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唐沢俊一検証blog

2009-02-14

最高の時をともに過ごし、最悪のものが残される。

03:55

 さーて、しばらくは余裕を持って『オタクはすでに死んでいる』を読み込んでおこうかな、たまには趣味に走りたいし…と思ってたら、また新たなネタが。…もしかして俺は唐沢俊一を検証するために生きているのかと。嫌な人生だなあ。

  discussao さんに山田五郎20世紀少年白書』(世界文化社)に唐沢俊一岡田斗司夫が登場していると聞いたので、都心へ出たついでに買ってみた。 discussao さん、情報ありがとうございます。

 そうしたらこんなことが書いてある。P.137より。

唐沢 僕だって、漫画やアニメ特撮から卒業するのがちょっと遅れてるだけで、大学に入れば卒業するだろうと思ってましたからね。叔父の関係で演芸や演劇も好きでしたし、小説なんかも書いてみたかったし、出版の分野にも首を突っ込んでみたかった。だから1年浪人して『ヤマトファンクラブの基礎固めをし終えたところで、東京に出たんです。

山田 それで入られた大学が、意外といっては失礼ですが、青学とは。

唐沢 どこでもよかったんですよ。東京に出た目的のひとつは、通称「アニドウ」っていう日本初のアニメーション同好会に入ることで、大学は口実にすぎなかった。だから、阿佐ヶ谷の下宿屋さんに入ったその日に、紀伊國屋ホールでやっていた「アニドウ」の上映会に駆けつけて……。

トンデモ創世記』(扶桑社文庫)での青学入学のいきさつ。P.51〜52より。

唐沢● (前略)それで、大学入って「アニドウ」って会に入会して、海外アニメに興味が向いたんですね。それで、日本のアニメはもういいやと思ったけど、結局戻ってくる感じになりましたね。

 はじめの映画館の辺りの話に戻すと、とにかく東京の大学に入らなければならないって思ったんですよ。理由は神田古本屋街があるから。札幌だと北海道大学の近くしかなかったですね。一つの通りに七、八軒あったくらいかな。で、とにかく「神田神田」って感じだった。

(中略)

唐沢● 本を探すって自分探しみたいなもんですね。とにかく神田に行ける状況になろうって。最初は中央大学に行こうと思ったの、神田に近いから。あの頃まだ神田にあったんですよ。なんで明治じゃなかったのかな。たぶん校舎がいろいろ散らばっていたからでしょうね。で、中央大学にしようと思ったら、移転するって話が出たんです。

志水● それで決めたんですか?

唐沢● いろいろあって、青山学院に入ったんですけども、すでに半蔵門線は開通してたかな?

志水● ギリギリですね。

唐沢● そうすると半蔵門線で一本じゃないですか、神保町まで。青山学院は最寄り駅が渋谷だし。

志水● そうですね。

…話がだいぶ違う。20世紀少年白書』には古本の話はまったく出て来ない。『トンデモ創世記』の話がおかしいというのは「トンデモない一行知識の世界2」と当ブログ2月9日の記事でも取り上げたが、どうも『20世紀少年白書』の話の方が本当っぽい。『トンデモ創世記』でどうして青学と古本を関係させようとしたのか本当に謎。あと「日本のアニメはもういいや」というのは面白い。そういう気持ちがあったから「ガンダム論争」で「海外最高!日本ダメ!」となったわけだね。ちなみに、『トンデモ創世記』には阿佐ヶ谷の下宿から高円寺の「芳雅堂書店」(店主は出久根達郎氏)に通った話も載っている。神田以外の古本屋にも行ってたんだね。よかったよかった。しかし、『20世紀少年白書』の話の方が本当っぽいとはいえ、「1年浪人して『ヤマトファンクラブの基礎固めをし終えた」というのはどうなんだろう。その後発展したのか?山田五郎が唐沢が青学出身というのに驚いているのは面白いけど。やっぱりイメージと合ってないよねえ。とりあえず、自分の過去の話をするときにはウソをつくにしてもよく内容をまとめておいてほしいと思う。本によって話すことが違うんじゃ困るよ。『メメント』みたいに全身に書いておいたらいいかも。

 『20世紀少年白書』を続けて読んでいると、こんなことが書いてある。P.139より。

唐沢 (前略)青学の方も留年もせず3年まで進んでいたんですけど、弟が漫画家になるから薬局は継がないと言い出して。だったらまだ進路の決まってない長男のお前が継げと、親父に言われて。

