今週から猛暑復活?

◆ 昨日の天気とは異なり、暑い一日であった。ただ昨夜の雷雨には脅かされた。今朝は午前中から暑く、農作業にはしんどいものがある。始めてスイカを収穫してみた。甘さ猛威と雪かな?少し早すぎたかもしれない。もう少し光と水分が必要なのかもしれない。不作であったみょうがが成長してきたみたいである。これからがまさに本番かな?トマトの成長が弱いかな?栄養を与えなければなるまい。明日は曇りのち雨らしい。余り暑くはならないらしい。野菜の成長には良いのかもしれない。

 再開したアイデアマラソン3日目。これからが大変である。一つでも深く考え、ひらめきを実現で来たら最高である。今までも取り組んできたが、自分の思うようになることは少ない。でも、今の自分のために、将来の自分のために、発想であろう。人は考えることにより、酸素を使うそうだ。たんなる「ひらめき」から発送に。企画に変える努力を積み重ねて活きたいもである。

◆菅野、7回無失点9勝目!ナゴヤDで3タテ返し
 中日0─1巨人(28日・ナゴヤドーム) 巨人は菅野が7回85球2安打無失点の好投で9勝目。山口、西村とつないで中日打線に三塁を踏ませず完封。4回のボウカーの先制犠飛の1点を守りきり、敵地ナゴヤドームで3連勝。今月12〜14日に同じナゴヤドームで3タテを食ったリベンジをきっちり果たし、貯金を今季最多の21に伸ばした。

◆『クリエイティブディレクター 水野学』(2013年7月28日放送 23:21 - 23:51 TBS 「情熱大陸」より)
 経済効果300億円とも言われているくまモンの生みの親は、クリエイティブディレクターの水野学。これまでに宇多田ヒカルのCD広告デザインなどを手がけた。水野学が働く会社「グッドデザインカンパニー」は東京・恵比寿にある。水野は社員8人を抱え、多忙を極めている。デザイン面からブランドイメージを高める長期的なコンサルティングが多いという。この日は、神戸の洋菓子メーカー「ユーハイム」と打ち合わせをした。デザインはもとより、名称や販売戦略まで一任されている。水野は自分のことを「答え導き出しオタク」だと語った。くまモン誕生の舞台裏にも果てしない試行錯誤があった。基本デザインが出来上がると、微妙にニュアンスを変えて、3000種類余のサンプルを作成し、そこから最終デザインを絞り込む作業に入った。水野は「自分に自信がないことは最高の特技」だと語った。
 水野は妻と息子の3人暮らし。妻も水野の会社で働くスタッフの1人。水野は、家では台所に立つときもある。無心になれる大切な時間。軽やかに振舞っていはいるが、ストレスは計り知れない。水野が1972年に生まれ、小学5年生のときにアートの面白さを知った。多摩美術大学ではコンピューターグラフィックスを選考。25歳で独立して以来、独自のスタイルで仕事に取り組んできた。水野はクライアントからの要求とは別に、売り上げに貢献しそうなアイデアや改善策を積極的に提案する。東京ミッドタウンにある調味料の店「茅乃舎」は、店舗の内装も水野が手がけた。水野は茅乃舎の企業のマークも考えた。
 そうした中、水野は過労で倒れた。幸い、大事には至らなかった。仕事は病室にも追いかけてきた。ベッドの上でも茅乃舎のマークを考えた。何も知らないクライアントにマークを提案したところ、クライアントは快く了承した。水野ははしゃいで喜んだ。7月の始め、くまモン初のヨーロッパキャンペーンのため水野はフランス・パリにいた。このあと、ドイツ・イギリスを巡ったくまモンが大歓迎されたことは言うまでもない。帰国した水野はくまモンのCDジャケットを依頼された。くまモンのCDジャケットに使う顔のアップ1つにも水野のこだわりがあった。最終候補は3種類に絞られ、水野は自問自答を始めた。


(7月28日生まれの偉人)
◆大原 孫三郎(おおはら まごさぶろう、1880年7月28日 - 1943年1月18日)は日本の実業家。倉敷紡績クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。社会、文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補修学校(現岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。倉敷教会(後の日本基督教団倉敷教会)の最初の教会員。