Der Wille zur Macht 力への意志 2006年11月26日

ゼノサーガIIIやってますが、それ関連の話を少し。

Iはストーリーが破綻してて(あまりに途中で終わる・・・)IIはグラフィックが終わってたけど、IIIではグラフィックが段違いによくなってます。

Iはデフォルメの利いたCGでキャラがかわいい感じだったんだけど、IIでいきなりリアル路線になり、しかもそれがIのときのイメージをぶち壊しというものでした。

特に女性キャラは今考えても激しかったなぁ。限定版についてたコスモスのフィギィアが「邪神」呼ばわりされてたくらいだったから。実物をみたことないけど、作りの悪さと共にCGから原型を起こしたせいだと思います。

IIIでは同じリアル路線だけど、別人かと思うくらいかなり人物がキレイになってました。特にコスモスとモモ。
でも逆にシタン先生・・・じゃなかった、ジン・ウズキがカッコ悪くなってたのがショック。なんであんなタレ目?!彼に関しては前の方が・・・。ジギーは無駄に変化なし(笑)

ストーリーについてもこれまでの謎が解決しそうな感じ。
フェイみたいな男の子も出てくるのでゼノギアスとのつながりも少しは分かりそうです。

さて今回の話はそちらではなく、このシリーズの題名。
文学を少しかじったことある人ならおそらくピンとくるはず。
Iが力への意志
IIが善悪の彼岸
IIIがツァラトゥストラはかく語りき
どの題名も、いわずと知れた19世紀の巨人的思想家・ニーチェの書籍の題名から来ています。

おそらくこのゲームの世界観が彼の描く永劫回帰・超人思想を参考にしているからなんでしょう。僕自身はこの考え方に共感を覚えないけど、この従来の観念をくつがえした思想が、現代にわたるまで世界に大きな影響をもたらしたのは間違いないです。
(ちなみにジョジョのストーン・オーシャンを読んだ方、そこに出てくる神父が得たスタンドの能力が永劫回帰でした。興味ある方は見てみてください)

思想的には西洋文明における道徳・哲学・科学など全てのバックグラウンドとなっていたキリスト教の哲学(神学)の「神や理性の探求」という側面を否定し、今を生きる人間それ自身を探求していったことが大きなパラダイムだったのだと思う。

それまでの人間は理性を叫びながらも、理性で選び取ったわけではない道徳に縛り付けられてルサンチマン(怨恨)を抱く。しかし道徳自身の誠実性から自己矛盾によってニヒリズムに陥る。
その旧来の道徳によるルサンチマンこそが人間の矮小化を招く原因だとして、「神(キリスト教を基盤とした世界)は死んだ」と宣言してルサンチマンを克服した超人思想を説き、人間の解放を目指した。

初めて「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだとき、一番驚いたのは文体が韻文調(詩のような形式)になっていたこと。物語なので散文調かと思ってたら違いました。古典学者らしく比喩や隠喩も豊富で、ダンテの神曲を思い出させられた。

読んだといってどうということはないけど、現代思想を理解したいとか哲学に興味ある方はニーチェもどうぞ。カミュサルトルカフカなんかもね。