 留年もせず3年まで進んでいた、ということは、唐沢俊一は1年浪人しているから「ぴあ」に初投稿した1980年12月の時点で唐沢俊一青学の3年生だったことになる。で、翌81年8月まで「ガンダム論争」に参加するわけだ。まあ、その辺のことはさすがに知っているので事実を再確認したり「ここは調べないとなあ」と思いつつ読み終わったのだが、唐沢のプロフィールを確認したところで思わず叫びそうになってしまった。

1958年5月22日、北海道生まれ。作家、コラムニストカルト物件評論家。青山学院大学文学部、東北薬科大学を共に中退(以下略)。

…え、えええ〜っ!?

唐沢のプロフィールで「青学中退」となっているのをはじめて見たぞ!どうなってるんだ?というわけで家にある唐沢の本を全部ひっくりかえしてプロフィールを調べてみた(「俺、いつのまにこんなに集めていたんだろう」とだいぶヘコむ)。その結果わかったのは、ほとんどのプロフィールでは学歴が書かれていないということ。早川書房から出ている本には「青山学院大学、東北薬科大学在学中から〜」とはあるが、卒業したかどうかは書かれていない。自分が確認できたかぎりで青学を卒業したとプロフィールで書かれているのは以下の本だけである。

トンデモ美少年の世界』=青山学院大学

『実録!サイコさんからの手紙』=青山学院大学

『B級学(マンガ編)』=青山学院大学

『唐沢先生の雑学授業』=青山学院大学文学部卒業

BSアニメ夜話 ルパン三世カリオストロの城』=青山学院大学文学部卒業

 全部で5つしかないのだ。…いや、自分はこの一事をもって唐沢俊一学歴を詐称していると決め付けるつもりはないので誤解しないで欲しい。『20世紀少年白書』のプロフィールの方が間違っていると考えるほうが自然だろう。ただ、唐沢俊一は「青学神保町」の件もそうだが、自分について語るときに虚偽が混じるので残念ながらそのまま信用することはできないのだ。もしかしたら、と思ってしまう。そこでもう一度考えてみる。『20世紀少年白書』の唐沢の話だと、青学を3年まで進んだところで父親から「後を継げ」と言われたとのことだ。で、当時イッセー尾形の前説で客を怒らせて(詳しくはまとめwikiを参照)落ち込んでいた唐沢は東北薬科大に通うことにしたとある。唐沢は『裏モノ日記』2000年1月8日と10日付けでイッセー尾形のスタッフとして働いていたことを自ら書いているが、20歳のときにイッセーの一人芝居を見て感動した、と書いてあるから時期的には符合している。なお、イッセーの思い出について書かれた『裏モノ日記』は現在アスペクトから出ている単行本でしか読むことが出来ない。なぜ?(単行本に収録されている分も唐沢のサイトで読むことは出来るのに) そして、仙台に行った唐沢は登校拒否になってしまい、ほとんど引きこもりのように1年間を過ごしたと言っている。その後の経緯について『20世紀少年白書』P.141より紹介。

唐沢 で、ある日、東京美大に通いながら弘兼憲史先生のアシスタントをしていた弟が、自分は会社組織の水に合わないから漫画家として生きるっていうような決意表明をしにきたんですよ。で、僕も「ここにいちゃダメになる」と思って、ちょうど札幌の方で処方箋にパソコンに打ち込むシステム作りを手伝ってほしいという話があったんで、しばらく札幌に帰ったんです。

