元禄6年10月17日。中嶋勘助は知行所がとてもよくないので、知行を召し上げ、御蔵米100石を拝領したいと先の御代に願い出ていたが、未だ果たせないでいた。当御代に触れがあって、先の御代に願い出たことは軽重に関わらずもう一度申し上げるようにと。このため勘助はまた願い出た。その文言に先の御代に願い出たとは書かなかったのは尤もなことであった。御触には先の御代に願い出た輩は申し上げるようにとあるから、それは敢えて書かないのは当然であった。この度江戸で詮議の際には、大和守は尾張、淡路は江戸、丹後は道中、玄蕃・美濃はどこにいるのかわからなかった。それでも御仕置とは早急におこなわれるものであった。江戸で御用達…