『八ヶ岳南麓から』(上野千鶴子、山と渓谷社)を読む

1.茅野から、8日(水)に帰京しました。

滞在中、新緑が日ごとに濃くなり、店先には草花の鉢が並び、田植えも始まりました。農家が働く姿を眺めるのが好きです。

良く晴れた暑い日が多く、本を読んだり、軽食をとったり、庭で長く過ごしました。

2.畑を一緒にする年下の友人が、上野千鶴子さんの新著『八ヶ岳南麓から』

山と渓谷社)を貸してくれました。

(1) 上野さんは、1948年生れ、東大名誉教授。社会学が専門で、フェミニ

ズム研究の泰斗です。今年4月、米タイム誌が毎年選ぶ「世界で最も影響力がある100人」の一人に選ばれました。

(2) 約20年前に、八ヶ岳南麓山梨県北杜市の標高1000メートルの高原に家を建て、以来、東京との「二拠点生活」を続けています。

 

3.本書はその山暮らしを紹介したエッセイ集です。

(1)取り上げる内容はまず、四季の景色や草花を愛で、地産の食べ物を味わい、本と音楽に囲まれる静かな日々です。

(2) 例えば、「夏は食材が宝庫だ」として、野菜をメインにした「超簡単ク

ッキング」」を紹介します。

著者のレシピに沿って妻が早速作ってくれたのが、「レタスをおおぶりに割いてボウルに盛り上げる。その上に韓国海苔をもんで山のようにふりかける。それで終わり」。なかなかいけます。

(3) たしかにこの時期、当地でも地元の山菜が食べられます。畑仕事の合

い間に、同じ敷地に自生しているふきを取って、我が家の食卓を飾ります。

4.また、二拠点生活の利点として、コロナ禍を逆手にとったオンライン活用が語られます。「講演も、会議も・・・オンラインで全てOK,国際会議のお声が気軽にかかるようになった」。

移住者との付き合いを深め、相互扶助の人間関係も出来上がります。

趣味の車とスキーを存分に楽しみます。

5. しかし、自らを含めて高齢化が進み、老いを意識せざるを得ません。

相互扶助の近所づきあいも、「助けを必要とするひとたちが増えて、バランスが崩れた」。先に逝く人もあり、東京に引っ込んだ人もいます。

著者は、いまは当地を「終の住処」と考える気持が強いが、車をいつまで運転できるか、医療や介護をどうするかについても率直に語ります。

9歳年上の私の方は、著者に先だって、何れは二拠点生活を続けられなくなることを覚悟せざるを得ません。著者の問題意識や知見は考えさせられます。

6.最後に本書は、高原暮らしは「快適ばかりではない」と注意を促してくれます。

(1)例えば、冬の寒さは厳しく、暖房は必須で、薪ストーブが「いちばん」と勧められた。しかし「これだけに頼るわけにはいかない。なにしろおそろしく手間のかかるめんどうな子なのだ」。

全くその通りと頷きつつ読みます。

(2) その他、上水と下水、ごみの問題、アリや虫との闘い、鹿対策などなど。

(3) 前回触れたように、我が家は目下、ネズミ侵入にどう対処するかに悩まされています。本書を読むと、困っているのは私だけではないのだと、少し気楽な気持になります。

GWは今年も茅野の高原にて

  1. 今年もGWを挟んで2週間、長野県茅野で過ごしています。

昨年同様、JR「あずさ」とレンタカーの利用です。

山の家で、例年と変わらない穏やかな時間が流れます。

2. 4月末から5月初めは、この地の遅い春が日ごとに進みます。

到着時は,山桜が満開でした。花桃、スミレ、タンポポ、山吹、石楠花、雪柳、ツツジなど、一斉に咲き出しました。

新緑も日ごとに濃くなります。紅葉の葉も出て、普段はさほど目に付かない、小さな紅い花が咲きました。うぐいすの初音も聞こえます。

八ヶ岳に残る雪も少しずつ消えていきます。

 

3.山麓の気候は変わりやすいです。

(1) 良く晴れた暖かい日が続き、庭に出て、軽食をとり、読書にふける時

間があるかと思えば、終日小雨が降り続く肌寒い日もあり、室内で薪ストーブを焚きました。

(2) 連休中は好天だったので、若い世代は畑仕事に精を出しました。我々は勤労する姿を眺めるだけです。

彼らは、借りている畑(土地の所有主が、事前にトラクターで耕してくれます)で、鹿除けのネットやビニールシートを張り、畝をつくり、トマトのビニールハウスを建て、じゃがいもなどの植え付けをします。