山田 薬大は辞めちゃったんですか。

唐沢 中退は親が許してくれないから、ちょっと五月病というか鬱入っちゃったから休学させてほしいと。

 しかし、唐沢俊一の話と唐沢なをきのインタビューに出てくる話はだいぶ違う。唐沢なをきが行っていたのは「美大」でなく「多摩美大の付属の専門学校」だし、唐沢弟が弘兼憲史のアシスタントをしていたのは学校を卒業した後である(『課長島耕作』は1983年1月スタート)。…弟のことまでウソを言わなくても。それに唐沢なをきのインタビューから考えると、唐沢なをきが「少年サンデー」に持ち込みを始めたのは1982年のことだが(島本和彦のデビューは1982年2月)、唐沢俊一の話だと青学3年の時(1980〜81年)に弟がマンガ家になると言い出したとあるから若干ズレが生じてしまうし、「弟が漫画家になるから薬局は継がないと言い出して」「弟が、自分は会社組織の水に合わないから漫画家として生きるっていうような決意表明をしにきた」って、唐沢なをきはどうして2度も漫画家になることを決意してるのか?だから弟のことまでウソを言うなって。いずれにしても唐沢俊一がちゃんと青学を卒業していた可能性は有り得る。青学を82年3月に卒業してそのまま4月に東北薬科大に入学し、直後に登校拒否になるというのは一応有り得る。それに「ガンダム論争」の投稿から、1981年7月には東京にいたことも確認できるし。でも、なんで「卒業した」とハッキリ言わないのか不思議だ。それに「裏モノ日記」には次のような記述もある。

朝、寝床ですでに消えて久しい社会思想社現代教養文庫の『江戸の戯作絵本』(三)を読む。昨日、と学会例会で原田実氏が山東京伝黄表紙を紹介していたので、ひさしぶりに善魂悪魂の登場する『心学早染艸』を読みたくなり、引っぱり出してきたもの。思えば仙台引きこもり同様の学生生活を送っていたとき、ちょうど新刊書店で発売されたばかりだったこの文庫をむさぼるように読んでいた。

 『江戸の戯作絵本』三巻が発売されたのは1982年4月である。もし青学を卒業してすぐに東北薬科大に入学していたとしたら、すぐに引きこもってしまったということなんだろうか。そうだとしたら痛ましい話である。今までの話をまとめてみよう。一応、唐沢俊一青学を卒業していたものと仮定する。


 

1980年 唐沢なをき、多摩美大の付属の専門学校入学

1980年or81年 唐沢俊一、父親に後を継ぐように言われ、仙台の東北薬科大学へ行くことにする。(※1)

1980年12月〜1981年7月 唐沢俊一、「ぴあ」の「ガンダム論争」に参加。(※2)

1981年〜 唐沢俊一イッセー尾形の舞台を観て衝撃を受ける。長文の感想を送り、そのままスタッフになるが、前説で客を怒らせたことをきっかけにスタッフを辞める。(※3)

1982年3月 唐沢俊一青山学院大学文学部を卒業?)

1982年4月 唐沢俊一、東北薬科大学に入学?)

1982年〜 唐沢なをき、「少年サンデー」に何度か原稿を持ち込み、弘兼憲史のアシスタントになる。

1982年〜 唐沢俊一仙台引きこもり同様の学生生活を1年間送った後、札幌に帰る。


(※1 唐沢俊一は「弟が漫画家になると言い出して」と言っているが、仮にそうだとすると唐沢弟が漫画家になることを決めた時期と持ち込みを始めた時期にズレが生じるため、本当かどうか疑わしい)

(※2 「ぴあ」の投稿欄から当時の唐沢俊一の住所が東京都内だったことが確認できる)

(※3 「日経ネット」の記事で唐沢は、「ちょうど仙台の大学に通っていた頃、イッセー尾形さんのところの仕事をしていた」と語り、『20世紀少年白書』では札幌に戻った後もイッセー尾形の手伝いをしていたと語っている)

…だいぶわかってきたな。いずれちゃんとした年譜を作ろうっと。

 くりかえしになるが、自分は唐沢俊一学歴を詐称していると言うつもりはない。5冊の本で「卒業」と書かれ、1冊の本で「中退」となっているのだから「卒業」していると判断するのが妥当であろう唐沢俊一世界文化社にプロフィールが間違っていると連絡したほうがいいよ。

最後に『20世紀少年白書』P.146より。

唐沢 でも、今や我々の世代オタク文化を大学とかで研究している若者までいるわけですよ。彼らの書いたものを見てみると、すごくよく調べてあるんだけど、基本となる事実関係において明らかな間違いもたくさんあるわけです。それは我々がちゃんとまとめたり伝えたりしてこなかったせいだと思うんですよ。

 「お前が言うな」という話だが、とりあえず自分の学歴からハッキリさせてほしいところだ。「青学を卒業した」って言えばいいだけなんだから、簡単でしょ?

