『遠き旅路』(能島龍三/新日本出版社)

 日中戦争モノって年に一冊は何かいい本が出る気がしますね。大きな戦争だったってことですかね(適当)。

 日中戦争で戦った一人の日軍騎兵(後に自動車化歩兵)の遠い旅路を描く小説。途中まで「ああすごくていねいに書いてあるな」「香本さんちょっと便利すぎないか」「すぐれた作品だが作品を『ケッサクまたは傑作』にする最後のスパイスの一振りを欠く気がするな」程度に思って読んでいた。のだが終盤で個人的に忘れがたい箇所がひとつあって。岡田が佐藤と別れるシーン(p173)と戦後の岡田の回想(p245)が微妙に食い違っておりしかも「ああそう考えれば筋が通るな」「人間の記憶はこんなふうに整理されていくのだなあ」と納得がいく。個人的に忘れがたい箇所のある本なので手放せない。

ポリティカル・フィクション

(正編)2004/1
 私はあるとき古代中国を扱う時代小説を読んでいたはずが、気がつくと合衆国のイラク占領に関するポリティカル・フィクションを読んでいました。作中では合衆国大統領とその側近が重い責任を負った人々に特有の深刻な会話を交していました。

ラ「先日のイラク征伐は近ごろの椿事でした。あと味はどうですか」
ブ「たまにはよいものと思った。――が先生、このあとの策は予にないのだ。何ぞ賢慮はないかな」
ラ「策は三つあります。どれでもわが君の意に召した計をお採りになるがよいでしょう。
 一策は、いま獄中のサダムを恫喝して有無なく改心させそのまま親米政権の長に戻す。このこと必ず成就します。故にこれを上策とします。
 第二は、イラク共産党を一貫して支援する。これは中策と考えられます。
 どこにも徹底的な支援をせぬまま選挙を実施させ政権を親イラン派に渡してしまった後で、新政権との交渉に入るという手もあります。……が、これは下策にすぎません」
ブ「……上策はとりたくない。また、中策はあまりに急すぎて、本国で追求を受ければ、一敗地にまみれよう」
ラ「では、下策を」

 このときラ氏がいかなる表情をしたかは小説に描かれておりませんでした。


(続編)2020/1
 私はあるとき古代中国を扱う時代小説を読んでいたはずが、気がつくと合衆国の中東政策に関するポリティカル・フィクションを読んでいました。作中では合衆国大統領とその側近が重い責任を負った人々に特有の深刻な会話を交していました。

 「先日のソレイマニ司令爆殺は近ごろの椿事でした。あと味はどうですか」
 「たまにはよいものと思った。――が先生、このあとの策は予にないのだ。何ぞ賢慮はないかな」
 「国防長官を殺して天下に謝罪なされませ」
 「それ以下で済む方法はないか」
 「それ以上の方法はあってもそれ以下の方法はございませぬ」

 大統領は笑って答えなかったと書いてあったような気がします。

時事ネタ(2008年)

 おわかりいただけると思いますが本稿の主題は「オリンピックは社会に何をもたらすか」です。すくなくとも主観的には。


●ある料理屋 2008/08/07
 先日いきつけの中華料理屋にいってみたところ常に増して空気がムサ苦しく、どうしたのかと思っていると別の客が看板娘の不在を指摘しどうしたのかと質問。中国人の店主答えて「ああ三ヶ月休みを取って帰りました中国に。オリンピック見に。何が面白いのか私よくわからないんですけどね」
 凍りつく店内。そして快哉を叫ぶ自分



●別の料理屋 2008/08/13
 会期中に別の中華料理屋でオリンピック一色の中国語新聞を読む。面白かったのでこれどこで売っとるんかと聞いたところ店員ニコーっと笑って
 「ああいいです持って行って。お持ちになってください」
 なるほどナショナリズムが高揚しとる奴もいることはいるわけだと思いました。そらそうと後で人に話すと、あのニコーっはあるいは「舞いあがってるでしょ? まあ笑ってやってよ」だったのかもしれんぞと言われました。そして単に愛想のいい店員だったのかもしれないとも。いや前者はあるかもしれんが経験上後者は決してないのです。