大地の感触を味わいつつ、森林浴をするのは気持ちよいです。

 

(3)田には水が張られました。田植えも始まります。

 昨年の晩秋以来ここでしか会わない友人にも会いました。同じように都会からやってきた友人宅を訪れ、ワインを飲み、お喋りを楽しみました。

4.ということで、観光地にも行かず、平凡な日々ですが、今回の唯一の事件と言えば、ネズミ騒動です。

 

(1) 昨年11月初めに水抜きをし、閉めて帰った山の家を今年初めて訪れたと

ころ、冬の間にネズミが侵入していました。

(2)留守中ネズミに入られるのは初めてではありません。

「ネズミはプロでも見付けられない小さな穴から入ってくる。とくにお宅のような古い木造家屋を防ぐのはなかなか難しい」とは地元の建築業者の弁です。

(3)しかし今回は、大々的な侵入でした。事前の防止策を怠ったのも被害を大きくした一因のようです。

部屋はどこもかしこもフンだらけ、置いてあったお米や野鳥用のひまわりの種などの食べ物だけでなく紙類まであちこち食べ散らかし、かじった跡が・・・・。

到着日の午後は、二人で大掃除で終わりました。

(4)山の住まいは自然との共生、こういう事態も想定しないといけないのでしょう。

庭にやってくる小鳥やリスは、家の中に入ってくることはないので、姿を眺めて楽しんでいます。

しかし、野生動物はかわいいだけではありません。厳しい冬の間も、必死になって食べ物を探しているでしょう。

 先住民族である彼らを害獣扱いするのは気の毒かなと思いつつも、家の中まで荒らされては困ります。侵入防止策について地元の業者と相談せざるを得ないのです。

4年振り京都のいとこ会

1.4月20日の土曜日、日帰りで京都に出掛けました。

「いとこ会」と「かるた会」に出席するため、ホテルでの昼食と従妹の家でのかるた取り。合計6時間弱の短い滞在でした。

 その他は、京都駅の人の多さに驚き、ホテル17階の食堂から東山の姿を眺めただけでした。

2.少子化のいま、「いとこ」と言う言葉自体消えていくかもしれません。

(1)しかし、明治生まれの母であれば、兄妹が8人いました。

第2世代である「いとこ」が主になっても、賑やか好きな連中だったので、

食事とかるた会を兼ねた集まりを,京都で、年に一度はやっていました。

(2)それが、2020年1月末を最後に、コロナもあってお休みが続き、今回4年振りの開催となりました。

この間、元気な「いとこ」の数は減りました。それでも最年長の90歳から70歳まで連れ合いも含めて10人。さらに「いとこの子たち=第3世代」も加わりました。

3.まずは昼食会ですが、

(1)第1世代で存命なのは94歳の叔母一人だけですが、出席は出来ません。

そこで叔母の娘(私の従妹)が現地から、もう一人の娘はホテルにいて、スマホとスクリーンを操作して、映像発信と会話が可能になりました。

ITを自在に扱う世代です。  

(2)あとは、出席者の近況報告とお喋りです。

 従弟のひとり幹事役の公教君は、長くホテルマンを務めたあと70歳を過ぎて、請われて別のホテルのフロントを任されている由。

今や京都のホテルは、外国人の観光客と彼らに対応する外国人の従業員がどんなに多いか、話してくれました。

 スペイン、コロンビアなどから来た4人の若者がともに働いていて、日本語も勉強中で、若者からは「なるべく日本語で話してください」と言われる、彼らの言葉での会話にはスマホの翻訳機能がとても役立つ、など時代の変化を痛感する話でした。

 

(3)別の従弟公隆君は、若い息子二人を連れてきましたが、ともに京都府警に勤務しています。

警察官と親しく話す機会などないので面白かったです。

母の実家の姓は「西四辻」と言います。日本全国でも30人も居ない苗字ではないかという話になったのですが、その珍しい苗字の人間がたまたま二人も京都府警に居るとはこれまた珍しいです。

 

(4)ちょうど前日に、国宝級の「古今和歌集の注釈書原本」が「時雨亭文庫」のお蔵から発見されたという記事が新聞に出たばかりで、従妹夫妻からはその話をして貰いました。

 