※追記 以下の情報を踏まえて年表を訂正しました。 

唐沢俊一イッセー尾形を初めて知ったのはお笑いスター誕生を見てから(『裏モノ日記』より)。イッセーが『お笑いスター誕生』に出演していたのは1981年のことである。だから、唐沢が『裏モノ日記』で「二十歳」のときにイッセーを知ったというのは誤り。自分の年齢くらいちゃんと覚えておいてくれ

・唐沢がイッセーの舞台を初めて見たのは、渋谷ジアンジアンでの公演だが、イッセーのジアンジアン公演が定着するのは1982年から。

・唐沢が「前説事件」を起こしたのは、池袋西武の「スタジオ200」(『裏モノ日記』より)。なお、「前説事件」のあとも別にトラブルがあったらしい(『20世紀少年白書』より)。

…というわけで、『20世紀少年白書』で「イッセー尾形のスタッフで失敗して仙台に行くことにした」と語っているのは大いに疑問である。仙台に行った後もイッセーの舞台があるときだけ上京して手伝いをしていた可能性もあるし。…発言がウソだらけの人の年譜をまとめる難しさを痛感。

 

20世紀少年白書―山田五郎同世代対談集

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トンデモ創世記 (扶桑社文庫)

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メメント [DVD]

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裏モノ日記

裏モノ日記

teraiterai 2009/02/15 05:13 何だか恐ろしいですね。嘘に塗り固められた過去。
唐沢という男を調べていたらいつの間にか闇の中にいるような。
そのうち唐沢なる人物が本当に存在してるのか、という
結果が待っている気がしてきますよ。

藤岡真藤岡真 2009/02/15 07:28 >ちなみに、『トンデモ創世記』には阿佐ヶ谷の下宿から高円寺の「芳雅堂書店」(店主は出久根達郎氏)に通った話も載っている。神田以外の古本屋にも行ってたんだね。

『古本マニア雑学ノート』1996にこんな記述がありました。

>大学時代に、この三つがあれば生活できる、と思っていたのが古本屋と銭湯と映画館だった。
 もちろん、勉学だって多少はしていたのだが、それよりも古本屋と映画館で過ごしていた時間の方がずっと長いことは確かだろう。古本市のホコリにまみれて帰ってきた体の汗を、銭湯で流すときの快感は何物にも代えがたい。僕の下宿していた阿佐谷(ママ)には、この三つが揃っており、学生の街としてはまず理想の作りだった。

 しかし、大学の勉強もろくにしないで、古本屋&映画館通い三昧の人間がいきなり理科系の大学に入学(学士編入?)出来るものなんですかねえ。

唐茄子唐茄子 2009/02/15 10:09 特集×〜快適仕事塾〜コンパクトスキャナー活用編のインタビューによると
http://nikkei.hi-ho.ne.jp/scansnap/bk_02_index.html
>ちょうど仙台の大学に通っていた頃、イッセー尾形さんのところの仕事をしていたのですが、東北新幹線の車内で原稿を書いていると、珍しかったのか、出張のビジネスマンで人だかりになってましたね」という。

イッセー尾形の所に出入りしていた時は東北薬科大学時代という事になっています。
これは新幹線の中でワープロを使っていてビジネスマンが人だかりになった、という話を言いたいがために作ったウソですかね?

唐茄子唐茄子 2009/02/15 10:19 ついでに書くと「東北新幹線」は(Wikipediaによると)
>1982年(昭和57年)6月23日 - 大宮駅 - 盛岡駅間 (465.2km) 暫定開業
だそうです。

