痛恨事─集英社文庫NEWS

集英社文庫NEWS、vol.13を4月下旬の新潟市内萬松堂書店で手に入れた。昨年4月から8月までの5号をわたしは持っていて当ブログでもそのつど紹介してきた。それなのに昨年9月号を書店で探しあぐね手に入れることができず「多分この企画ポシャったんだろうな」と推測してしまい簡単にその後諦めたのが運の尽きだ。文庫NEWSがその後も続いていたのを知らないわたしは、浅はかにも「昨年文庫事情NEWS」で高々と哄笑しました、すまぬことです。

http://d.hatena.ne.jp/kotiqsai/20080109#1199875121

何のことはない、web上にバックナンバーがあるじゃないか。

http://bunko.shueisha.co.jp/news/index.html

とはいえ4月末に書店レジ脇に置かれていた文庫NEWS、1ヶ月遅れの3月号だ、このあたりにわが失念の理由もあろうというものです。つまりはノベリティ事情、書店のサービスとか出版社・取次ぎの配慮とか
他の地域では知らず、新潟市内にお住まいの石丸硬骨魚さんの書店状況はまあわりと恵まれていて職場のジャスコには未来屋書店、けっこう大きいが文学文芸関係は非常に弱い。文庫の新刊もあまり並ばない。帰る途中に戸田書店、これはロードサイド書店としてはまあまあの規模。大手文庫や文藝春秋の新刊は大概並んでいる。家の近くにはデッキイ401という複合商業施設、そこにはくまざわ書店、父の葬儀の時生花を届けてくれた。ここも未来屋さんと同規模。文庫の新刊に関してはやっぱり見劣り。
まあ、WAONユーザーの硬骨魚さんとしては未来屋書店を贔屓にしたいのだけれどなかなか品揃えに不満があるので、しかたなくお休みの日なんかに自転車で新潟駅裏のジュンク堂、万代シティの紀伊国屋へ。その2軒があるせいで書店には不自由していないのですが、ここまで挙げた大手書店ではノベリティが限定されてるんだよね。大きな書店って多くの書籍をならべることがサービスなのです。それはわかるがコレクターには冷たいわけだ。
書店でのノベリティのあり方ってまあけっこう個性的で、そのあたりは「本の雑誌」あたりで扱っているのか、どちらにしろ門外漢のわたしにはよくわからない。栞などはわりとまめか、夏なんかの「…文庫の100冊」あたりもよく出ている。でもそれ以外となるとなかなか置いてくれる書店って見当たらないんですよね。集英社文庫NEWSに関しては、わたしの知るかぎり萬松堂・北光社という地元老舗の2書店でのみ配布されていた─それも昨年8月以降はいったん撤去された…そのへん、あまり頻繁にその2軒に寄らなかったので(古町にある両書店なので冬場などなかなか行きづらい)いつから復活したのかなど不明な点もある。
まあ、何にしろわたしのコレクションは無意味になりました。でもそういう状況なのだとすればはじめから書店関連ノベリティを集めようとするなら、もうすこし押しが強いとか(書店で一声かけてみるとか、出版社に連絡するとか)人間性なども加味されるだろうし、でもそれには限界があったのだといういいわけコーナー終了。

 光文社文庫 2008年4月チラシの紹介

光文社文庫 4月の新刊

花畑のチャップリン

光文社文庫のカバーが変わりました 上品な色づかいの新カバーをぜひ、書店などでご覧下さい
赤川次郎
三毛猫ホームズの降霊会

鯨統一郎
鬼のすべて

高任和夫
偽装報告

島村洋子
あんたのバラード

上田早夕里
美月の残香

小杉健次
原島弁護士の愛と悲しみ

和久峻三
赤かぶ検事シリーズ 吉野山 千本桜殺人事件

佐藤正午
象を洗う

阿川弘之
自由主義者の憤慨録 国を思うて何が悪い <新装版>

結城昌治
結城昌治コレクション ゴメスの名はゴメス

庄司圭太
天保悪党伝 二 闇に棲む鬼

稲葉稔
研ぎ師人情始末 七 おしどり夫婦

内田康夫
浅見光彦のミステリー紀行 総集編 2


お知らせ 門田泰明「一閃なり(下)」5月13日発売決定

江戸川乱歩全集を全巻セットで
読み継がれる名著
光文社古典新訳文庫
光文社文庫 5月刊<予告>
内田康夫のミステリアス・ワールド 旅と推理で紡ぐ日本の心 ミステリー文学資料館


光文社文庫チラシ08年3月はこちらにあります

 光文社文庫 08年4月刊 佐藤正午 象を洗う

象を洗う (光文社文庫)

象を洗う (光文社文庫)

01年に岩波書店から刊行されたエッセイ集。岩波の編集者が掌編小説も含めまとめたものだとあとがきに記されている。どうして岩波文庫から刊行されないのか─現代文庫がなくなったからですね。連載された2つのシリーズものは90年代の初めのもののようで色褪せたとはいわないが、すこし淋しい読書体験ではありました。
「性格について」というエッセイでのエピソード、かつてみたはずの映画なのにみたことすらまったく覚えていない数人で、そのビデオを見ていたらおたがい別々のシーンで「あ、この映画見ている」と気付いたっていうエピソードがでていて、ちょっとナンシー関「記憶スケッチアカデミー」を思い出した。

前略…
ナンシー関 たとえると、パソコンでテキスト(文字)は容量少なくて済むけど、画像になると急に容量を使うじゃないですか。なんか、画像として記憶にとどめておくのって、けっこう大変なことなんじゃないのかな
いとうせいこう そっかそっか、そうだよね。それを脳の細胞の中に蓄積するためには、それなりのエネルギーが必要なわけだから、電気信号とか。それをなるべく少なく怠けて生きている。脳味噌は数パーセントしか使ってないとか、言うじゃない。…(略)…「カエルは緑」とか「太陽は丸い」って言う言葉で記憶するほうが楽だからさ。記憶はズルのかたまり。
押切伸一 そういうことはあるかもね。
ナンシー さっきニワトリも、4本足のニワトリなんてみたことあるわけないじゃないですか。過去に見たことのあるニワトリのビジュアルを思い出す作業より、ニワトリっていうキーワードで辞書を引いてしまうんじゃないかな。
押切 記憶の辞書化ってことか。
ナンシー でも、自分の辞書にはニワトリの脚に関するデータが載ってない。そんな時に4本描いてしまう。
いとう そーかそーか。抜け落ちているから、違うものを持ってきて補うってことでしょう。トラとかを持ってきて補完しようとする。…(以下略)
  ナンシー関の記憶スケッチアカデミー  3 記憶スケッチ学会座談会より

脳科学者もびっくりみたいな指摘に驚く。あれ(「記憶スケッチ…」)はある種ものすごい奇書ではあったな。あれれ、佐藤正午の「性格について」の感想はどうなったのか。
箸を忘れたって話も面白かったな。あまたの母親は忘れ物をするという指摘が正しいとは思わない。わたしくらい忘れ物する人物も少ないので他者を貶めるスローガンの片棒をかつぐ気はないだけ。でも「忘れ物」というエッセイの後半で、出前で箸を忘れたくせに電話をしてきたお客を叱る(それも怒鳴る)食堂店主ってシェチュエィションはなんというのかわたしにとってすごく怖いものがある。理不尽というやつですね。電話してきた客にわたしは同情しますよ。
ま、それはともかくとても軽いタッチの雑文集で読みやすくてよかったです…って岩波文化人をそんなふうにあつかっていいのかしら。