開成と伊江島中高キャンプ

 最近も、75歳の高校生と自己紹介しました。
成長がないと言えば、成長がないのです。しかし高校生時代にキリスト信仰に導かれた事実が、現在のあり方に大きく関わっているのです。
 25年の沖縄滞在の期間、中高生のための伊江島キャンプに深く関わり続けた恵みを改めて感謝し、キャンプに参加した方々の現在のため祈ります。
 そして以前書いた、以下の文章を再読するのです。


開成と伊江島中高キャンプ

1.沖縄に移って
 1986年4月1日、東京の青梅キリスト教会から首里福音教会へ家族と共に移り、その後25年沖縄で生活を続けました。
1957年(昭和32年)開成卒の、しかも同じ二組だったY君は、私より何年も先に来沖。糸満で歯科医として活躍。彼と本当に久し振りに再会しました。開成の同級生と沖縄で21世紀を迎えるなどとは、まさに夢のような話です。
 2002年、私たち二人が沖縄にいることもあって、1957年卒同期会の「卒業45周年記念沖縄旅行」が二泊三日で実現しました。その最終日には、学友一同が当時私が牧師であった首里福音教会を訪問してくれました。その時、私たちが在学当時の曾禰武校長が優れた科学者であるばかりでなく、戦前から熱心なキリスト者である事実を伝え、曾禰先生が戦前に書かれたものの中から、「聖書と文学」と「二大科学者の信仰と生活――ファラデーとマクスウェル」の二本の論文を紹介しました。
また1963年卒で、キリスト新聞社で活躍していた、E君の労作、『開成とキリスト教』(E事務所、1996年)を一行に手渡すことができたのも、幸いな思い出です。

2.伊江島主僕キャンプ
 沖縄での働きの中で大切なものの一つと理解し、私なりに力を注いできたのは、中・高生を対象とする「伊江島中高キャンプ」でした。
本部半島北西、東シナ海に浮かぶ伊江島。1993年春休みの期間に、第一回春の中・高生キャンプをテントで行ないました。しかし、小雨だったこともあり、いくら沖縄でも3月にテントではということで、翌年からは春は民宿を借り、夏は村営のキャンプ場にテントをいくつも張って、恵まれた自然環境の中で聖書を学び、スポーツを楽しんだのです。
 その後、春のキャンプは民宿からリゾートホテルYYYへと場所を移しました。春のキャンプの特徴は、社会の現場でキリスト信仰を身をもって証ししている様々な職業の方々を講師に迎えたことです。たとえば、畳職人の教会役員が『キリスト者職人としての喜びと祝福』との題で話をしてくれました。またオリブ山病院の院長は『病院で働く人々――こんな仕事も病院で――』、さらにある弁護士は『神の律法、日本の法律――面白いよ司法の仕事――』などと、それぞれの主題で中・高生にわかるように、しかし程度を下げることなく真剣に語ってくれました。
 ある年には、私の開成中学1年時の同級生・O君が、日本経済新聞記者・編集者としての経験から、聖書を一冊の本と見る視点から、興味深い話をしてくれました。
 夏のキャンプはテントで継続してきましたが、集中豪雨に遭い大変な経験をした後、春と同じくYYYで行なうことになりました。
伊江島中高キャンプは、それなりの志を与えられ、歩みを継続したのです。 生活・生涯のただ中で聖書に傾聴、聖書で人生、宇宙・万物を読む道を、中高生に全力を注いで伝えたいとの志です。教会は本来、現在の病院、ホテル、学校、食堂、農場などの役割を含む、全人格的で豊かな交わりの場であったはずです。この原点を見定めて、伊江島中高キャンプでは、一つ一つのこと、ひとりびとりとの関わりに、心を込める営みをなし続けてきたつもりです。

3. 開成で学んだことが・・・
 上記のような思いで伊江島中高キャンプの働きを継続しながら、自分の中に開成で学んだことが深く影響を与えていると認めるようになりました。たとえば、以下の二つのことです。
(1)中・高生に焦点を絞る 
 開成の長い伝統は、まさに中高生に焦点を絞る教育であった事実は、万人が認めるところです。中高の上に大学設置など決して考えず、ただひたすら中・高生の教育に当たる。その結果、数多くの優れた大学教授や学長を生み出し、それぞれの大学教育の場で豊かな実を結んでいる事実を誰も否定できません。
 中・高生時代が人の一生にとって、どれ程大切な根の営みの日々であるか、私なりに経験してきました。開成高校時代にキリスト信仰に導かれ、その道を歩み続け、沖縄で伊江島中高キャンプに思いを注いだ経験をと覚えるとき、その背後に開成で中高生に焦点を絞る方針を身をもって学んだことが、確かに力になっていると認めざるをえないのです。

(2)本物の人物との出会い 
 大野晋先輩の『日本語と私』(朝日新聞社、1999年)を繰り返し読みました。「国語学者が綴る自伝的エッセイ」と紹介されているこの貴重な本の中に、「中学校の先生」という項目があります。その文頭は、「開成中学の二人の国語の先生を思い出す。その一人は板谷菊男先生。私が生徒だった昭和一桁の終りごろ、先生は三十歳代の後半、まだ四十歳にとどいておいでではなかったろう」と書き出され、感動的な文章が続きます。大野先輩から二十年後、私も板谷先生から授業を受ける特権にあずかりました。大野先輩とは比較にならないレベルではあります。しかし私は私なりに板谷先生という本物の人物との出会いにより、他の学友と同様、自分の存在の奥深く影響を受け続けてきたと改めて気付かされたのです。
 そして心を定めたのです。伊江島のキャンプで本物の人物を中・高生に紹介し続けたいと。
  『汝(なんじ)の少(わか)き日に汝の造(つくり)主(ぬし)を記(おぼ)えよ』(文語訳聖書、伝道之書12章1節)