yonoyono 2009/02/15 11:20 先週の絶望先生を見て
「僕等の知らないどこかの時空に唐沢さんの言う通りな世界があるのかな?」と思ったり

本人の人生すら矛盾だらけですが

discussaodiscussao 2009/02/15 13:44 手間をおかけしてすみませんねェ・・・

【イッセー尾形とのかかわりについて】
1.80年5月中目黒の地下劇場で一人芝居のスタイルの基となったものをはじめた。観客は5人
2.81年TV「お笑いスター誕生」で脚光を浴びる
3.82年「都市生活カタログ」スタート。ジャンジャン公演定着(以上オフィシャルサイトより)
4.中野翠は「お笑いスター誕生」のイッセー尾形に衝撃を受けた以後に公演に出かけ、そこで前説をしていた唐沢を目撃している。
まず唐沢がイッセー尾形の舞台を見て衝撃を受けた時期ですが、78〜79年あたりだとすると
<年に1,2公演、ほとんどはバイト生活で過ごしており活動は限定的なニュアンスが濃厚。しかも現在の一人芝居的なものとは出し物が違っており、おそらくはもっと「ふつうの芝居」的なものをやっていたらしい(このへんイッセー尾形の本にあるプロフィールのほうが詳しかったのですが、その本がどっかに消えてしまった・・・)。観客は身内ばかりで0〜5人程度。>
↑のような状況下で唐沢が観客として存在した、というようなワケですね・・・。
そして「前説事件」が起きるのは早くて81年か・・・?「お笑いスター誕生」以前から観客5人の状況で「前説」をやるだろうかという疑問があるのですが、「やってました」というのならやってたんでしょうね・・・。でもそうすると81年以降仙台時代までイッセー尾形にかかわっていたのだから、「前説事件」で離別したというストーリーにはならないような気が・・・。
前に持っていたイメージでいうと、ジャンジャン定着の82年から紀伊國屋ホール進出の84年あたりのあいだで「前説事件」は起こったように思っていたんですが、齟齬のある断片的なことをあちこちで言うものですから「あれ、違ってたか?」と思うことしばしば。

kensyouhankensyouhan 2009/02/15 14:34 コメントありがとうございます。

>teraiさん
自分が直接会ったのは一体誰なんだろう?

>藤岡さん
> しかし、大学の勉強もろくにしないで、古本屋&映画館通い三昧の人間がいきなり理科系の大学に入学(学士編入?)出来るものなんですかねえ
たしかにそうですね。東北薬科大学の入試は難しくないんでしょうか。

>唐茄子さん
その記事は読んだんですけど、それが事実なら時間の流れがおかしくなりますね。

>yonoさん
「シュレディンガーの雑学」というのもあったらよかったんですけどね。唐沢のガセビアが本当である世界がどこかにあるのかも。

>discussao さん
唐茄子さんのコメントにもありますけど、「イッセー尾形の手伝いをするために東北新幹線に乗っていた」んだったら『20世紀少年白書』で「イッセー尾形の前説で失敗して落胆して仙台へ向かった」と言ってるのが成り立たなくなるような気がします。
というわけで、もう一度イッセー関係の情報を整理します。
まず、唐沢が初めてイッセーの舞台を見たのは「渋谷ジアンジアン」です(『裏モノ日記』より)。イッセーのジアンジアン公演が定着したのが82年なら、唐沢が二十歳でイッセーを見たというのは少し疑問です。まあ、定着する前の公演を見ていたのかもしれませんが。
次に、「前説事件」が起ったのは池袋西武の「スタジオ200」です(『裏モノ日記』より)。『20世紀少年白書』では「スタジオ50」って言ってますが。そこで当時イッセーが定期公演を行っていたそうです。…以前、「前説事件」に居合わせた方からコメントをいただいたことがあるので、その方にいつ起こったことなのか教えてほしいところです。
…そうなってくると、唐沢がイッセー尾形に会った時期は記事に書いたものよりだいぶあとになってきそうです。そして、仙台に行った後も唐沢俊一はイッセー尾形の舞台があるときは上京して手伝いに行っていた、そういう可能性もあるような気がします。…じゃあ、「イッセー尾形のスタッフで失敗して落胆して仙台に行った」というのは一体なんなんだ?という気がしますが。…唐沢俊一の発言から年譜を作ろうとしたのが間違いだったのかもしれませんw

kensyouhankensyouhan 2009/02/15 14:55 記事に訂正・追記を加えておきました。
…っていうか、唐沢は「お笑いスタ誕」を見てイッセーを知ったって日記で書いてました。それだったら20歳のときにイッセーを知っているはずがありません。時期的に考えると「ガンダム論争」とほぼ同時期なのが興味深いですけど。

kensyouhankensyouhan 2009/02/15 15:23 根拠のない単なる思いつきなので、記事にはせずコメント欄で書いておく。
藤岡さんのコメントを見て考えたんですけど、確かに勉強をロクにしていなかった唐沢俊一が東北薬科大学にすんなり入れるとは考えにくい。だから、唐沢俊一は青学を3年で中退して、1981年は1年間東京で東北薬科大に入るための試験勉強をしていたという可能性はないだろうか?『20世紀少年白書』で「青学の方も留年もせず3年まで進んでいたんですけど」と言っていること(「4年に上がった」「卒業した」とは言ってない)、「ぴあ」の投稿欄で1981年7月の時点で住所が東京になっていることと一応ツジツマは合う。まあ、根拠のない思いつきだけど。
こういう可能性はどうでしょうか?よろしければご意見をお聞かせください。

