FULIE FOREVER(2)(1999.1.1)

エスパルスかぁ...」ふと思った。
新聞で全員の移籍先が決まったと読んで、ところてんが発生しないものかと気にかけつつ、テレビの前で団欒のつづきとして、キックオフの時間を迎えた。
スタンドは埋まっていて、その色はかなり青く、白かった。思い出したシーンがあった。

くしくも、Jリーグ開幕戦を迎えたときと同じ組み合わせだった、この決戦。その時は、三ッ沢でのホームであるにもかかわらず、7割以上が遠来のエスパルスサポーター。
サッカーというものを、Jリーグの始まるかなり前から、地域の文化と一体化させている地域の、チーム。
最初からエスパルスは憧れであった。フリューゲルスはその対極にいる、と、ずっと思っていた。

結局、そのことが、チームがなくなる...ということに、最終的につながっていってしまった、のか。
決まってからの「活動」について、出来ることはしていこうと思っていたけど、どことなく「で、何が出来るのか」という思いを棄てきれずにいた自分。エスパルスや、コンサドーレにあって、フリューゲルスになかったもの。
...それは、こうなる前から、私の中ではかなり露になってきていたことだったのかも。

...今日のゲームを観ていて、忘れて没頭することはできたのだ。すごくポテンシャルの高いゲームであったから。
そして選手達の表情、満面の笑顔。

...本当に無力だったのか、
...本当に無力だったのだ?
...だって、何も思うことも、語ることも、出来ないではないか、実際...。

6年前の開幕戦で。「ファーストステージが終わる頃には、スタジアムのほとんどをウチのファンで埋め尽くすんだ!」と叫んだという山口(現在の)キャプテンが、国立のヒナ壇の高いところに立っていた。
「あぶないぃ(^^;)」と軽口をたたきながら、頬をこぼれていったものがあった。

選手は笑っているのに。これ以上ない笑顔をたたえているのに。

今日のことを、忘れずにいることだけが、今の私に出来ることなのか。
Jリーグは、どこに流れていけばいいのだろう。
その昔、フリューゲルスに注いで届かなかった思いを、どこにどのように持っていけばいいのだろう。

いつか、失くしたものの続きを拾いに、国立競技場に行ってみよう。
今日観たものは、とても素晴らしいものだった。それだけを思って。


※何も言わずにスタジアムを去り、はや2年くらいが経っています。
その理由が何であったかを考えるかたもあるでしょう。
自分でも考えないではありませんでした。
ごめんなさい。
共に闘って語って泣いて笑った方々に、今さらながら感謝をしたいです。今日はこんなところからですが。
6年間ありがとう。そしてどこかで逢いたい、そう思えてきました。

FULIE FOREVER(1) (1998.11-12)

1)そんなこととは思ってもみなかった1年前の暮れ

結局年の瀬を迎えるに至る。
年の瀬と言うのは翌日が元旦であることを意味する。
元旦には天皇杯の決勝がある。
準決勝を見て(惜しかったぞ、東京ガス。元旦に出てきたら楽しかったのになぁ)久しぶりにヒコーキに乗って国立に向かってみようかと思ってみたが、いろいろあって止めた。

日本代表が初めてのW杯出場を決めてからいろいろなコトがあった。
ことさら決めた人々のキャラクターがあからさまになり、非常にいそがしい状況を醸し出したような気がしてならなかった。
24から32に増えたところに滑り込んだばかりでどーしてそんなにという人も少なくなかった。
単純に喜んで何が悪いのか。と思えてならなかったりはした。

やがて、モノを単純に喜んだり悲しんだり出来ない事情の中には「サッカーが団体スポーツであり、個性の強い個々の選手たちのパッチワークで構成されている」ことに気付いた。サッカーが好きであると同時にひとりひとりの動きにココロを奪われることが往々にしてある。事実、元旦を決めたフリエの三浦淳宏フリーキックには、妙なる説得力があった。
フリエに関しては、ワタシの中でひとつだけ淋しい材料があった。戦力外となった選手が天皇杯の最初から姿をあらわさなかったことである。サンフレッチェが決勝に進んだとき、ゴリさん(=森山佳郎)がスタメンから出場し「あぁ、あれがこんどフリエに来るゴリさんじゃのぉ」としみじみ感じ入ったことがあったが。そのゴリさんもどーするのか...。
タケは京都サンガに行くことが正式に発表された。中河ピーコとか山田とか、あとワタシのココロのホープであった光岡もだ。
更に森保までレンタルするというでぁないか...。そうだ、京都行こう。ちゃららちゃららちゃららら...(屠蘇の前に壊れた)
なにはともあれ来年はW杯イヤーだ。よいお年を。

