立春と節分

 今日から2月です。拙ブログも今回で150号をアップするに至りました。100号アップが丁度1年前の2月4日でしたから、この1年で50回のブログ発信をしたことになり、月平均4回強ということになります。
 ついでですが、私がブログを開設したのが、’13年4月1日でして、今日まで2年10カ月を要しており、 150回をこの約34カ月で除しますと月平均4.4回となり、なんとか週一リズムのペースは保たれているかなとホッと一息つくところです。この間、アクセスのクリック回数も3万8千回を超え、光栄なことと感謝しつつ責任の重さをヒシヒシと感じている今日この頃でもあります。
         

 さて本日のテーマに入らさせていただきます。2月の声を耳にしますと、立春と節分が同時に頭に浮かぶのではありませんか。そうです!節分は立春の前日になっていまして、この両者は表裏一体の関係にあるようにも見受けられますが、なかなかどうしてその背景には科学的な根拠の基で、歴史的な風習を織り交ぜて人類に定着してきたものと思われます。
 「立春」は二十四節気の一つで、陰暦の正月節で、太陰太陽暦を使用する東洋の占い上の新年の起点とされています。立春の日は、太陽の黄経が315°(立夏45°、立秋135°、立冬225°)の時で、春の初めの太陽暦2月4日頃になります。
 一方「節分」は、本来は季節が移り変わる時、即ち立春立夏立秋立冬の前日の称を言い、都合4回あります。特に二十四節気が一巡した大寒の末日で、暦上の一年の最初の日の立春の前日を指し、地方によっては旧暦の大晦日として、それぞれ伝統ある行事が行われます。一般には、誰もが経験する「福は内、鬼は外」と声を掛けて福豆を撒き、その豆を年齢の数だけ食べると厄除けが叶うとも云い伝えられてますね。また、ひいらぎの枝にイワシの頭を刺して、臭気で邪気除けをする風習もあります。子供の頃、節分の日には豆撒きは恒例でしたが、時たまでしたが母親が”メザシ”を焼いてお膳に出し「”イワシの頭クサイクサイ”と言ったら鬼が逃げて行くよ」と教えられたのを懐かしく思い出されます。
       

 この「立春と節分」の関係で、全くよく分からないのが、年によって日にちが一定しないことです。以前は節分と言えば、2月4日と2月3日が交互に入り交じって訪れたような気がしますが、近年は、1985年からはズーと2月3日です。従って立春も同じ1日違いで当然2月4日になります。次に立春の日が変わるのが、2021年の2月だそうです。近年の過去の暦をめくって節分の日をみますと、2月4日の年は昭和59年(1984)、ここから遡って55年、51年、47年、43年、39年・・・・と不規則ですが、3〜4年毎には訪れていたのですから、1985年から2021年までの36年間、2月3日が変わらないのも摩訶不思議で仕方がありません。やはり天体のなせる業なのでしょうか?またそれに即応して先が読めている人類の頭脳にも、畏敬の念を禁じ得ません。
 やはり、時代は変わって行っても、昔からの風習や伝統行事は一つの文化ですから、後進のわれわれはそれを継承していく役割を付与されていると思います。同じ時期の、中華系の正月である春慶節のお祭りなどを見ていますと、その感を強く持ちます。