猫の名前………『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』

インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』鑑賞。

61年ニューヨーク、ディラン・ショック前夜。売れないフォークシンガー、ルーウィン・デイヴィスの七日間の旅。

「デイヴ・ヴァン・ロンクの自伝にインスパイアされて作った。ニューヨークのあの頃のミュージック・シーンを映画でやろうと思ったんだ。もし皆がこの映画の音楽を聞いたり、それでこういう音楽をもっと知ろうと興味を起こしてくれれば、ものすごく嬉しい。テンポラリーのミュージシャンたちであの音楽に影響を受けた人はたくさんいるし、そういうことを発見するのも楽しいんだ」

コーエン兄弟はインタビューで語っているが、実際当時のミュージックシーンにいた人たちはこのような意見をよせている。

「当時のフォークシーンの仲の良さを誤解している」

「1960年代初期のフォークの世界とまったくちがうものになるとは思わなかった」

「活気に満ちて火花の散る、競争的でロマンティックでコミューンっぽくていかれてて酔っぱらってて乱闘騒ぎのあったようなシーンを、ゆったりした茶色の悲しい映画に落とし込んじゃったように感じる」*1

映画だから脚色はしかたがないじゃないか、それいったら「三丁目の夕日」なんて、当時の下町の人間はあんなにいいヤツじゃないっていわれてるぞと言いたくなるが、実はこれはそこまで間違った指摘ではない。フォーク畑の人たちは気づかなかったようだが、この作品、終盤になり、ネコの名前が明かされた瞬間に物語の意味がガラっと変わるという構成になっているからだ。



注・ここからネタバレ。ラスト付近について言及してます。



主人公はネコの名前を知らないという設定で、その名前が「ユリシーズ」だと聞かされるのだが、ユリシーズとはギリシャ神話『オデッセイア』の主人公の英語名であり『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』はそれを61年のニューヨークに移し替えた作品であることがわかるのだ。

以前『オー!ブラザー』という作品を撮っているが、まぁ言ってみればあれとアプローチが一緒で『オー!ブラザー』は音楽がブルースやカントリーなどのルーツミュージックだったが、今回はフォークソングということで姉妹編ともいうべき、パラレルワールド的な寓話であるという見方もできる。

ただし、今作は忠実にやるというよりも、ルーウィン・デイヴィスの話に12章までのモチーフをすべりこませてるという印象がある。ポセイドンの怒りをかう理由も奥さんのパフォーマンスにヤジを飛ばしたからであり、船の免許を無くしているので航海ができない。予言者のような男に会い、無事帰国するとそれまでソファで寝ていたのにちゃんとベッドで寝ていたり、ラストの解釈も王として帰ってくるはずだった場所にボブ・ディランという神がいたという風にも読み取れなくもない。


ネタバレ終わり。


コーエン兄弟といえば『ファーゴ』で実話と銘打ちながら、まったくのデタラメだったという前科があり(正確には木のチップを作る機械で奥さんが殺されたという事件にインスパイアされた)、基本的には古典や文学の名作をストーリーテリングの下敷きにする傾向がある。そういった「あっかんべー」も含め、詩のようなダイアローグやカラーなのにモノクロに見える映像など、語り口は変わってもコーエン兄弟らしい作品だなと感じた。個人的には『ロング・グッドバイ』でネコのわがままに振り回されるマーロウも取り込まれたのかなとか思った。すべてを理解してるわけではないが、二回続けて観てしまった。好きです。

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