4.昼食会のあとは、彼女のお宅に直行して、「かるた会」です。

これも4年振りです。若い連中はとれませんから、見物と「坊主めくり」だけ。かるた競技の参加者は減って今回は6人になり、3人ずつ別れて勝負しました。読み手は時雨亭文庫の事務局で働く京大生で、彼は大学の「かるた部」所属だそうで、こういう若者もいます。

 私は、記憶力も集中力も衰え、腕はすっかり鈍りました。

それでも定家卿の「来ぬひとをまつほの浦の夕なぎに、焼くや藻塩の身もこがれつつ」を今回も取ることができて、楽しいひとときを過ごしました。

 

 

春うらら、「源氏物語」の藤壺について語りました

  1. 東大駒場キャンパスの桜は、いまは八重が満開です。

良い気候で、あちこち出掛けています。

読書会の仲間7人の「源氏物語を語る会」もありました。お菓子を頂きながら楽しいお喋りです。

  1. 今回は2回目で、「藤壺中宮」についてでした。

藤壺光源氏との関係は物語の最重要の柱です。

(1)第一帖「桐壺」

―桐壺帝が寵愛した桐壺更衣は、生まれた光源氏3歳のときに死去。

帝は桐壺更衣と「そっくり」といわれる藤壺を妃に迎える。源氏は4歳年上の彼女を恋い慕う。

(2) 第五帖「若紫」―18歳の源氏は、藤壺に言い寄り密通を果たし、彼女は身籠ってしまう。

(3)第七帖「紅葉賀」―藤壺は男子(後の冷泉帝)を出産。

桐壺帝は自分の子(第十皇子)と確信、長男で東宮(後の朱雀帝)の後継者にするつもり。

(4)第十帖―「賢木(さかき)」―桐壺帝死去、朱雀帝即位。藤壺の子が無事東宮になるが別の皇子を擁立しようとする反対派の動きもあり、藤壺は出家する。(彼女の死去は十九帖「薄雲」で描かれる)。

――といった物語の流れです。

3.皆さんの活発な意見がでました。

もっぱら、<「藤壺」という存在をどう考えるか?>

私は以下の5つの論点を取り上げました(受け売りが殆どですが)。

 

(1)まず、いかにフィクション(虚構)とはいえ、

<『源氏物語』はなぜ帝妃の密通を書くことができたか>

――この点は、例えば今西祐一郎という九州大名誉教授の同名の論文参照。

(2)第二に、<桐壺更衣と藤壺中宮とがよく似ているという虚構>が重要。

――「血縁関係もない、他人である」二人が「そっくり」という設定が、その後の物語の展開を無理のないものにしている。例えば藤壺光源氏との間の子を、誰もが桐壺帝の子と信じて疑わない、など。

(3) 第三に、<源氏にとって最も重要な女性「紫上」も、晩年になって妻に迎える「女三宮」も、藤壺の姪である、という設定>

➡この3人がお互いに「似ている」のは不思議ではない。

かつ、彼女らは何れも、「先帝」の子ないし孫である。(「先帝」とはおそらく「桐壺帝」と父を同じくし、源氏の叔父にあたる人。彼は、桐壺の父(一院)のあと天皇になったが皇統は彼一代で絶えた)。

 

(4) 第四に、藤壺にとって源氏は、亡き桐壺帝の遺志を果たし、自らの子を皇位に就けるために守ってくれるパートナーとなった。

源氏も同じ思いであり、二人は共通の目的のために結束して反対勢力(藤原家がモデル)と対抗した。そのためにも「不義の子」であることを絶対に知られてはならなかった。

 

(5)そして最後に、秘密は守られ、無事に冷泉帝が即位する。しかし彼には皇子は生まれず、皇統は冷泉帝一代で絶えた。

➡これもまた、実にうまい作者の「設定」です。

4.「源氏物語」は「恋の物語」であると同時に「政治の物語」であり、前者を「女読み」、後者を「男読み」と呼ばれます。

 この二つを結び付ける物語の展開を辿りながら、読む(主に谷崎訳ですが)たびに、紫式部の物語作者としての技量にほとほと感心しています。

豆台風は英国に去る

  1. 桜満開の4月6日(土)、豆台風は英国に帰国しました。

迎え入れた老夫婦は「何とも疲れたが、85歳と83歳のジジババにしては良くやった、とちょっとした達成感です」という妻の言です。

以下、彼らの滞在について思い出すままに。

  1. 娘は最初の一週間は業務出張でした。

(1)子供二人が加わった後の1週間も、完全に休暇という訳でもなく、平日は仕事に時間をとられていました。PCやスマホでロンドンと会議をしたり、忙しそうでした。

(2)再認識したのは、IT環境にあっては、離れても支障なく仕事ができるということ。

私の現役時代、こういう状況は想像も出来なかった。

(3)これが可能なのはむろんITの支えがあってこそですが、加えて、物理的に同じ職場にいなくても仕事は可能なのだという「意識の変化」が大きい。その「変化」を推進したのは、コロナ禍だった。