●対話編 2008/08/17
 これは複数の友人間の会話を2人の人物の会話としてまとめたものです。
 「オリンピックみました?」
 「いやまったくみてない。だいたいどうなっとるんか」
 「それはいいですね。わたしTVをみずにウェブだけみてると日本が勝っても負けても中国の悪口ばかりでいやになってきました」
 「なにそれはみねば。抜け作どもが傷をなめおうとるのはどのへんかのう」
 「URLでいうとホニャララとかホニャララとかです。よしといたほうがいいとおもいますが」
 「どれどれ (間) ……アイヤー」
 「だからいわないことじゃない」
 「あー彼らはつまり何が気に入らないのかね。メダルがすくなかったのかね」
 「ツルゲーネフの『だれの罪』という詩をよんだことは」
 「ある。完全に理解した。そして理解したくなかった。きさまはいまおれのだいじななにものかをきずつけたのでおぼえておけ」
 「ええー」



●だれの罪(神西清池田健太郎訳)
 少女は青ざめて優しい手を、わたしに差し伸べた。……わたしはじゃけんに払いのけた。水々しいかわいい顔が、当惑そうに曇った。若々しい人の好い眼が、責めるようにわたしを見あげる。いたいけな清らな心には、わたしの気持がくみとれないのだ。
 「あたしが何か悪いことをして?」と、その唇はささやく。
 「お前が悪いことを? それぐらいならむしろ、光り輝く大空の首天使も、とうに咎を受けていよう。
 「それでもお前の罪は、わたしにとって小さくはない。
 「お前の罪の重さは、とてもお前にはわかりはしまいし、わたしも今さら説明する気力はない。それでもお前は知りたいのか?
 「では言おう。――おまえの青春、わたしの老年。」



●また別の人
 また別の人申しました。
 「いやそうでない。オリンピックにふれて中国の悪口を言っている人のほとんどは、中国の悪口が言いたいのではない、ただなにものかの悪口が言いたいのである。これを止めるのはまことに難い。中国人民に『わかってもらえなくてもおこらない』儒教精神を養ってもらうほうがむしろ容易であろう。というか中国はメダルたくさん取ったのでそのていどのものは養ってくれていいはずだッ」



●ある友人 2008/08/25
 ある友人おろかにもちょうどこの時期に中国の西のほうにカワラケ掘りに行っていました。
 手紙が来て「空港がこんどって邪魔だった 中共党はオリンピックで外貨かせぐのとおれが土器掘るのとどっちが大事と思うとるんか」と書いてありました。
 こんな透徹した妄言は見たことねえとおもいました。
 「党要人の息子でなかった君の生れの不幸を呪うがいい」と書いて出すべきかどうか迷っているうちに当人帰ってきました。

琅琊榜(TVドラマ)

ネタバレ度:1/4(原則ネタバレなし)


 中国古装ドラマ「琅琊榜」を見ました。たいそう面白かったです。


設定とあらすじ:
 舞台は複数国家のならびたつ架空中国。テクノロジーは宋代っぽく社会構造は南北朝っぽい(つまり仏寺が多く科挙はどうもないっぽくて人物鑑定家の推薦がハバをきかす)。世界観的には軽功はあってエネルギー衝撃波はない。


 ある大国の帝は「皇太子ならびに大軍閥化した重臣」を謀殺。重臣一家でただひとり生き残った息子は素性を隠して江湖に落ちギャングボスとなる。
 十年後、大国では皇太子と第五王子が跡目をめぐって対立、二人ともが「琅琊閣」という中立の民間情報結社に帝位を得る方法を聞く。「琅琊閣」の長で医学の天才でしかもギャングボスの友人である男、双方に「ギャングボスを味方につけることです」と書き送る。
 ギャングボス「ありがとうこれで事を成せる」
 琅琊閣の長「ちょっと脈を見せろ」
 「私はあと何年もつかね」
 「何年欲しい」
 「二年」
 「医者十人連れていって安静にしてれば二年持つな」
 「ハハハ無理だ。ありがとうありがとう」
 琅琊閣の長、数個の丸薬を渡し「これを呑めば発作が一時的におさまる、丸薬が尽きる前に私を呼べ」
 かくして宮廷に乗りこむギャングボス。だが彼の目的は復讐だけではなかったのだ……


いいところ:
 脚本がすごくしっかりしてて伏線のひきかたと回収しかたがうまい。
 武侠ドラマによくあるキチガイ・オン・パレード度は薄い。しかし武侠ドラマのキチガイ・オン・パレードの奥に潜む美点「ことなる思考パターンを持つ複数の人間」は残っている気がします。この点非常に上品なつくり。腹に一物ある人間ばかりの中で裏表のない人間が一人二人いて一服の清涼剤になってたりもします。
 武侠モノ後宮モノの要素は取り入れつつ主軸には置かないバランスもうまい。陰謀好き武侠好き後宮ドロドロ好きと幅広い層にアピールするつくりになっておりましてどなたにもおすすめできます。
 いやホントこんなに胸を張っておすすめできる中国ドラマなんていつぶりだろう……わたし日本TVマンガとか韓国古装ドラマとかは人から勧められたものしか見てないのであんまり「はずれ」を引かないんですが中国武侠/古装ドラマのアレでナニなのはかなり見てきましたからね!

