佐渡流罪が赦免された大聖人は文永11年(1274)3月26日に鎌倉に戻り同年4月8日に平左衛門尉と対面し3度目の国家諌暁をするも聞き入れられず身延に入山されますが、生きて2度とは帰れないといわれた佐渡流罪から大聖人が戻られたことは門下一同には大きな喜びであり就中竜の口の頸の座までお供し殉教すら決意した四条金吾の喜びは測り知れません。金吾はその歓喜と大確信に立ち主君・江間氏に対して文永11年9月に折伏を敢行します。江間氏は極楽寺良寛の熱心な信徒でしたがそれまでは金吾の法華信仰に対して咎めることも無く主従関係は和やかでしたが折伏後を機に金吾は主君より不興を買うことになります。そこから金吾の人生中で…