「コロナ禍がなかったら、ここまで仕事の有り様が変わることはなかったと思う」と娘も言っていました。

  1. その間祖父母は、散歩したり室内で一緒に遊んだり孫と付き合いました。

(1) チェスとジンラミーというトランプ遊びを教えてもらいました。

日本語で人に教える時間も、彼らにとっては勉強になる筈です。

(2) 英国の学校生活についても聞きました。

12歳の孫息子は日本で言えば中学二年生。6歳の孫娘は小学2年生。

12歳はいまも週に2日は寮生活です。来年の9月からは全寮制の5年制の高校に入ります。

(3)学校での 教育のせいもあるか、二人ともITを自在に扱うことに改めて驚きました。日本の子どもたちも同じでしょうか。

(4)加えて、父方の祖父母から音楽のレッスンを受ける時間もありました。

6歳の方は短時間「能」のお稽古の時間もありました。「隅田川」で梅若丸という子供が出てくる場面です。生まれて初めて日本の古典文化に触れて、何か感じることがあったでしょうか。

4.12歳は、祖母の料理の手伝いもしました。

(1)娘は英国では、仕事をしつつ育児と家事をこなしていますから、彼も朝食ぐらいは自分で作れます。

(2)京都の料亭松長の若女将・長谷川真岐さんのコメントを思い出しました。

ブログで、英国の週刊誌「エコノミスト」の、「女性は日本の隠された資産」と題する記事を紹介しました。家事や育児や介護をしつつ働く女性を日本社会全体が支援する必要がある、しかし制度面の遅れと夫婦の役割分担が問題という趣旨でした。

(3)真岐さんのコメントです。

「日本の女性は、男性の5倍多く家事を負担している。深く共感します。たとえ共働きでも女性の負担が多い家庭が普通なのでは?

この状況を打破すべく息子には厳しく指導してます」

読んだ私も「深く共感」しました。日本の働く母親、頑張れ!

5.ということで、短い滞在でしたが、結構忙しい時間を過ごしたようです。

娘は、「何れ二人を広島に連れていきたい」と言いつつ帰っていきました。

映画「オッペンハイマー」をロンドンで観たという話も聞きました。

英国から我が家に

  1. 前回は、先々週の日曜日、英国から一時帰国した娘とホテルで会ったと

書きました。

彼女は京都行を含む業務出張のあと、さらに日本滞在を伸ばしました。

その後半の一週間、イースター休暇中の孫二人が日本にやってきて合流しました。狭い我が家に泊まったので、先週は「てんやわんや」の日々でした。

滞在中の4月4日、我が家の桜も東大の桜も満開になりました。

 

2.12歳と6歳の兄妹の日本到着は3月30日(土)。

ヒースロー空港までは父親が送り、そこからあとは、通関で旅券を見せることから始まり、初めての二人だけの大旅行です。

 母親が羽田空港まで迎えに行き、我が家に戻ってきたのが午後7時半、早速賑やかな夕食です。二人とも日本食が大好きで、妻が作ったハンバーグにご飯、なめこ入りの味噌汁に大満足でした。

3.二人とも英国で生まれ、育ち、現地校に通い、学校で日本語を使うことはありません。彼ら同士の会話はほとんど英語です。

母親はこんな機会に少しでも日本語を覚えさせようと必死です。祖父母へは、「下手な英語ではなく、日本語を使って欲しい」という注文です。

4. 二人とも二つのパスポートを持って旅行します。

(1)行きの英国の空港では英国の旅券で出国し、羽田では日本の旅券で入国し、帰りの英国での通関ではまた英国の旅券を見せます。

(2)日本は出生主義ですから、生まれた親が日本人なら日本国籍

英国はこれに加えて出生地主義も認めます。生まれた場所が英国なら英国国籍。

 

(3) ですから今は二人とも二重国籍です。

しかし、日本の国籍法14条(国籍の選択)は「外国の国籍を有する日本国民は(略)22歳に達するまでに(略)いずれかの国籍を選択しなければならない」と定められています。

5.12歳の孫息子はあと10年でその「選択」を迫られます。

(1)世界には、「二重国籍」を認めている国の方が多いのですが、日本で法改正の動きは全くないようです。

(2)将来どちらを選択するか、本人はまだ考えてもいないでしょう。

しかし、何れどちらかを選ばなければならないとしたら?ということを多少は感じつつ日々を過ごしているかもしれません。

(3) 英語が母国語の日本人として生きるのか?それとも5歳のとき家族とともに英国に移り住み英国籍を取得したカズオ・イシグロを見習うのか?