goito-mineralgoito-mineral 2009/02/15 15:45 こんにちは。
この件については一言、私の知る範囲のことを記しておこうと思いました。
もう古い話なので、私の側の記憶違いが混じっている可能性もありますが、私が唐沢氏自身
から聞いた話では「青学の四年生(? 入学してから四年目ではなく、卒業の年という意味)
のころは学校にあまり行っておらず、卒業式にも出ていないため、卒業証書はもらっていない。
卒業論文は提出したのだが、受理されているかどうか分からないので、後に学校に問い合わせたら、
ちゃんと卒業していると分かった」というようなことだったと記憶しています。
繰り返しますが、私もそんなに気に留めていた話題でもないので、細部など記憶があやふやで、
聞いた話とも違っている可能性は高いです。とかく、この手の話題だと「関係者の発言」や、
「関係者から聞いた話」は信憑性が高いものと見られがちですが、書籍などに唐沢氏本人が
書いているものと並列の情報と扱っていただければと思います。
卒業の認定に関しては、大学によって基準や事務処理の仕方が違うことも考えられるので、
こうした「本人にもよくわからない」という事例がどの程度あるのかは詳らかにしませんが、
唐沢氏本人にも「自分が青学中退か卒業か判然としていない」という事態は可能性として考慮に
入れておく必要はあると思います。意識的に事実を隠して嘘の経歴を書いているのではない(事実が
卒業でも中退でも)ということです。
なお、奥様のK子さんは、よく「こいつは大学二つも行ってたのに、ひとつも出てないのよ」と
言われていました。まあ、これも冗談口ではあるので、果たして額面通り受け取ってよいものか
どうかは分かりません。

kensyouhankensyouhan 2009/02/15 16:33 コメントありがとうございます。

自分も学歴について追及するつもりはさほどないんですけどね。唐沢俊一の話をつなぎあわせてみると分からないところが出てくるので面白くなってきてしまって、歴史ミステリーと同じノリでやってます。「成吉思汗」は「なすよしもがな」だーっ!!みたいな。中学生の頃を思い出します。

さて、伊藤さんの貴重な情報について考えてみます。
「卒業したかどうかはっきりしない」という状態が本当にあるのか?と思います。3年までにかなりがんばって単位をとっておけば4年の時にあまり学校に行かなくても卒業できることは有り得るでしょう。ただ、「卒論は出したけど受理されたかどうかわからない」「卒業式に出ていないし証書ももらっていない」ってそんなことあるんだろうか?と。卒業式に出ない学生がいたら、証書を自宅に送ったりしないんだろうか?と思います(親だって証書を見せろと言うはずです)。まあ、「卒業したかどうかはっきりしない」と言ってる時点で怪しいんですけど。

自分は唐沢俊一と東浩紀氏の論争(なのかな?)を取り上げたときに、「オタクをやっていくうえで学歴なんか関係あるのか?」と書きましたが、今回もその考えは変わりません。別に唐沢が青学を卒業してようと中退してようとかまいません。ただ、ウソをついたりごまかしたりしているのであれば、それはよくないと思います。大学を中退してるクリエイターはいくらでもいるんだから気にしなくてもいいのに、と思ってます。

discussaodiscussao 2009/02/15 18:02 なるほど、そうだったんですねぇ・・・。
あ、それと「ジアンジアン」ね、すまんすまん(が覚えていたくもない。松岡計井子はいまもビートルズを歌っているのだろうか・・・)

あと、唐茄子さんのコメントと『20世紀少年白書』のハナシを総合すると、仙台時代はイッセー尾形の公演の手伝いをしに東北新幹線を使って東北⇔東京を行き来し、車内でも執筆作業にいそしんでいた原稿収入で月20万ほど稼いでいた、まだ海のものとも山のものともわからない無名の唐沢俊一が存在したワケですね・・・。
なんとなく夢野久作『少女地獄』が読みたくなってきました。

