「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 しばらく経過後 再開④

「聖書をメガネに 桐生悠々の名を初めて聞いたあの時」の,小さくない恵みの波紋 しばらく経過後 再開④

第十三話 神のものは神に返しなさい(マタイによる福音書 第二十二章一五〜二二)

それから、ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉じりをとらえて、罠にかけようかと相談した。そして、その弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか。お教えください。皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。」イエスは彼らの悪意に気づいて言われた。「偽善者たち、なぜ、わたしを試そうとするのか。税金に納めるお金を見せなさい。」彼らがデナリオン銀貨を持ってくると、イエスは、「これはだれの肖像と銘か」と言われた。彼らは、「皇帝のものです」と言った。すると、イエスは言われた。「では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らはこれを聞いて驚き、イエスをその場に残して立ち去った。

夏休みが終わりました。終わってみますと、なんだかとても短かったように思えませんか。楽しいことがたくさんあったので、もっともっと夏休みが続くといいのになあと思った人もいるかも知れませんね。みなさんの中にはいないと思いますが、学校がなければいいのになあって考える人もいるようです。日本の国では、法律で、わたしたちが教育を受けるように決められています。わたしたちの周りにはいろいろな法律があります。


エスさまがいらっしゃった時代、ユダヤの人々はローマの国に税金を納めなければなりませんでした。ローマの国の法律でそのように決まっていたのです。二千年の昔、「すべての道はローマに通じる」と言われるくらいに、ローマの国は世界を支配していたのです。ローマには「皇帝」とよばれて、人々から畏れられていた人がいました。ユダヤの国もそのローマ皇帝に支配されていました。

ですから、ユダヤの人々はいろいろとお金や作物で税金を、ローマの国へ納めなければなりませんでした。地税として、獲れた穀物や葡萄酒の一部を納めること、所得税として、収入の一部を納めること、また、今朝の聖書のお話に関係があります人頭税という税金もありました。男子は十四歳、女子は十二歳から税金をローマの国へ納めなければなりませんでした。今の時代でしたら、中学生から六十五歳まで納めるのです。その金額が一デナリオンという額でした。一デナリオンは、その頃の時代には一日働いて得られるお給料でした。

ところで、ユダヤの国にイエスさまがお生まれになってから、イエスさまは、父なる神さまこそ本当に人間を支配していらっしゃるお方だと説いてきました。イエスさまは律法のうちで最も大切なことは、「わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」というみ言葉だとおっしゃっていました。神さまを自分のすべてをもって愛しなさい。けれども、イエスさまはけっして弱さやみにくさを持っている人間のことを、忘れてしまわれる方ではありません。善いサマリア人のお話にあるとおり、「隣人を自分のように愛する」ことを、だれよりも心がけ実行されたお方です。

そのようなイエスさまを、エルサレムへお迎えした群衆は、「ダビデの子にホサナ、主の名によってこられる方に祝福があるように。いと高きところにホサナ」と、偉大な王さまをお迎えするときのように叫びました。「マタイによる福音書」第二十二章一〜一一に、このことが描かれています。

エスさまの福音をどうしても信じられなかったパリサイ派の人々は、なんとかしてイエスさまの言葉じりをとらえて、罠にかけようと相談します。日頃は、あまり仲の良くないヘロデ派の人なのですが、ローマ皇帝を崇めているこの派の人を、一緒につれてイエスさまのところへ行きました。そして、お世辞を言います。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基いて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。」お世辞なのですがこの言葉には、それこそほんとうのイエスさまが言い表されていますから不思議です。でもパリサイ派の人々は、自分の口からでることばの本当の意味を知ることはできませんでした。ですから、続いておかしな質問をしてイエスさまを試みようとします。

「皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか。」その時代、ローマ皇帝は神さまとして人々から礼拝されていましたし、ローマの支配のもとにある国々を治める力はすごいものでしたから、これらの意地悪な人たちは、イエスさまのお答えがどのようになるか、かたずを飲んで待ちました。

もしも、「律法に適っている」とお答えになれば、神さまお一人を主とされる神の律法に背きます。それは日頃、イエスさまが説いていらっしゃることと矛盾しますから、律法に厳格なパリサイ派の人には、イエスさまを訴えるのに好都合です。また、「律法に適っていない」とお答えになれば、税金を皇帝に納めないことになりますから、ヘロデ派の人に訴えられます。

ところが、イエスさまは、「それでは、デナリオン銀貨をここに持ってきて見せなさい」とおっしゃいました。デナリオン銀貨は、先ほど話しましたように、十二歳や十四歳から納める税金のお金です。一デナリオン銀貨には、ローマ皇帝の顔が描かれていて、皇帝の名前がついていました。それは、皇帝がこの世界で、どれほど権威を広げて支配しているかを示していました。
エスさまは、「これは誰の肖像と名か」と、いじわるな人たちに尋ねます。人々は、「皇帝のもの」だと答えます。すると、人々が思いもよらなかったことに、イエスさまは「皇帝のものは皇帝に」と言われ、つづいて「神のものは神に返しなさい」と、権威を持って言われたので、さしものいじわるい人々もたいへん驚きました。皇帝が発行している銀貨が税金として使われるために、皇帝のもとへ返って行くことを、神さまの問題として混同するようなことはなさいませんでした。イエスさまは神さまとこの世の皇帝とを、はっきり区別をされたのです。

そして、「神のものは神に返しなさい」と、たいへん大切なことをおっしゃいました。聖書に書いてあるとおり、神さまの似姿として神さまがお造りになった人間は、「では、誰のものですか」と、尋ね返していらっしゃるみたいですね。
わたしたち一人一人は、はたして自分は神さまに創られたのだと信じているでしょうか。「神さまのものは神さまに返しなさい」と、イエスさまに呼びかけられて、あらためて、自分が神さまに造られ、神さまのものだったと思いだして驚くのではないでしょうか。イエスさまを救い主と信じるわたしたちは、それなら、神さまにふさわしいものとして、神さまに喜んでいただけるものをお返ししたいと思います。それはいったいなんでしょうか。イエスさまのみ言葉に耳をかたむけて、つねに新しく生かされていくことではないでしょうか。イエスさまのみ救いを感謝して受けることではないでしょうか。

父なる神さま。
わたしたちが、あなたのものであり、つねに、あなたに返るものでありますことを思い出させてください。アーメン。

一九八九・九・三