2)あの日の前のよるに

俄には信じ難いがその日が来てしまう。
なんとかかんとかしてきたが、ついにその日が来てしまう。

あのときから、フリエについて思いをめぐらせた。
今書くためのことばを持ち合わせていない、ということと、
あのときとても饒舌に、溢れんばかりの思いを注ぎこめていたのだなぁということを、
昔出していたペーパーを読みながら思った。

いろいろな事があって、意識的にサッカーを封印していた、というむきもある。
それは自分自身のキモチのことだったり、いろいろな関係のことだったり、
なくしたものの大きさだったり、いろいろなことがないまぜになって、
今年はほとんどサッカーに触れずに終わった。
準決勝の日も、有馬記念などを見ていた(^^;)

国立に行きたいと今年も思い(学習効果なし...上の文章参照)、今年も行かないことにした。
行ったら帰れないような気もした。
昔の自分に連れ去られるような気がしないでもなかった。
けっこう準決勝の記事で「森山」の2文字を見て、さらに「大嶽」の2文字などにも触れた、というのが、自分の中では大きすぎた。

もうサッカーは観ないというひともあり、
サッカーとはこれからも親密でいたいというひともあり、
いろいろなひとびとの出会いの場にもなった...そんな日々だった、そう思う。
まだ自分の中では終わっていないし、まだ閉じこめておきたいことは多々ありすぎる。
明日はそんなことが一気にテレビの前で噴射されてセルフパニックに陥ることになるのかもしれない。

なにはともあれ、悔いだけはいらない。せいいっぱい、せいいっぱい。

※帰省の飛行機は1月1日の最終、と決めていた時期があった。
国立競技場で天皇杯を観て、いろいろな方と新年の挨拶などをして、というのをパターンにしていた。
ここ2年は札幌にいたせいか、国立競技場に行くことをためらって、結局、行かなかった。
実はフリューゲルスが吸収される相手(?)チームのあるサポーター集団と懇意にさせていただいていて、元旦に挨拶をするのはこの面々がかなり多かったわけで、純粋に「あそこと合併するのはやだぁ」という人間ではなかった。が、或る個人的な理由で、このときはかなりサッカー場に行くこと自体を避けていたむきもある。
斯くして、私は1月1日を自宅のテレビの前で迎えることになった。それは別稿で。

ふしきせぼの:第11レース テセミヲオガエ(1999.11)

ぼんじゅーるむっしゅー。
コンドルくんとエビナさんのまゆげがかっこよかった。
福島にワイドを買いに行こうかなぁとなんとなく思う秋の昼下がり。

そんなことを聞かされるとは思いもせずに、いつものようにルションにいにあいさつ。

ルションにいはなぜか無口で、そして寝わらはみるたびに整理されていった。
なんだかやな予感がする。

「ルションにい、もしかして、何かあったの?」
「...来年、ホッカイドウに...イブリにいくことになった。」
「ホッカイドウ...、って、ゴエイテン?」
ホッカイドウかぁ...。
このシゴトには転勤というのがある、というのは知ってたつもりだった。現にキセキもあーいうシゴトのしかたをしている。そして、ぼくのいるところは特に転勤がおおい、というのは聞いていた。ぼくはここがとても好きだけど、いつかはどこかにいくことだって、きっとあるんだ。それは知ってる。
で、ぼくがここに来てから、ずっとぼくの隣にいた、あのルションにいが、ホッカイドウに戻るんだって...?
「...アケボノ」
ルションにいがクチをひらいた。
「ゴエイテン、じゃないぞ」
「?」
「エイテンとかサセンとか、そーいうことを、あまり言わないほうが、そのあとの自分のためになる」
「??」
「なんでお前がここにいるか、わかるか?」
「???」
「ここは、お前がいなきゃはじまらないところだからだ」
ぼくがいなきゃ...?
「テレビでも見るか」
ルションにいはテレビをつけた。さっきの言葉がぼくの中でぐるぐる回っている。
「で、だれか来るの...?」
「クリグリ...」
「クリリアントグリーン?」
「怒られてもしぃらないっと。クリスタルグリッターズっていう、イカシタやつだ」
「すっごい〜」
「でも、お前はお前で、今のままで、クリグリさんにも今のお前で接したらいい」
テレビはエリザベス女王杯をうつしていた。

「クロックちゃんだ...」
「クロックちゃん?」
「クロックちゃんは、このあたりで生まれた子なんだよ。秋華賞はびっくりしたなぁ」
「かわいい」
「いつかG1取らせてあげたいなぁ」
「...そういうことの繰り返しが、ぼくにルションにいのことを「ゴエイテン」なんて言わせなくする」
「ゴメイトウ」