漫棚通信漫棚通信 2009/02/15 20:48 こんにちは。わたしもひとこと。
>学士編入
当時は一般的に医師薬科系は学士編入(入学)の制度はなかったと思います。教養部でもドイツ語や数学や生化学を必修にしているところが多く、もし単位互換制度があったとしても文系出身ではどうしようもなかったでしょう。医師薬科系の中途退学者は問題行動による退学処分をのぞけば、学力不足による自主退学か、病気(心およびカラダ)によるものがほとんどでした。唐沢氏の薬科大学退学は心の病によるものだったそうですから、ずいぶんお気の毒なことです。

漫棚通信漫棚通信 2009/02/15 20:51 ごめんなさい。医「歯」薬科系の書き間違いです。

通りすがり通りすがり 2009/02/15 21:02 >伊藤君
こんなところで意趣返しとはご苦労様です。
いつまでも過去をひきずっているから
出世しないのだといい加減に気づきなさい。
まぁ、アタマはいいかもしれんが、
そういう賢さはないので無理だろうけど。

藤岡真藤岡真 2009/02/15 21:28 >漫棚通信さん

 ということは、文科系の学部で学び、古書店通い、名画座、アニドウと遊びながら、入試をクリアして東北薬科大学に入学したということですか。そのモチベーションたるや想像を絶するものがありますね。余程、薬局の跡取りになりたかったのでしょう。

EBCDICEBCDIC 2009/02/16 00:33 >通りすがり

あのー、「意趣返し」の意味わかってますか?

大学関係者大学関係者 2009/02/16 02:09  もちろん大学によって多少システムが違うことはありますが、一般的に言って「卒業したかどうか分からない」という事態は、よほどのことがない限り生じませんね。まず、たとえ4年生の後半に大学に顔を出していなくとも、卒業時にはいくつかの事務手続きが必要です。もちろん、これを無視することも可能なのですが、一般的には電話等での連絡も行きますし、卒業証書他の書類は、必ず学生に送付されます(宛先不明で帰ってきたら実家に送ります)。
 また、4年で卒業できない学生の場合には、何度か「通告」が学生のもとに送られます。というのも、この場合「留年」ということになりますから、そのための諸手続に加えて、新たな学費を納入してもらう必要が生じるわけです。この手の通知が何度もしつこく送られた後、最終通告が、電話なり内容証明なり、相当に堅い方法でなされます。やはり教育機関である以上、「除籍」というのは簡単にはできません。ゆえに、どこの大学でも本人の確認が必要だと思われます。

大学関係者大学関係者 2009/02/16 03:01 すみません。読み返してみて、一つ訂正です。卒業証書の現物自体は、本人に送っていなかったような気がします。ただ、いずれにしても証書を取りに来い、という通知は行きます。

kokada_jnetkokada_jnet 2009/02/16 10:45 「天性の詐欺師」とは、こういう性格の人なんだろうという、見本を見るような感じですね。
「自分を大きく見せよう」「話を面白くしよう」と、その場の勢いで強引に話している感じがありありと・・。あまりに長く嘘をつき続けているので、自分でも自分のプロフィールの細部はわからなくなってしまっているのじゃないでしょうか。
「全身小説家」の井上光晴を連想しました。

kensyouhankensyouhan 2009/02/17 23:44 コメントありがとうございます。みなさんのコメントを受けて続きの記事を書いたのでそちらを参照してください。なお、次回のエントリーでさらに続きをやります。『オタクはすでに死んでいる』とか他にもいろいろ準備しているネタはあるんですけどね。

ふるかわふるかわ 2009/02/18 00:29 唐沢氏を特別に擁護するわけではありませんが、
自分にまつわる事柄についての記憶は意外とあやふやなもので、他人に訂正されることもなく何十年も間違って思い込んだまま、ということは珍しくないでしょう。
ウソツキ呼ばわりはちょっとアンフェアかと思います。
4月には東北薬科大に入学するのですから、青山学院大の卒業には興味を失っていたとしても不思議ではないでしょう。その時期に心を病んでいればなおさらです。

kensyouhankensyouhan 2009/02/18 01:13 コメントありがとうございます。

>自分にまつわる事柄についての記憶は意外とあやふやなもので
じゃあ、自分が大学を卒業したかどうかわからないということが、唐沢俊一以外にもあるんでしょうか?少なくとも自分は今までそんな話を聞いたことがないので「本当なのか?」と疑問を呈しているわけなのですが。