項羽と劉邦 King's War/楚漢伝奇(TVドラマ)

ネタバレ度:3/4(やや高)


 項羽と劉邦の戦いを描く大長編TVドラマ。
 見ました。面白かったです。
 私見では中ドラって韓ドラに比べて得てしておおざっぱだったり粗雑だったりするんですが(じゃあなぜおまえは韓ドラを見ずに中ドラを見てるんだって、それはつまり日ドラにないサムシングが欲しいからです)、『項羽と劉邦 King's War/楚漢伝記』、長いよこれ、以下楚漢と略、は割合緻密によろしいものです。


 ちょっと前に日本でも序盤だけ放映した『項羽と劉邦 はるかなる大地/秦漢英傑』という人形劇がありました。項羽と劉邦と虞姫と呂后が最高でした(また語る折もありましょう)。実質20分チョイのモノなのでメインキャラがよければ何だって許されるですね。いっぽう実質45分モノの楚漢は脇役がみんないいです。
 ことに章邯と蕭何に大変見るべきものがありました。


 秦の将・章邯は何度となく叛軍を破る名将ですがひとたび楚軍に降ってからは少なからず冴えを欠きます。従って「そこに何があったのか」が再話者の腕の見せどころになります。
 さて楚漢ではこうでした: 愛する秦の皇女(註:オリジナルキャラクター)のために戦う章邯、だが皇女は秦国を牛耳る宦官・趙高の暗殺を企てて惨殺される、趙高は「章邯は政治的なアタマが無く、しかも決して祖国を裏切れない種類の人間だ」と知っているため章邯を罰しない、だが抜け殻となった章邯は以後かつての指揮の冴えを二度と取り戻さない。最高。


 蕭何がまたよかった。「いいもんキャラにも欠点は5つは作っておけ」という台詞があります。この手法は有益です、しかしこれが唯一の手法ではありません。何を言いたいかというと「致命的な」欠点はたった1つでもキャラを魅力的に見せるのです。楚漢の蕭何は風貌が立派で見通しが確かで学問があって情にあつく決して驕らず、そして予想外の事態が起るとたちまちパニクり、味方を処刑しようとして使えもしない剣を引き抜きます。一瞬でキャラの全部が見て取れます。最高。


 このほか、
 デブで金に汚いがとびぬけて有能な策士・陳平……
 「エキストラその3」みたいな風貌に似合わぬ名将・韓信……、
 最初っからウルトラ不穏な劉邦夫人・呂后……
 と、劉邦陣営中心に脇役がみんないいです。


 もちろん、
 ふだんはなんだか『ドラえもん』のスネ夫っぽいがイザという時には決して味方を見捨てない男・劉邦……
 元仮面ライダー役者・ピーター・ホー演じるところの個人戦闘能力最強の覇王・項羽……
 もいいんですが、しかし私項羽周りでは個人的に好かないとこが1箇所とどう考えてもダメなとこが1箇所あってですな。


 個人的に好かないとこ:項羽が秦の捕虜を大量生き埋めにした後で「しかたなかったんじゃー」と虞美人に言い訳するところ。あそこだけ現代人に寄せすぎてる気がしてならないんですが、ひょっとしてわざわざ外国(*)から引っ張ってきたスタアに気をつかったんですかね……

 (*)台湾が中国スタッフにとって外国ということになるのかどうかよう知りませんが少なくとも「面倒そうな感じ」はするんじゃないかと思います。最近のハリウッド映画の中国への配慮っぷりは気になるといえば気になるんですが、個人的には最近の中国ドラマの台湾への配慮っぷりも気になるのです。基本的によいことだとはおもいますがしかし何か複雑な気分になるのはやむをえないというか。ほらアレですよ純粋芸術の純粋性がそこなわれている気がするというか(いや大河ドラマは純粋芸術じゃないだろう)


 どう考えてもダメなとこ:彭城の戦いで項羽の事前機動をしっかり描いておきながら項羽が突撃開始すると劉邦の避難シーンへ直行。いやちょっと待て。制作費が? 尽きた? 項羽初陣シーンとかで使いすぎて?
 対するに垓下の戦いはきちんと尺取っていたのがよかったですね。胸をなでおろしました。
 まあこのテの大河ドラマはキャラに一貫性があってラストバトルがしっかりしてれば途中ちょっとぐらいナニがアレでも誰も文句は言わないのです。そして途中のナニがアレ度は比較的低い気がします。


