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中途失聴

一般

中途失聴

ちゅうとしっちょう

中途失聴者 (以下、定義ではなく区分に関する記述)

概して自分を意識しはじめる思春期あたりから聴覚障害を背負い、

日本語が重要なコミュニケーション手段になっている人。(音声で話し、補聴器・筆談などを活用して聴く)。健聴者から聴覚障害者になった人は、完全に失聴した人ばかりではない。従って、失聴という言葉にひっかかって、難聴者あるいは中途難聴者と自己表明する人もいるが、これでは混乱を招く。中途失聴者というカテゴリーの重要なポイントは、元健聴者であることを示す"中途"という言葉にあるとすれば、中途失聴者よりむしろ中途聴覚障害者と表現したほうがわかりやすいように思われる。

以上、『新しい聴覚障害者像を求めて』(全日本ろうあ連盟出版局1991)


※以下は、現代思想(総特集ろう文化)1996年の「"ろう者とは誰か/手話はだれのものか"」における、木村晴美(ろう者)と長谷川洋(中途失聴者)、他の討論を、山口利勝が『中途失聴難聴者の世界』において論じた部分を参照した

木村晴美氏の定義

聴者、健聴者を経験した後に聴力がなくなった人

■長谷川洋氏の定義

聞こえなくなったことが意識されて記憶に残っている人

日本語をある程度身につけたあとで聞こえなくなった人

■二人の共通点

健聴者としての経験を持ったあとに聞こえなくなった人

聴覚障害を背負った時期については明言せず)

■木村の定義の問題点

幼児期までに聴覚障害を負った人を、ろう学校の経験によりろう者難聴者に分け、健聴者から聴覚障害者となった人を中途失聴者ととらえている点はわかりやすいが、定義から外れてしまう人(たとえば普通校にインテグレートしていても日本手話をマスターし、ろう団体に所属している人、難聴者と自己表明している高齢者)の扱いが不明。

ろう者難聴者の確執=幼児期までに聴覚障害を負った人たちが、ろう者難聴者に分かれていることから生じる。

■長谷川の定義の問題点

ろう者ではアイデンティティに、難聴者では聴能に、中途失聴者では耳が悪くなったことに対する意識に、焦点を当てている。(定義に分類基準がないのは、定義からもれる者に対する配慮か?それにしても不明瞭だ)