その日、ぼくはルションにいと朝までいろいろなことを話した。元気でがんばっていようと約束した。
でも、ぼくはいつかホッカイドウに行って、バーリンちゃんにもういっかい会いたいなぁなんて思う。やっぱり。

ふしきせぼの:第10レース 空を見上げろ(1999.10)

凱旋門」という字を教えてくれと、パスから手紙がきた。
その前に「えてくれ」ってなんだ。

ようやく春がやってくる。
そしてシゴトは忙しい。
忙しいうちが華だというのはこのシゴトの常だから、気合いを入れて頑張らなければと思う。
3歳になった息子とか娘とかからも残暑見舞いが来たけれど、こっちは暑いわけじゃない。

フランスは雨らしい。
凱旋門賞、って、遠い世界にあるようではあったけれど、父親に教わった訳でもないけれど、今年もそんな日が来たんだと、感慨にふける。
去年もここゴウシュウで、いろいろな馬に教わりながら、それを見ていたと思う。
来年あたりはアケボノもこっちにくるのかな。それはいい。アケボノもそういうシゴトをするべきだ。勝手にそう思っているし、話はないでもないようだ。

あれ?
ついていたテレビで、凱旋門賞の前のレースが映し出される。
それと同時に...

「あ、キセキ...」
スタンドで手を振っているデカい馬をみつけた。
「あららら...」
それにしても、何故アケボノがフランスに見えるんだ...。

凱旋門賞観戦かぁ。いいなぁ」
「ちがうよ、いや、そうだけど。」
というとアケボノはおでこの月みたいに白くなっているところをすっとさすった。
「...そっかぁ。」 出走を待つ馬のなかに、おでこに月がある馬が。
「あ、そっかぁ。AW、頑張ってほしいねぇ」
アケボノ、興奮して聞いちゃいない。いいや。

アグネスワールド、ほにゃららビューテー、アグネスワールド、ほにゃららビューテー、アグネスワールド...」

歴史が動く。
その瞬間を見つめられた気もする。そして、それは僕の力にもきっとなる。きっと。

...しかしなぁ。アケボノ、マジでフランスに行ったのかなぁ。まさか...。

ふしきせぼの:第9レース とくべつ(1999.9)

そう。キセキはまたゴウシュウにいってしまった。
弟AWもフランスにいってしまった。
けっこう暇だ。
なんだか来年から忙しくなるらしいので、ことしのうちにバカンスをしてみたいと思ったのだけど。
札幌競馬場に展示されにいきたいなぁ。
なんだか、昼休みに展示されて、終わってから、専用席でご観戦のあとですすきのにつれていってもらえるらしい。
でも、ぼくはまだまだしんまいなので、21世紀までたのしみにとっておこうと思ってる。

来年から忙しくなる、かもしれないのって、
どうもキセキが「ニッポンにいる僕のトモダチ、いいよ」と、ゴウシュウのひとにぼくを紹介してくれたらしいのだ。
ぼくもタイキシャトルになれるのかもしれない。(←をいをい)
ゴウシュウにいくと、真夏にサンタクロースのふんそうをして展示される必要があるらしいけど。

と、ひとりごとの口だけが動くのって、なんだかさびしいなぁ。
だれか遊んでくれないかなぁ。
ルションにい、どうしてるかなぁ。

「いけぇ、いけ...!」
ルションにい、なんだか声をかけづらい雰囲気になってる。
なんだか興奮してるみたい。
ルションにいのばぼうからノックする音がきこえてきて、ぼくは顔を出した。

「アケボノぉ。見ろよぉぉぉ」
「どしたですか、ルションにい」
「...」
ルションにい、ことばがないらしい。
きょう中山でシンバ勝ちしたのは、おとうさんがルションにい、だけらしい。
ルションにいは、それぞれのおかあさんの顔を思いだして、語っていた。
「ルションにい」
「?」
「シズナイも楽しかった」
ルションにいが、シズナイからここに来た、というのは、何度となく聞いていた。
「ぼくの隣にいるのも、悪くないですよね」
「そりゃそうだ。で...」
ルションにいは、シズナイに戻りたいと言いそうになってたんだと思う。ぼくはここだけを知ってるけど、ルションにいは、津軽海峡をわたって、ここにやってきた。ぼくはもうすぐ海を渡るのかもしれない。キセキのおかげで。うーむ。
「ルションにい...」
たまらなく涙があふれてきそうになった。ルションにいは黙ってぼくのほうを見てた。
なぜか(なぜなんだ)バーリンちゃんの顔が頭に浮かんできた。