 当ブログでは大変久しぶりに人様にもおすすめできる一本なんですが45分×80話というのはやはり長いやもしれません。秦漢期モノがお好きな方はぜひ。


追記 2014-10-00
 ネタバレ度表記を4から3に修正しました。

『Only the Ball was White』(R.Peterson, New York: Oxford Univ. Press, 1970/1992)

 合衆国の黒人プロ野球に関する古典傑作。という情報だけある状態で読みました。
 きっと自由と平等とフェアネスを求める人々の偉大な戦いと勝利をユーモラスに描きフレッド・アステアがタップを踏み最後はハッピーエンドになるような本なんだろう、ト何となく思っていた自分に腹が立ちます。
 四部構成で内容はこうです。そして各部タイトルがたいそうかっこよいです。


Mine Eyes Have Seen the Glory/我が目は栄光を見たり(*1)
 ニグロ・リーグの元選手たちによるニグロ・リーグの日々の回想。さかのぼって、南北戦争終結から19世紀末までの「白人リーグの黒人選手」と「黒人リーグ」の歴史。ジム・クロウ法(南北戦争後の南部諸州であいついで制定された有色人種取締り法の総称)が南部のみならず北部においても白人リーグの黒人選手を締め出していったありさま。


Way Down in Egypt Land/行けエジプトの地へ(*2)
 1901年以降のいわゆる近代大リーグの時代、黒人は完全に大リーグから締め出されていた。そんな中で黒人を使おうとした大リーグ監督たち(あらゆる手を用いて勝利を目指した男ジョン・マグローとか)とその失敗。大リーグのオフ・シーズンの大リーグ・チームとニグロ・リーグ・チームの試合。アルバイトで黒人と一緒に野球をする(給料極安の時代の)大リーガー。ニグロ・リーグの混乱と発展。激しいプレイと頻繁な移動。「黒いワグナー(ワグナーは'00-'10年代大リーグの名遊撃手)」と呼ばれた四割打者で世にも珍しい出来た男のヘンリー・ロイド。投手としても監督としても事実上のコミッショナーとしても大活躍したルーブ(田舎者というほどの仇名)・フォスター。大投手サチェル・ペイジと大ホームラン王ジョシュ・ギブソン


And the Walls Came Tumbling Down/壁くづるるとき(*3)
 二次大戦前後の動き。近代大リーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの誕生。あいついで大リーグ入りする若手黒人スタア。黒人選手がニグロ・リーグを経由「せずに」大リーグへ入るようになったいま、ニグロ・リーグは急速に衰退し消滅する。


Of Those Who've Gone Before/過ぎにし人々(*4)
 大リーグ入りして「いない」20世紀ニグロ・リーグ名選手列伝。


(*1)……北軍軍歌"The Battle Hymn of the Republic"より
(*2)……黒人霊歌"Go Down Moses"より
(*3)……黒人霊歌"Joshua Fought the Battle of Jericho"より
(*4)……黒人霊歌"Oh When the Saints Go Marching in"より


 正直、特に第一部が、読んでいてかなりつらかったことは否定しません。白人リーグでプレイしてクロスプレイのたびにスパイクで足を削られる黒人二塁手(結果、彼はレガースの発明者となった)の話であるとか。ある白人リーグで一時は数人いた黒人選手が串の歯を抜くように抜けてゆき、中で一番成績のふるわなかった1人だけが最後まで残る話とか。
 著者が充分なユーモアを持っている人物であるのは間違いないのですけれど、この本ではユーモアよりもむしろ「きわめて抑制された怒り」が強く出ている気がします。1868年、野球協会(NABBP / National Association of Base Ball Players)が「政治的含意ある議題を議論すべからずとして」プロチームへの黒人選手の参加を禁止するくだりはその最初の典型です。
 そもそも古典と言ってもこの本の初版は1970年で比較的に新しいと言えなくもありません。つまりこれは公民権運動を経た直後の合衆国で完成を見た本なのです。
 星や菫を描いた本のなかに必ず執筆時の世間が有るとは私は申しません(必ず有るとおっしゃる方もいらっしゃいましょうが)。しかし1970年に黒人野球の歴史を描いた本のなかに公民権運動期の世間が無い筈はないのです。
 フェアネスを求める人々は極めて多く敗れるという当り前のことがイヤというほどこの本には書いてあるのです。そこさえ我慢できれば間違いなく面白いです。