ザッツ・エンタテインメント コレクターズ・ボックス 〈5枚組〉

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ザッツ・エンタテインメント コレクターズ・ボックス 〈5枚組〉 [DVD]

ザッツ・エンタテインメント コレクターズ・ボックス 〈5枚組〉 [DVD]



MGM黄金期のミュージカル、コメディなどの名場面をまとめたアンソロジー・シリーズ。往年の大スター(みんなイメージよりも少し……かなり?老けている)が自ら語るその時代と作品。もう、黙って大人しく見るなんて不可能。自分でも歌い、体を揺らし、そして思い出を語りつつ堪能した。
豪華な衣裳、複雑なステップ、馬鹿馬鹿しいほど大規模な群舞、天才的ダンサー、天使の歌声……全てが楽しめる豪華な大人のおもちゃ箱。それがこのDVDだ。
私はミュージカルが好きだ。しかし、特定のものだけである。名作との呼び声高いウェストサイド物語は好みじゃない。劇団四季にも、その他舞台のミュージカルにもほとんど関心がない。大好きなのは、明るく華やかなミュージカル映画の数々だ。
オズの魔法使」(1939) 「巴里のアメリカ人」(1951)「雨に唄えば」(1952)「掠奪された七人の花嫁」(1954)(以上MGMミュージカル)、「ホワイト・クリスマス」(1954)「メリー・ポピンズ」(1964) 「サウンド・オブ・ミュージック」(1965)「チキ・チキ・バン・バン」(1968)……総合して言えることは、「カラフルで能天気」である。SF作家のコニー・ウィリスは、小説「リメイク」の中で言った。「50年代のミュージカルは、無邪気な希望と無害な欲望の世界を描いていた。」。以上のラインナップの中で一番状況がシリアスなのが、二次大戦に巻き込まれる家族を描いた「サウンド・オブ……」であることからもそれはお分かりいただけることかと思う。それでも風光明媚なザルツブルグを背景に歌い踊りまくるのだが。
しかし、製作時の時代背景は、一概に能天気と言えるものではない。「オズの魔法使」公開の1939年はドイツがポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まった年である。その他の作品は戦後にはなるものの、赤狩りケネディ大統領暗殺、ベトナム戦争と明るいばかりのご時勢ではない。現実逃避としての夢の世界だろうか?いや、そうは思わない。チャップリンが戦中に「独裁者」でヒトラーを笑いのめした勇気とは違うかもしれない。だが、厳しい現実の中で大袈裟なハッピーエンドを量産することは、人々が夢や希望に渇望していた証ではあるまいか?それに答えていたミュージカル映画の数々は、単に気楽なばかりではない……のかもしれない。いや、見た目は完全に能天気なんだが。


前述の「リメイク」の中で、作者のウィリスは綺羅星の頂点に輝く天才ダンサー、フレッド・アステアを絶賛している。誰だってする。あのステップ、重力から逃れ、優雅さを具現化したようなあのダンスを見て心を奪われない人がいるだろうか。
対して力強くも軽やかなジーン・ケリー。どんなダンサーと組んでも、彼よりも大腿筋が発達している人なんていない。ステージを蹴る力強いステップ、高いジャンプ……フランク・シナトラと組んだシーンを見ると、ジャンプの高さ、体の傾け具合、スピード、動作の後の余裕がまるで違う。シナトラ、声は嫌いじゃないが……好みじゃないので見る目が厳しい。
しなやかで柔らかいドナルド・オコナー、恐るべきタップを繰り出すエレノア・パウエル、スカートがめくれることに躊躇しないシド・チャリス、回り続けるアン・ミラー、伝説のデビー・レイノルズ、いつも水着で泳いでるエスター・ウィリアムズ、そしてジュディ・ガーランドと、彼女に歌を捧げられる”レット・バトラー”ことクラーク・ゲーブル。彼が歌って踊っていたこと、皆さんご存知?
このようなスターたちが一堂に会する本作は、ミュージカル映画のみならず、アメリカ映画を愛する人ならば涙なしには見通せない作品である。エスター・ウィリアムズのシーンだけは、掛け値なしに笑えるが。冷静に評価を下せないので、感情的に★★★★★★★★★★★。

しゃばけ

しゃばけ

しゃばけ



表紙の可愛らしさに惹かれて手に取った。どんなもんでしょうね、と思いつつ。
最初は、この設定は「百鬼夜行抄」か?などと目をすがめて見ていたが、読み進む内にそんなことはどうでもよくなった。面白いのだ。


時は江戸時代。所はお江戸、日本橋界隈。主人公は廻船問屋の一人息子、一太郎、十七歳。幼時より体が弱く、死にかけたことも一度や二度ではない。息子を溺愛する両親が、彼を助けるための薬を取り寄せ続けた結果、とうとう薬種問屋まで開業してしまったくらいである。
一太郎のそばには、幼い日よりいつも手代の佐助と仁吉がいる。彼等の本当の名は、犬神と白沢……妖怪である。今は亡き祖父が、十年前に孫を守るようにと連れて来たのだ。彼等は人の姿をしているし、店の仕事もこなしているが、一太郎にはそれ以外の妖(あやかし)も見えるのだった。家財道具の付裳神(つくもがみ・器物が百年の時を経て化す妖怪)、家鳴りを起こす小鬼、鬼火etc.、etc.。
吹けば死ぬような主人公、菓子屋の跡継ぎなのに宿命的に腕が悪い幼馴染、息子を甘やかすことに血道をあげる両親、若旦那命の妖怪手代二人、敵か味方か屏風の付裳神……登場人物が実に魅力的に、生き生きと描かれている。
特に主人公の造形が秀逸。大店、蔵持ちの家に生を受け、蝶よ花よと育てられたにも関わらず、生来の病弱が幸いして(?)放蕩に陥るでもなく、傲慢になるでもなし。自分がこんにち生きていることを、日々感謝しつつ暮らしている。でも、自分の弱さや、仕事に必要とされないこと、それなのに恵まれすぎていること……そんなことが時折気になる年頃でもある。


そんな時、内緒で一人外出した帰り道で、一太郎は人殺しに出くわしてしまう。妖怪の協力を得てすんでのところで逃げ出すも、そこから奇怪な事件は発展をとげることとなる。史上最弱を誇る探偵の、大江戸妖怪捜査帳。体が弱いから苦労も多い。「格好わるいねえ。鬼退治に行く武将は、疲れたからって寝込んだりしないものだよ。」と自嘲したりもする。こういう描写も、またいい。続巻も是非読みたいものである。★★★★☆