていたのですが、仙台の場合は充分とは云えず、大正時代以来、所蔵する文化財を手放さざるを得ない状況を呈していました。

そこに援助の手を差し伸べた一人が禎蔵翁であり、その交流を通じて伊達家所蔵文化財の一部が、福島家に納まることになりました。昭和27年に伊達家では保有している文化財仙台市へ寄贈の運びとなりますが、これ以前に移譲したのが福島コレクション中の伊達家旧蔵品です。後にこの移動をめぐって“福島家が不当に安く譲り受けたのではないか”という訴訟がおこなわれ、裁判所の依頼で専門家が鑑定を実行した結果、“不当に高く買ったとした方が妥当”という結論になった、と伝えられています。評価額より高い価格で譲り受けたところに、福島家の伊達家存続に対する思い入れの深さが察知されるエピソードと云えます。

こうして流失を免れて仙台にとどまることになった文化財については、伊達家の所蔵品を明治時代に調べた「伊達家観瀾閣宝物目録」に掲載されているものも少なくなく、由緒の正しさを証明してくれます。

二つ目は、仙台市内の美術愛好家の集まりである「是心会」への参加です。仙台を代表する財界・文化界の人々が、それぞれが所蔵する美術品(主に古美術)を持ち寄って、観賞し評価する中で美術文化の醸成を図った本会は、敗戦をはさんだ昭和7〜8年と26〜38年の2期にわたって開催されました。土井晩翠氏や木下杢太郎氏も加わった戦前の会には與惣五郎翁、三原良吉氏や亀田兵治氏らを会員にした戦後は禎蔵翁が毎回参加して、所蔵の品を披露しています。そして、東北大学で美学とドイツ語の教鞭をとられていた佐藤明先生もそこに同席しているのです。

単に所蔵するだけにはとどまらないで、公開へと進んだ福島家のコレクションをめぐる人と文化財の輪を、ここに認めることができます。その後の福島美術館設立に向けては、佐藤明先生と禎蔵翁との厚い友情が、重要な意味を持って基盤の役割を果たします。」
社会福祉法人共生福祉会(仙台市)