>ウソツキ呼ばわりはちょっとアンフェアかと思います
唐沢なをきについて間違ったことを言っているのを「弟のことまでウソを言うな」とは書いてますけど、それ以外のことについては「ウソツキ呼ばわり」してませんよ。卒業したのかどうかはっきりしてほしいと思ってますけど。それにしても、青学卒業以外にも記憶があやふやなことが多すぎるような。

>その時期に心を病んでいればなおさらです。

自分は1982年4月に唐沢俊一が心を病んでいたなんて書いていないはずなんですが。そもそも心を病んでいれば東北薬科大学に合格することは難しいと思います。それに、この記事を書いた後でわかったことですが、唐沢俊一は東北薬科大学を3年半まで進んだと言っているので、仮に心を病んで登校拒否になったとしてもだいぶ後の話になります。それに登校拒否になった理由が心を病んだせいなのかどうか今のところはわかってません。勉学に意欲を失ったのかもしれませんから。

りびけんりびけん 2009/02/18 18:08 いつも愉しみに拝読しています。以下、多分に蛇足であろうかとも思うのですが、未だ出ていない話題のようですので失敬して。

僕は栃木県出身で東京の大学を中退した(正確には成績不良で除籍された)者です。時期もちとズレますし唐沢さんとは大学も違うのですが、まず地方出身者が東京の大学に入学する場合に、「近隣在住の保証人」が求められたものと記憶しています(僕の場合は「世田谷在住の伯母」でした)。そして除籍なり中退なり休学なり(卒業していない場合にはこのいずれかでしょう)する場合には、保護者と保証人には連絡が行ったものと思うのですよ。僕のときには来ました。

唐沢さんが学費を自弁していたとも思えないこともあり(僕は自弁していたらものすごくたいへんだったんです)、そうすると卒業しなかった場合には学費をもっていた保護者とか、あるいは東京での保証人なりに連絡が行って、こんどは保証人なり保護者からから苦情が来るくらいの状況は容易に想定できます。それを記憶していないということが有り得るのでしょうかしら。

邪推にすぎませんが、考えられる状況としては「卒業したことを知らなかった」というのがいちばんでしょうか。「卒業したかどうかが判らない」という状況は卒業していない場合には有り得なくて、もうひとつの状況については記述を自粛させていただきます。

あまり役に立たない話ですみませんでした。

kensyouhankensyouhan 2009/02/18 19:55 コメントありがとうございます。
唐沢俊一は学生当時月7万円の仕送りをもらうなど割と恵まれた状況にあったようです。
まあ、東北薬科大学に進むことになっていたから青学を中退していても唐沢のご両親は文句を言わなかったとは思いますが。

ふるかわふるかわ 2009/02/18 23:06 kensyouhan様
コメントをつけるところを間違えてしまいました。申し訳ありません。
コメント欄でやや口汚い文章を見かけましたので、ちょっと可哀想に思った次第です。
恥ずかしながら私も自分の大学の卒業の経緯を覚えていませんので、唐沢氏のあいまいな記憶?についてもなんら不思議に思いません。
「その時期に心を病んでいれば」は全くの仮定です。まったく無視して下さってもかまいません。
ただ、近い時期に本当に心を病んだらしく、親に田舎生活を強いられることは強いストレスになったであろうとは思うので、何の根拠もないわけではないつもりでいます。

えのえの 2009/02/19 06:49 まあ国会議員ですら自分が大学を出たかどうか把握してなくて、大変なことになってしまう人がいるくらいですから、そういうことって結構あるのでは、と思いました。

kensyouhankensyouhan 2009/02/19 15:23 コメントありがとうございます。

>ふるかわさん
重複したコメントは削除させていただきましたのでご了承してください。
>コメント欄でやや口汚い文章を見かけましたので、ちょっと可哀想に思った次第です
何が「口汚い」のかわかりませんが、可哀想に思うのはしょうのないことなので、ふるかわさんに嫌な思いをさせてしまったことを申し訳なく思います。
>恥ずかしながら私も自分の大学の卒業の経緯を覚えていませんので
でも卒業したかどうかは覚えてますよね?問題になっているは「経緯」ではなく「結果」です。
>何の根拠もないわけではないつもりでいます。
もちろんそうでしょう。ただ、ふるかわさんのお話はどうも抽象的なので自分としてはお答えのしようがありません。

>えのさん
古賀潤一郎氏のことですか?彼の場合は他にも経歴に怪しい点があるので、本当に覚えていなかったかは疑問ではあります。