自らのアイデンティについての探求が続きます。

6.いまはまだ、「どちらが良いか?」という比較の眼で両国を眺めているようです。

(1)日本は大好きと言うので、英国に比べてどこが良いか?と訊いたところ、「食べ物、天気、そして人」という答えでした。

(2)他方で、英国の良さは「住まいを含めた環境、自然災害の少なさ、ゆとり」でしょうか。

英国人は、優しさにやや欠けるように思う・・・この点は娘も同意見でした。

(3)どこまで真剣かはともかく、「将来、結婚する相手は日本人の女性がいい」という発言もありました。

 

 

東京も桜咲きました

  1. 先週の東京は寒かったですが、昨日は初夏の日和。東大駒場キャンパスの桜も咲きました。

  1. そんな中を、先週もあちこち出掛けました。

 昔の職場の仲間との昼食会が、2回ありました。

 アメリカ在住が長い元同僚の女性から、大統領選挙の話を聞きました。

(1) 今回の選挙は早々と民主党バイデン、共和党トランプの党候補者が決まり、よほどの事がない限り11月の本選挙は両人の「再対決」になるが、どちらがより「嫌いでないか」の選挙になる。

(2) 各種世論調査で、どちらも嫌いという「ダブル・ヘイター」の割合が非常に高いのが今年の特徴。有権者の17~24%を占める(過去は5%前後)。

(3)どちらが勝っても僅差になりそう。従って、ロバート・ケネディJRなど

「第3の候補」がどちらの票を奪うかも重要。

  1. 多くの訴訟を抱える問題人物のトランプがなぜ支持されるのか?トランプ信者の心に分け入ってみると

(1)根深いエリートへの恨み 

 (2)トランプは自分たちを救う救世主で聖戦を戦う戦士である

➡宗教的右派思想(人工中絶やLGBT)、社会的保守思想(銃規制・移民受けいれ)のために戦ってくれるのはトランプしかいない。

➡「正しいこと」をするためには暴力も法律に縛られないこともやむを得ない。

――というような話でした。アメリカ社会の分断と対立の深刻さを痛感します。

4.1週間前の日曜日(24日)には、

英国から出張で一時帰国した次女と今年初めて会い、ホテル・ニュー・オータニで朝食をともにしました。

日本庭園を眺めながらカフェに座り、1700円の珈琲にびっくり。

時々夫婦で、散歩を兼ねて朝食を頂く喫茶店のおいしい珈琲は470円です。 

それでも娘は、英国の物価の高さはこんなものじゃない、日本は安いと感激し、ホテルも家族連れの観光客で賑わっていました。

5.「日本の主婦は隠れた資産」と題する、英国エコノミスト誌1月20日号の記事の話もしました。

記事を要約すると、

(1)大洞静江という40代の女性を紹介し、彼女は大学卒業後保険会社に勤務

し、出産を機に退社した。しかし8年後にジャーナリストして仕事に復帰し、活躍している。3児の母でもある。

(2) エコノミスト誌はこのことを画期的な動きと捉え、日本社会が「女性労働

という隠れた資産」の活用に後押していると伝えます。

その結果、

・2022年には、25~39歳の女性の雇用率は80%と史上最高。

・専業主婦の割合は30%と史上最低に落ちた。

(3)しかし、旧態依然たる税制や福祉の制度が存続していることを批判します。

(4) 同時に、男性の家事負担の割合を上げることの重要性も指摘します。

・男女の育児休暇が制度的に認められているところでも、2022年の調査で女性の80%に対して男性は17%しか取得していない。

・日本の女性は、男性の5倍多く家事を負担している。

(5)こういう日本の現実を突きつけたうえでエコノミスト誌は、「大洞静江のような女性は、長く見過ごされていた大きな社会経済的な変化を象徴するものであってほしい」と結んでいます。