それからぼくはルションにいの部屋でいっしょにテレビをみてた。
ルソーが...。

キセキ、どうしてるかなぁ。
ドージマ先輩、弟をよろしく...。

そんなことを思いながら空を見上げる。うっすらとした月がなんだか笑いかけているようだった。

ふしきせぼの:第8レース イソイデ(1999.4)

春は来るのだろうか。かなり怪しい。
「もう何も信じない〜」と言いそうになる。
信じたくなくなっても、そうやっては、生きて行けないのだろうと思う。
なんでこういうことを日々続けているのだろうかと思いながらも、草をはむ。

珍しいヤツから手紙が来た。
手紙と言うよりは葉書だ。
「いろいろあってまた走っています。元気にやっていこうと思います。エビナさんがよろしくお伝えくださいとのことです。応援ありがとう」
アイツを応援した憶えはない。
ないけど、なんだか気持ちが...なんていうのかなぁ...。おぉぉぉぉぉぉ。
エビナさん?ん?なんだかなぁ...。

「お父さん嬉しそう。俺も嬉しい」
「??」雅彦じゃないか。
「雅彦、元気か〜」
「元気になってきた。皐月賞に出られるかもしれない」
「マジか?」
「俺800万なんだけど、上が回避したっていうから、抽選」
「...雅彦。」
「?」
「ひとの不幸を喜ぶヤツには、なるなよ。俺は、元気で走ってるだけで、嬉しいんだから」
「じゃぁ、そのうちホッカイルソーさんに挨拶に行けるように、頑張るよ」
雅彦もちょっとずつ大人になっている。
僕の知らないみちを走っていく。
もう僕は、アイツとは走れない。アイツは走ってる。そして雅彦も走ってる。

いつか、僕の不幸を喜んだ誰かがいて、そしてその誰かはどこかで別の物語を刻み始めている...のかもしれない。でもそれでもいいんだってやっと思えるようになったのだから。

ゆっくりと一歩一歩踏みしめるのも、先を急ぐのも、それぞれが宿命であるならば、せめてそれを受け入れるまでは楽しくありたい、そう思ったり。

「親になるって、すごいなぁ...」
そんなことを言ってアケボノがどきどきしていた、と、あとから聞いた。
そのうちわかるさ、とわかったような物の言い方をしてしまいそうな自分が嫌になったりした。
でも、そのうち、共有できるだろうな。
今まではずっと、「僕だけで」だったから。
渡辺先生と角田さんと蛯名さんに、手紙書こうかなァ。
桜花賞2頭出しっていうもんなぁ。桜花賞もいいなぁ。憧れるなぁ。
ごめんなさいエビナさん。すごくすごく世話になったのに、角田さんがいいなんて言って、僕はコドモすぎた。反省してる。ごめんなさい。ルソーに、そしてルソーを、よろしく。

ふしきせぼの:第7レース それでも雪だけが降ってる(1999.2)

バーリンちゃんがバーリンちゃんがバーリンちゃんが〜、やっぱりぼくのアタマの上を通り過ぎていったらしい。
やっぱりバーリンちゃんは遠くに行ってしまったのかなぁ。なんだかなぁ。

「兄貴、久しぶり(^^)」
「どうしてたぁ〜〜」
「ホッカイドウで美味しいもの食ってた。段々兄貴に似てきたよぉ」
「どこが〜?」とぼけてやるぅ(^^;)
「今年は頑張るから、兄貴もがんばれよ」
「わかった」
アグネスワールド。日本にいるぼくの弟。
前々から思っていたけど、ほんとうにぼくの弟。
「あ...それは?」
「復帰のお祝いを買ってもらったんだ。ドージマさんとパールさんに。」
「ドージマさん、元気?」
ドージマさんにはぼくもとても世話になってしまった。
「元気、元気」
「よろしく言ってね〜じゃ、元気でな」

ぼくに弟がいる。
ぼくそっくりの弟がいる。
そして、ぼくは去年の春にとてもたくさんのおねえさんと出会った。

コドモガデキル。

どんな気分なのかなぁ。なんだか心臓は高鳴っているんだけど。よくわからないなぁ。
ここに降っている雪のような色の子供もいるのかなぁ。
毛色色違いのそっくり、とかもいるみたいだしなぁ。キセキとまーちゃんみたいに。
うーん。

ふしぎだ。ふしぎだ。

キセキぃ〜〜。どきどきするよぉ。帰ってきてるんだったら声かけてよぉぉぉ。なんだかぼく...。